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ケルピーの肝臓は美味しいのだろうか 2


「ふぅ……掘り終わったぞ、拓巳。」

「ありがとう、エリス」


 掘り始めて一時間。拓巳の前には直径三メートル、深さ二メートルほどの大きな穴が出来上がっていた。エリスに頼んで拓巳が作らせたものだ。正直拓巳も一時間そこらでこんな大きな穴を掘れるとは思っていなかったが、デュラハンの力と体力は拓巳の予想をはるかに超えていたらしい。


「しかし、掘ってる間にケルピーが出てこなくてよかったな」

「ああ、確かにな。でも今泉から出てきたら、ケルピーって完全にばれちまうからな。ケルピーって基本、馬を装うことで油断させた人間を喰うって狩りの仕方をするから、近くに人間がいるときは泉の中から出てこないのかもしれない」


 拓巳が下した縄梯子で地上に上って、エリスが肩を回して額の汗をぬぐう。拓巳は使い終わった縄梯子を落とし穴から引き上げる。


「拓巳さーん、エリスさーん! もう掘れたんですかー!」


 そこに、落ち葉を両手いっぱいに抱えたワタユキが森の中からやってきた。エリスが穴を掘っている間、拓巳とワタユキで落とし穴を隠すための落ち葉や土を集めていたのだ。

どさっと落ち葉を脇に置いて、落とし穴をのぞき込んだワタユキはその大きさに驚嘆の声を上げる。


「わぁ……でっかいですねー。これ隠しきれますかね?」

「まー、何とかなるんじゃないか? とりあえず、出来る範囲で隠してみよう」


 リュックから天幕を引っ張り出しながら、拓巳が言う。

 この天幕は本来はテントなどに使うものなのだが、今回はこの天幕で落とし穴を上から多い、四隅に石の重りを置いて、上から落ち葉で隠すことで落とし穴を作ろうと拓巳は考えていた。

 拓巳が取り出した天幕で落とし穴を上から覆っていると、手持無沙汰になったのかワタユキが隣にいたエリスに愚痴をこぼし始めた。


「聞いてくださいよエリスさん。拓巳さんったら、一緒に落ち葉拾ってる間中ずっとわたしにケルピーの内臓を食べようって勧めてくるんですよ? わたしはこんなに嫌がってるのに、ありえなくないですか?」

「ああ、穴の中にいても時々話が聞こえてきたよ。ご愁傷さま」


 それを傍で聞いていた拓巳が二人の会話に口を挟む。


「エリス、お前もだぞ。一緒に食べよう、ケルピーの内臓」

「……なんでそうまでしてお前は、わたしたちにケルピーの内臓を喰わせようとするんだ。悪魔信仰にでも勧誘するつもりか」


 はぁ、と呆れたようにため息を吐くエリス。


 熊本では馬刺しといって馬の肉を食べる文化がある。拓巳も何度か食べたことがあるが、あれは歯ごたえがあってかつ甘みがあり、とてもおいしかったことを覚えている。

 同様に、熊本には馬の肝臓を食べる文化がある。今ではもう、食中毒などの関係で馬のレバ刺しを出す店は減ったが、拓巳は小さいころ、馬肉と一緒に馬のレバ刺しも食べたことがあった。

 この世界は拓巳の元いた世界よりも医療のレベルは低い。基本的に中世ヨーロッパくらいの文明レベルであり、病気にかかれば教会に行くものも少なくない。もし食中毒になりでもしたら、下手したら命に関わるのかもしれない。しかし拓巳はそのリスクを負ってでも馬のレバ刺しを食べたいのだ。それほどまでに、昔食べたレバ刺しは美味しかった。


「馬の肝臓は美味しいんだって! 新鮮な物なら食中毒の心配もないし、絶対にエリスとワタユキも食べるべきだよ!」

「……いや、無理だ。内臓を食べるなんて野蛮なこと、わたしには出来ない」

「そうですよ。しかも新鮮な物って……まさか生で食べる気ですか! 正気ですか! 頭でも打ったんじゃないですか!?」


 なおもしつこく勧誘する拓巳だったが、拒絶するエリスとワタユキは最後まで態度を変えることはなかった。エリスは迷惑そうに顔を顰め、ワタユキに至っては「それ以上しゃべると凍死させますよ」と冷視線を浴びせてる始末。

 結局拓巳は「自分ひとりで食べるかぁ」と悲しそうに呟きながら一人落とし穴の準備を続けるのだった。




 落とし穴をを作り終えた拓巳たちは、近くの茂みに身を隠してケルピーが現れるのを待つことにした。泉の近くにいてはケルピーが警戒して出てこない、と拓巳が考えたからだ。

 実際、拓巳たちが落とし穴を作っている最中も拓巳は終始泉の方に注意を向けていたのだが、ケルピーが姿を現す様子もなく、水面には波紋すら立たなかった。

息を殺してケルピーを待つ拓巳たち。そこでふと、エリスが口を開く。


「なあ拓巳。ここまで準備しておいて聞くのも変な話だが、これからケルピーが現れたとして、どうやって落とし穴に落とすつもりだ?」

「え?」


 エリスの言葉にきょとんとする拓巳。


「まさか、考えてない、なんてことは無いですよね?」


 ワタユキがいるであろう後方から、謎の冷気が吹き付けてきて拓巳の首筋を撫でる。


「も、もちろん考えてあるさ」


 言葉とは反対に微塵もそのことを考えていなかった拓巳は、話しながら作戦を考える。


「そうだなぁ…俺が囮になるよ。俺がケルピーに跨って、ケルピーを泉の方に走らせる。だからエリスはもしケルピーがコースからずれたら剣でけん制して、ケルピーが落とし穴に落ちるよう誘導してほしいんだ。ワタユキはケルピーが穴に落ちた瞬間に豚の肝臓をぶちまける役割を頼みたい」

「えぇ……これ、わたしがぶちまけるんですか……」


 手渡された革袋を覗き込んで心底嫌そうな顔をするワタユキ。そんなワタユキに苦笑いをこぼす拓巳だったが、途中で今まで黙っていたエリスが抗議の声を上げた。


「拓巳、わたしはおまえの提案には反対だ。拓巳が囮になる? 言い方は悪いかもしれないが、お前は弱い。囮なんて危険なことさせられない」


 反対されるとは思っていなかった拓巳は面喰らう。拓巳がエリスの方を見ると、彼女は不安げに揺れる瞳で拓巳を見つめていた。そんな中、泉の方を見つめながらワタユキがポツリと言う。


「拓巳さん本人がやるって言ってるんですから、やらせてあげればいいじゃないですか。前にも言いましたけど、エリスさんは拓巳さんに過保護すぎます」

「そんなこと言って、拓巳の身に何かあったらどうするんだ? 下手したら命を落とすかもしれないんだぞ。作戦が失敗すれば拓巳はケルピーの胃袋の中だ。」

「男なんて命を懸けてなんぼですよ。このくらいの修羅場をくぐった方が拓巳さんのためです」


 それが当たり前だとでも言うような態度でワタユキが言う。そんな無関心ともとれるワタユキの様子に、エリスは声を荒げる。


「なっ! 拓巳が死んでもいいって言うのか!」

「誰もそんなこと言ってないじゃないですかっ! わたしは拓巳さんに強くなってほしいと思ってですね―――」


 気が付くと、いつの間にかエリスとワタユキの間で言い争いに発展していた。大声で言い争う二人に、拓巳が慌てて仲裁に入る。


「ちょ! 二人とも静かに! ケルピーに警戒されちまうだろ!」


 そう注意する拓巳の声も十分大きかったが、その拓巳の言葉で幾分か冷静になったのだろう、エリスとワタユキは口を噤む。


「一体どうしたんだよエリス。なんか変だぞ」

「……すまない。だがとにかく、わたしはお前が心配なんだ」


 拓巳が尋ねると、俯きがちになりながら小さな声でエリスが答える。よく見ると肩がわずかに震えており、エリスが本気で拓巳のことを心配しているのが拓巳にも伝わってきた。

 そんな様子のエリスに拓巳はすこしだけ申し訳なく思いながらも、出来るだけやわらかい声音で彼女を諭すように言う。


「俺を心配してくれるのは嬉しいけどさ。ワタユキの言う通りエリスはちょっと俺に過保護すぎるよ。囮は俺にしかできない。エリスは俺たちのパーティで唯一、ケルピーと正面からぶつかれる人材だから、ケルピーが落とし穴に落ちるよう誘導をしてもらわないといけない。ワタユキは、ケルピーに近づいたら体から出てる冷気で人間じゃないことがバレてしまうかもしれないから囮役はできない。俺がやるのが一番なんだよ」

「それは、分かるが……」


 口をもごもごと動かし、なおも食い下がるエリス。そんなエリスの様子に、拓巳は前々から疑問に思っていたことを聞こうと思い立つ。


「なぁ。エリスはなんで、こんなに俺に良くしてくれるんだ? 初めて会った時もそうだったし、一緒にサクラシンにきてからも俺に装備を買ってくれたり、こんなに弱い俺とパーティを組んだりしてくれた。初めてのコボルト討伐の時もそうだ。俺は役に立たなかったしコボルトもまともに狩れなかったのに、報酬は半分こにするししばらくは魔物討伐の依頼を控えるって配慮もしてくれた。俺に都合がいいことばっかりだ」


 考えてみれば変な話だ。エリスにはこんなにも拓巳に肩入れする理由は何もない。


「散々助けてもらっておいてこんなこと言うのもなんだけど、おかしいだろ? 俺はエリスにとって家族でもなんでもない、言ってしまえば赤の他人だ。なのにどうしてこんなにも俺に優しくしてくれるんだ?」

「拓巳……わたしは―――」


 何かを言いかけるエリス。

 しかしそこで、ワタユキが興奮したようなささやき声で割り込んできた。


「来ましたっ! 泉の中から黒毛の馬が出てきましたよっ! あれがケルピーですよねっ!」


 ワタユキの言葉を聞いて拓巳が泉の方に目を向けると、確かに、水草を全身にまとわりつかせたたくましい一匹の馬が、泉の中から滑るようにすぅっと現れた。体高は二メートルを少し越えるほどだろうか。異様に長い鬣をずぶ濡れの体にぴとっと張り付かせ、真っ赤な目でぎょろぎょろと動かし辺りの様子を確認している。


「え……あれは、ちょっとダメじゃないですか? あの大きさで、しかもあんなに獰猛な目。あの目は人を殺してる目ですよ。明らかにまずいですって。」


 ケルピーを間近で見てその迫力に圧倒されたのか、ワタユキが早口でまくしたてる。そもそもケルピーは人を喰うので人を殺しているのは当たり前のなのだが、そんなことにも気がつかないほど今のワタユキは動揺しているようだ。


「拓巳さん、本気であの馬の内臓を食べるつもりですか。正気の沙汰とは思えませんけど。」

「…うん。俺も実物を見たら、ちょっと食欲失くなってきたかも。でも、あの馬の肉はうまそうだな。筋肉質で赤みが多そうで、実に美味しそうじゃないか?」


 そんなことをのたまう拓巳を、ワタユキが信じられないものを見るかのような目で見つめる。小さな声で「この人、本当に人間……?」と呟いているのがなんとなく拓巳の耳にも入ってきたが、拓巳はあえてそれを聞かなかったことにした。


「よし、じゃあさっき話した通りに頼む。エリスもここはいったん納得してくれ。説教なら終わった後にいくらでも聞くから。」


 そう言って、拓巳は囮になるべく茂みから出ようと腰を浮かす。ぶるるっと嘶きながら体の水草をこそぎ落としている巨大な肉食馬は拓巳の目にもワタユキ同様、恐ろしい化け物に映っていた。しかし拓巳は、そんなことでへこたれるわけにはいかなかった。


 さきほどエリスと話していて、拓巳は自分のふがいなさを改めて実感していた。ヒモと罵られても仕方がないほどの迷惑を、拓巳はエリスにかけているのだ。いくらエリスが優しいからと言って、その好意に甘えて暮らすことは拓巳には我慢のならないことであった。

 確かに自分はろくに戦えもしないただの人間であるが、何もできない人間ではない。どんなに危険だと分かっていても、それが自分にこなせる役割であるなら拓巳はどんなことでもやるつもりだった。むしろその役割が危険であればあるほど拓巳にとっては喜ばしいことだ。拓巳が危険である分、恩人であるエリスには危険が及ばないということを意味しているのだから。

 拓巳はそんなことを考えながら、震える足に鞭打って一歩を踏み出す。

しかしそんな拓巳の決意に水を差すように、エリスが横から手で拓巳を押しとどめた。


「エリスっ――――」

「いや、違うんだ。ケルピーをよく見ろ拓巳。」


 抗議の声を上げる拓巳。エリスはまだ自分が囮になることに納得していないのか、と思った拓巳だったが、エリスの顔をみてそれが間違いであることに気付く。

 エリスはただ茫然と、ケルピーの方を眺めていた。拓巳もエリスの視線を追って、ケルピーの様子を見てみる。

拓巳が考えにふけっている間に、ケルピーはいつの間にか移動を始めていた。旅人に不自然に見られないようにするためか、それとも単に日の光が苦手なのか、近くの木陰に移動するつもりらしい。

 そして拓巳は、ケルピーの足元に視線を移す。ケルピーと木陰の間の一区画―――その地面には、木の下でもないのに不自然に落ち葉が多かった。


「拓巳……」

「いやまさか…ケルピーだって、流石に気が付くだろ。あんなにあからさま―――あっ」


ドサッ    ヒヒィィイーーーーン


「「……」」

「…わたし、内臓をぶっかけてきた方がいいですか。」


 ケルピーは、自分から落とし穴に落ちた。ワタユキが戸惑うような声で聞いてくるが、拓巳は唖然としてしばらくの間彼女の問いに答えることが出来なかった。




 よく「馬ほど賢い動物はいない」などと言われることがあるが、それは間違いである。

 もちろん個体差も大きいが、馬の種としての知能は哺乳類の標準程度でしかない。競馬の騎手などは「犬と馬のどちらが賢いか」と聞かれれば、そのほとんどが「犬」と答えるのだという。

 犬の知能は人間の3歳児の知能に相当する、と言う話は有名である。馬の知能は、それより少し劣る程度であるから、人間に換算すれば2~3歳程度だろうか。

 もちろん、ケルピーが普通の馬とは違うのは拓巳にも分かっていたし、この知識は全くあてにならないと拓巳は考えていた。むしろ、『魔法生物』『幻獣』などと呼ばれているくらいなのだから、普通の馬よりも賢い可能性が高いとさえ考えていたのだ。


 そんな拓巳に予想なんてできるはずもない。

 ケルピーが、あんなあからさまな罠に引っかかるなど。


「拓巳さん、ホントにいいんですよね? この革袋ひっくり返しちゃっていいんですよね?」

「ああ、やっちゃってくれ」

「分かりました。じゃあ、いきますよー」


 先ほどから落とし穴の底で嘶いているケルピーをのぞき込み、拓巳は少しため息をつく。ケルピーは必死に穴の中から抜け出そうともがいているが、エリスが掘った十分な深さの落とし穴を登り切ることは巨体のケルピーと言えど無理なようだった。相も変わらず血走ったような真っ赤な目で拓巳のことを睨みつけているが、今となっては少しも恐怖を感じない。

 そんな拓巳をしり目に、ワタユキが「えいっ」と可愛らしい声を上げて、落とし穴の中に豚の内臓をぶちまける。革袋から解放された内臓たちは、周囲に血なまぐさい臭いをまき散らしながらグロテスクな体で落とし穴の底へと落下していく。

 拓巳もよく中身を確認していなかったのだが、胃や腸、肝臓や肺などが固まって落ちていく様はなかなかに食欲を減衰させる光景だった。


 そしてそのグロテスクな物体たちがケルピーの体に降りかかった瞬間。


 ピ、ピピィイイイイィィィーーーーーーン!!!!


 到底馬とは思えないような、やけに甲高い悲鳴にも似た嘶きを上げるケルピー。目玉がグルンと回り、白目をむいて、口に生えた牙の隙間からはぶくぶくと泡のようなものが吹き出てきている。落とし穴の中でがむしゃらに暴れまわり、時折落とし穴の側壁に体当たりする者だから、その振動が拓巳の足元にまで伝わってくる。


「うっわ……なんだか可哀想に思えてきました」


 ワタユキが口元を抑えながら落とし穴を覗いている。エリスに至っては、豚の内臓をぶちまけたあたりから目を反らして、なぜか晴れ渡った空を見上げている。


「どうか成仏してくれ……というか、わたしは死んでもあんな死に方はしたくないなぁ」


 空を見上げがら感慨深げにつぶやくエリスの中では、もうケルピーは死んだものとして扱っているらしい。


「ねぇ拓巳さん、あんな姿を見てもまだケルピーの内臓を食べるつもりですか? あんな物体の内臓を食べるなんて、もはや人間をやめるのと同義ですよ」


 落とし穴の底のケルピーを指さしながらワタユキがそんなことを言う。肝心のケルピーの方は地面に倒れこみ、ぴくんぴくんと体を痙攣させ、すっかりおとなしくなってしまっている。その姿はまるで、陸に上げられた魚が死にかけているかのようで、ひどく憐れだった。




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