表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/37

雪女は家事ができない 1

やっとタグの回収ができた。

と同時にストックもなくなった。


もう無理だ。しんどい。


 カラシンの依頼を終えた翌日。

 まとまった収入を得た拓巳とエリスは、冒険者ギルドに併設された酒場で昼食を食べながら、次に受ける依頼を物色していた。

 酒場の喧騒の中、何十枚かの依頼書をぱらぱらとめくる。


 拓巳はカラシンの依頼の報酬をすべてエリスへの借金返済にあてていた。

 いつまでも借金をし続ける訳にもいかなかったし、報酬を全額借金返済に回したことについては拓巳も後悔はしていない。


 しかし、だ。

 借金返済後に残ったお金が雀の涙ほどもないというのは、拓巳にとって由々しき問題であった。


 日々暮らしていく上で、お金は必要不可欠なものである。お金がなければ腹は膨れず、寝る場所もなくなる。

 そんなわけで、拓巳に依頼を休んでいる暇などなかった。少しでもお金を稼ぎ、生活費を工面しなくてはならないのだ。


 エリスも特にやることがないということで、そんな拓巳のわがままにに付き合ってくれることになった。


「やっぱ、前回みたいな割のいい依頼は無いな」


 何枚かの候補の依頼書をテーブルの上に広げながら、拓巳がつぶやく。カラシンの依頼の報酬は金貨3枚だった。あれほどの報酬の依頼となると、ドラゴン討伐や要人の護衛など、やはり難易度の高いものしかない。


「そうだな……しかしまあ、依頼書は山のようにあるんだ。もう少し見繕ってみようじゃないか」


 拓巳のつぶやきに、エリスがそう返事する。

 エリスとしてはそうお金に困っているわけでもないし、借金をいつ返してくれるかなど正直どうでもいいことだった。

 しかし、それを言って拓巳のやる気を水を差してしまうのも憚られる。

 結果として、エリスはただ拓巳の奮闘を見守ることに徹していた。


 一生懸命に依頼書とにらめっこしている拓巳を、エリスはエールを飲みながら優しく見つめる。

 拓巳は「俺はエリスに借りがある」と言って譲らなかったが、エリスは自分の方こそ拓巳に返しきれない借りを作っていると感じていた。


 デュラハンは人間に嫌われている。


 拓巳はそれをさほど重要なことだとは考えていなかったが、拓巳の考える以上にこの意識は根強い。エリスが今この場でデュラハンであることがバレれば、即刻この街を追い出されてしまうであろうという程度には、デュラハンは人間に嫌われていた。


 冒険者登録の際、エリスの宣誓で『真実の瞳』に黒い靄がかかったのを覚えているだろうか。


 あのとき、エリスは自分の種族を『エルフ』と偽ったのだ。

 エリスは、デュラハンであることがバレて周囲に疎外されることが怖かった。デュラハンは妖精であるため、耳はとがっている。なので、首さえ隠していればエルフと名乗っても違和感はないだろうとエリスは考えた。


 『真実の瞳』がエリスのその後ろ暗い気持ちすら汲み取って黒く濁ったのを見た時は、流石にエリスも焦ったが、幸いなことに今のところエリスがデュラハンであることは拓巳以外の人間にはバレていない。


 デュラハンは嫌われている。


 だからこそ、エリスは自分の旅に道連れが出来るなどとは微塵も考えていなかった。デュラハンが人間以外の種族にも毛嫌いされているのを知っていたし、自分の旅は孤独なものになるとばかり思っていたのだ。


 しかし、今。

 エリスはこうして拓巳と言う仲間と出会うことが出来た。


 それはひとえに、拓巳がデュラハンである自分を受け入れてくれたからに他ならない。エリスはそのことがとても嬉しかったし、金を貸してでも拓巳という仲間を手放したくなかった。


 もちろん、こんなこと拓巳の方は知る由もない。

 拓巳は自分がエリスにどう思われているかなんて考えたこともない。せいぜい「厄介な道連れだ思われていないかな」などと考えている程度だ。

 しかしエリスにとって、拓巳は何物にも代えがたい貴重な存在となりつつあった。


(ふふっ……仲間と一緒にいることがこんなに楽しいことだなんて、知らなかったなぁ……)


 エリスがくすり、と微笑む。

 その温かな笑みには、彼女の思いのすべてが現れていた。


 しかしそんなエリスの優し気な視線に気づくことも無く、拓巳は依頼書の束を睨みつける。

 ぺらぺらとめくりながら、「あれもダメ、これもダメ…」と依頼の吟味を重ねていく。


「あーもう、ダメだっ! エリスっ! 新しい依頼書を……って、ん?」


 結局お眼鏡にかなう依頼を見つけられずに机に突っ伏す拓巳だったが、ふと視線を上げた先に気になるものを発見する。


「どうした?」


 エリスが拓巳の様子の変化に気付いて、拓巳の視線の先を追う。


 すると、ギルドの入り口の方。

 人通りが激しい出入り口付近で、きょろきょろと挙動不審に辺りを見回している少女の姿が目に入った。付近を通る人に鬱陶しそうな反応をされながらも、どこに行けばよいか分からず右往左往している様子だ。


 その少女は白い着物に黒い髪、いわゆる和風な出で立ちをしていた。

 そんな人物をこちらの世界に来てから目にしたことがなかった拓巳は、その少女に少し興味を惹かれる。


「おうおう嬢ちゃん、珍妙な格好してんなぁ」


 拓巳がぼーっと少女のことを見ていると、いつの間にかその少女はガラの悪い冒険者たちにからまれてしまっていた。筋骨隆々で、まさに乱暴者、といった様相の三人組だった。

 からまれてしまった少女の方は事態が呑み込めていないのか、困ったような表情で冒険者三人組を見上げている。


「なっ! あんな大勢で女一人を寄ってたかって!」


 拓巳の視線を追ったエリスも少女が絡まれているのに気づいたのか、その顔に怒りの表情を浮かべた。

エリスはもともと正義感が強い。ひとり路頭に迷っていた拓巳を拾ったのもその正義感が理由の一つにある。そんなエリスがこんな非道を許すはずもなく。

 立ち上がったエリスは脇に置いていた大剣を手に取ってずんずんと少女の方へと歩いていく。どうやらエリスはあの場を仲裁するつもりらしい。慌てて拓巳も後を追う。


 なおもしつこく少女に絡んでいる冒険者たち。しかし程なくして、彼らの前にエリスがずいっと無言で体を割り込ませた。

 全身鎧に身の丈ほどの大剣を携えたエリス。その時はフルフェイスもしていたため、ぱっと見では女性とはわからない。

 そんな彼女に凄まれた冒険者たちは舌打ちしながら蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 拓巳も慌てて追いかけたのは良かったが、どうやら出番はなかったようだ。


「あの、ありがとうございます」


 少女がエリスにお礼を言う。

 フルフェイスを外しながら、エリスは何でもないというように首を振った。

 エリスの素顔に一瞬面くらった様子の少女だったが、すぐに気を持ち直して再度エリスに頭を下げる。


「その、本当にありがとうございます」

「気にするな。ああ言う連中は相手にしない方がいい。それにしても見ない顔だな?」

「はい、この建物には初めて来たものでして」


 少女は今日が初ギルドだったらしい。

 道理で挙動不審だったわけだ、とエリスが納得したようにうなずく。


「私はエリスだ。先ほどから見ていたが貴方は少し危なっかしい。よければ案内しようか? いいだろう、拓巳?」

「ん? あぁ、エリスがそうしたいなら俺に異論はないよ」


 いきなり話を振られて戸惑う拓巳。エリスの視線につられてか、黒髪の少女の顔も拓巳のほうにむけられる。そこで、拓巳は初めてその少女の顔を真正面から見た。


 腰のあたりまで伸ばされた艶やかな長い黒髪。濡れ烏を思わせる髪の色は、桜の花びらの文様をあしらえた白い着物によく生えている。着物の白と髪の黒の中に控えめに存在する桜と唇の桃色がよいアクセントになって、彼女の美しさを引き立たせていた。長いまつげは大きな瞳をよりパッチリとした印象に。瞳の色は淡い青。ほのかに薄紅色に染まる頬が愛らしい。


 有体に言えば、とんでもない美少女だ。


 しかし、拓巳が衝撃を受けたのはそこではなかった。


 彫りの浅い顔立ちに黒い髪。肌は雪のように白いが、白人種のような白さではない。彼女は極めて日本風の顔立ちなのだ。


 こちらの世界に来てから、拓巳は自身以外にアジア系の顔立ちをしている者を見たことがなかった。

拓巳は目の前の少女の存在に少なくない衝撃を受ける。


 少女の方も拓巳の反応を疑問に思ったのか、一瞬だけ首をかしげる素振りを見せる。

 しかしすぐに勘違いと判断したのだろう、エリスに向き直って話し出した。


「でも……案内してもらうなんて、ご迷惑では」

「遠慮するな。貴方のような人を見ると放っておけない性分なんだ」


 そんなことを言うエリスに、拓巳は苦笑いをこぼす。確かに拓巳も、そんなエリスの性分に救われたのは間違いない。

 戸惑う少女に近寄り、エリスは半ば強引にその手を取ろうとする。


 その時だった。


 ピキピキッ  「だめですっ!!!!」


 少女がそう叫んだ。それに合わせて、エリスも「ぐっ」とくぐもった声を上げる。


 何事かと拓巳が見ると、少女の手をとろうと差し出されていたエリスの腕が凍っていた。正確には、エリスの腕にはめられていたガントレットの表面に氷が張っている。


「拓巳ぃ…冷たい……」

「うわっ! エリス! そのガントレット今すぐ外せ! 凍傷になるぞ!」


 涙目でこちらを振り返るエリス。そんなエリスを見て、拓巳は慌ててガントレットを外させる。

ことの発端になったのであろう少女はというと、そんな拓巳たちをみて「ごめんなさいっごめんなさいっ」とペコペコ繰り返し頭を下げ続けていた。





「雪女?」

「はい。申し遅れました、わたしは雪女のワタユキと言います。ここより東、倭という国からやってまいりました」


 そう言って、ワタユキが微笑む。

 エリスの件が落ち着いた後、拓巳とエリスは少女を連れて元の酒場の席へと戻ってきていた。

 そこで少女に話を聞こうと思った拓巳だったが、少女の口から飛び出た言葉にまたもや衝撃を受けることになった。


 雪女。

 日本各地に伝説が残っている有名な妖怪だ。諸説あるが、どの言い伝えでも、美しい女の姿をしており、死者が着る白装束を身にまとっているとされる。人間を凍死させたり人間の精気を吸ったりする妖怪として、日本各地で広く恐れられていた。


 拓巳はこの世界を中世ヨーロッパのような世界なのだと思い込んでいた。実際、建物や人々の身なりも昔映画で見た中世ヨーロッパのそれであったし、デュラハンやコボルト、エルフなどはヨーロッパに伝承が残っている生き物だ。


 しかし、目の前の雪女を名乗る少女はあまりに日本的だった。雪女という種族、着ている白装束、長い黒髪、綿雪という名前。どれをとっても純和風だ。


「ん…? そういえば」


 と、そこで拓巳は先ほどのワタユキの言葉に引っかかる単語を見つける。彼女は『倭』という国からやってきたと言っていた。それは確か、昔の日本の呼び名ではなかったか。

 拓巳の中で興奮が高まる。元の世界の故郷に通じる手がかりをやっと見つけたのだ。


「ワタユキさん! 貴方は日本という国から来たんじゃないのか!? そうでなくても、日本という言葉に聞き覚えは!?」

「え、あ、えと、その……」


 拓巳が机の上に身を乗り出しながら問う。バンッ、と拓巳が机をたたいた衝撃で机の上のグラスの中身がこぼれるほどだった。

 そんな拓巳の様子におろおろと困惑するワタユキ。


「少しでも知ってたら教えてくれ! ……って冷たっ!」


 ワタユキに詰め寄る拓巳だったが、ある程度の距離に近づくと極寒の雪山のような寒さを感じて後ずさる。


「すみません、雪女の性質上、わたしの両手が届く範囲には冷気が渦巻いております…。先程のエリスさんもこの冷気にやられたものかと……」


 申し訳なさそうな顔をしながらワタユキが言う。


 エリスはもともと暖かいところの生まれと聞いたことがある。比較的温暖なこの一帯では感じることのない寒さだったが故に、エリスはああも過敏に反応したのだろう。


「いや、いいよ。俺も北のほうの生まれだから寒さには慣れてるんだ。それで日本って国なんだけど…」

「すみません、聞いたことがないです」

「そっか…」


 それを聞いて、拓巳は目に見えてしゅん、としてしまった。先ほどの勢いはどこへやら、へなへなと自分の席に戻る。

 どうやらワタユキの言う『倭』と言う国と日本は、似てはいるが関係はないようだった。


(せっかく手がかりを見つけたと思ったのに……)


 拓巳が意気消沈していると、隣に座っていたエリスがそれを見かねたのか、話を進めようとワタユキに問いかける。


「ワタユキ、といったか? その、『ゆきおんな』というのは何なんだ?」


 エリスには雪女という存在は馴染みがないらしい。ワタユキが答えようと口を開くと、それより先に拓巳がグラスを手に取りながら答える。


「妖怪の一種だ。たぶんその『倭』っていう国にしかいない種族だよ……って、エリスは妖怪が分からないか。雪女っていうのは、まぁ、エリスにも分かるように説明すると『雪の妖精』みたいなもんだ」


 『妖怪』という単語に首をかしげるエリスを見て、拓巳がそう補足する。

 西洋の妖精であるデュラハンには妖怪という単語は馴染みがないのだろう。


「ふむ……イエティのようなものか?」


 的外れなエリスの言葉。

 それとはちょっと違うんだけどなぁ、と拓巳は苦笑する。


 確かイエティというのは、ネパールの少数民族『シェルパ族』の言葉が語源になっている。シェルパ族の言葉でイエティは「岩のような動物」を意味しているそうだ。目撃例はいろいろな場所にあるが、主な生息地もヒマラヤ山脈のはず。

 ヨーロッパの妖精であるデュラハンがヒマラヤに生息しているイエティのことを知っているとは、なんとも奇妙な世界だった。


「まぁとにかく、雪女ってのは雪とか氷とかをつかさどる生き物なんだよ」

「拓巳さんはお詳しいんですね」

「いや、昔聞いたことがあるだけだよ」


 感心したような表情を見せるワタユキに、拓巳がなんでもないというように首を竦める。

 そんなことより、と前置きして、拓巳は聞きたかったことをワタユキに尋ねた。


「あんなところで独りで何してたんだ? 冒険者という風でもないし、ギルドに何か用事でもあったのか?」


 拓巳の疑問に、ワタユキがおずおずと答える。


「実はここで働いているという知人に会いに来たのですが、見当たらなくて……」

「失礼だけど、その探し人の名前は?」

「それは―――」


「おやおや、ワタユキじゃないかい? こんなところで何してるんだい?」


 拓巳の質問に答えようと、ワタユキが口を開いたまさにそのとき。誰かに話をさえぎられた。


 声のした方へと顔をむけると、そこには先日拓巳たちがお世話になったカンボクという名の老婆が立っていた。


「姥ヶ火様!」


 カンボクを見て感極まったような声を上げるワタユキ。その姿を目にするやいなや、立ち上がってカンボクの方へと駆け寄っていく。

 どうやらワタユキの知人とは拓巳とエリスの登録手続きをしてくれた老婆、カンボクのことだったらしい。たしかに言われてみればカンボクという名は、和風の日本的な名前だ。


「どうしたんだい? あんたは梓野にいたはずだろう?」

「父上が姥ヶ火様に伝えたいことがあるとのことで、わたしが使いに出されたのです!」

「そうかいそうかい、雪女のあんたには長い道のりだったろうて」

「いえっ! そんなっ!」


 ワタユキの労をカンボクがねぎらうと、彼女はが恐縮したように縮こまる。

 どうやらカンボクはワタユキから見れば目上の人物らしい。


「それで姥ヶ火様には是非、わたしと一緒に梓野まで帰ってきていただきたいんです。父上は内密な話だと申しておりまして、是非姥ヶ火様と直接話がしたいと」

「そうなのかい……ただ、帰るって言ってもねぇ。ここから歩いて梓野まで行くとなると一年近くかかるだろう?」

「父上は急ぎの用ではないと申しておりました。しかしどうしても姥ヶ火様でなければならない案件らしく」

「分かったよ。でも歩いて帰るのはちと面倒だねぇ……」


 と、そこでようやく、カンボクは拓巳たちの視線に気づいたようで、ワタユキを引き連れてこちらへとやってきた。


「おや、あんたたち。昼間っから仕事せずに宴とは言いご身分じゃないかい?」

「いえ、今まさにその仕事を探してるんですが、なかなかいい仕事が見つからなくてですね」


 苦笑いしながら返事を返す。

 するとカンボクは拓巳の対面の席にドカッと座って、こう切り出した。


「そんな暇なあんたたちに一つ頼みたいことがあるんだけどいいかい?」

「頼みたいこと?」


 エリスが聞くと、カンボクは隣にいるワタユキの方を手で示す。


「わたしが留守にしている間、この子の面倒を見てほしいんだよ」

「姥ヶ火様っ!?」


 驚いたように声を上げるワタユキを放置して、カンボクが続ける。


「どうやらさっきもこの子を保護してくれたそうじゃないかい。この子はあたしの知り合いでね。出来るならわたしがこの子の面倒を見てやりたいんだけど、生憎と用事ができちまった」

「姥ヶ火様っ! 父上にはわたしが姥ヶ火様をお連れするようにと―――」

「なんだいワタユキ。あたしに歩いて梓野まで行けってかい? そんなことしてたら、あたしは老いて死んじまうよ。そうでなくても、この老体に旅はちときついんだ。年寄りに無理させるんじゃあないよ」

「そんな…」


 絶望したような表情を浮かべるワタユキ。

 だが、そんなワタユキに対して呆れた表情をしながらカンボクが言う。


「誰も行かないとは言ってないじゃないか。あたしは『姥ヶ火』だよ。歩いて行くより飛んでいった方が早いって話さ」


 とそこで、我慢できなくなった拓巳が会話をさえぎって、カンボクに疑問を投げかけた。


「あの、その『姥ヶ火』っていうのはどういう…?」


 先ほどから気になっていたのだ。拓巳の思い違いでなければ、この『姥ヶ火』というのは日本古来の妖怪の名前だ。

 拓巳の問いに、カンボクはニヤリと笑みを浮かべる。


「ああ。あんたたちには話してなかったかね。あたしは『姥ヶ火』っていう妖怪なんだよ」


 そう言った次の瞬間。


 ボッ、と音を立ててカンボクが燃え上がった。

 炎がめらめらとカンボクの全身を覆う。しかし当のカンボクはというと、余裕綽々に笑みを浮かべていた。拓巳の方にも炎の熱気が伝わってくるのだが、不思議なことに、カンボクを覆う炎が木製の机や椅子に燃え移ることは無かった。


 だがカンボクの隣に座っているワタユキは、顔を顰めてカンボクから距離を取っている。

 雪女である彼女にとって、この熱気は心地が良いものではなかったようだ。


「おっと、悪いねワタユキ」

「いえ、お気になさらないでください」


 そのことに気が付いたらしいカンボクがワタユキに謝る。

 次の瞬間から、あれ程に燃え盛っていた炎がカンボクの体へと吸い込まれてゆき、数瞬後には人の好さそうな普通の老婆だけが拓巳の目の前に座っていた。


「どうだい?驚いたかい?」


 顔をくしゃりと歪めて、楽しそうにカンボクが笑う。

 そんなカンボクを見つつ、拓巳は元の世界で聞いた姥ヶ火の伝承を思い出していた。


 姥ヶ火。

 大阪や京都に伝承の残っている怪火だ。一説では、ある老女が神社から灯りの種としての灯油を盗み出そうとした際、祟りで姥ヶ火になったのだという。火の玉のような形状をしており、その大きさは一尺、約30センチほどだったとか。火の中に老女の顔が浮かび上がることから姥ヶ火と名付けられたそうだ。


「まあ、そんなわけであたしは飛んで行った方がいろいろと楽なんだよ。だからワタユキは連れてけないんだ。その間、拓巳たちに面倒見てもらいな」


 ワタユキに言い聞かせるカンボク。

 拓巳の方はまだこの件に関して了承した覚えはなかったのだが、カンボクの中でもうこのことは決定事項のようだった。


 不安そうな表情を浮かべるワタユキに、見るものを安心させるような笑みを浮かべてカンボクが言う。


「安心おし。拓巳たちは最近の冒険者にしては珍しく礼儀正しい。あんたにも悪いようにはしないさ」

「そうではなく、父上が―――」

「あんたの親父にもわたしが話しておくから」


 カンボクにそう説得されて、しぶしぶといった様子で首を縦に振るワタユキ。それを見て安心したのか、カンボクは拓巳たちの方に向いて再度頼み込んできた。


「あんたらも頼む。これは貸しにしとくからさ」

「わたしは構わないぞ」


 エリスが即刻了承するのをみて、拓巳も覚悟を決める。

 エリスはさっきから机の上の料理を食べてばかりだったので、ちゃんと話を聞いていたのかすら怪しいのだが。

 しかしエリスの性格を考えると、この申し出を断ることはありえないだろう、と拓巳は思っていた。


「…はぁ。分かりました」

「そうかいっ!そりゃ良かった!ワタユキにはあんたらの仕事を手伝わせていいからね。これでも雪女だ、人間のあんたより遥かに強いだろう」

「…そうですか」


 暗に弱っちいと言われたようで、地味にへこむ拓巳。

 そんな拓巳に、ワタユキは微笑を浮かべつつ言う。


「では、これからよろしくお願いしますね」


 こうして、拓巳たちのパーティに新たなるメンバーがひとり加わったのだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ