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(十二)

「良くないね」

 長兄の友人である鈴村先生は、左手の親指でこめかみの辺りを摩りなから言った。先生は療養所の医師で、尚さんの主治医でもある。

 ある日の見舞いの際、廊下で鈴村先生と行き会った。それで思い切って立ち話でいいからと時間を割いてもらったのだった。

 週に一度、土曜の午後に尚さんを見舞っている。九月に再会して以来欠かさず、二ヶ月が経っていた。尚さんは相変わらず痩せこけて青白いままで、回復がはかばかしくない。会う度に寝付く時間が長くなっているように思えて、気になっていた。

「薬は確かに効いていてね、肺もだんだんときれいになっているんだよ。ただねぇ、食が細くてね。この病気は何より栄養を取らなけりゃいけない。点滴もしているんだが、ちゃんと固形物を口にしないと。どうも、生きる意欲が希薄な気がするね」

「生きる意欲が」

 おそらく希薄になった理由は、私の不注意にある。信乃さんと容子さんの死をごまかしきれなかった。

 あの時、私の手首を掴んだ尚さんの指があまりに細く、それでいてしっかりと意志を持っていたので、平静心を保てなくて嘘をつけなかった。いや、方便か。いずれにしても私は、尚さんが生きて日本に戻る糧にしていたものの一つを奪ってしまった。すでに家族を失っている尚さんに、追い討ちをかけてしまった。

 残ったのが私ではなく信乃さんであったら、あるいは容子さんであったら、今の私と同じ状況にはならなかっただろう。しかし、残ったのは私だ。支えるにはあまりにも未熟だった。出来ることと言えば、尚さんから逃げずに見舞いに訪れることだけ。

「病は気からと言うだろう? いくら良い薬を使っても、本人に治ろうとする強い気持ちがないことにはね」

 鈴村先生はそう言うと、看護婦に呼ばれ病室へと入って行った。その後姿に頭を下げて、尚さんのいる病室に向かう。

 尚さんは個室から四人部屋に移っていた。重篤な時期は過ぎたと言う判断である。回復は遅れているものの、原発の病は治療の効果が出ていると鈴村医師は言った。まだ若いし、抵抗力がつきさえすれば目覚しく回復するに違いないのだ。あとは本人の治ろうとする気力。

 病室に尚さんの姿はなかった。

「今日は暖かいから外に出てらっしゃいますよ」

 隣のベッドの患者を看ていた看護婦が教えてくれた。私は手に持った紙袋を尚さんのベッドに一旦置いたが、思い直してまた手にし、庭に向かった。紙袋の中には見舞いのカステラが入っている。食べ易いように母が切り分けて紙に包んでくれたものだ。

 庭に出ると、秋の深まりが感じられた。暖かいとは言え空気はひんやりとしていて、上着の襟を立てた。ところどころ日当たりの良い場所にベンチが設えてあり、体調の良い患者が出て日向ぼっこをしている。その中に尚さんの姿もあった。

 尚さんは一人で、毛布に包まって座っていた。ぼんやりと木々の枝の先を見上げている。伸びた髪が時折風に揺れていた。

「尚さん」

 声をかけると、顔をこちらに向けた。私は紙袋を掲げて見せ、彼の元に足を進めて隣に座った。

「庭に出るなんて、今日は調子がいいの? これ、カステラ」

 カステラの包みを開け、一切れ、尚さんに差し出した。彼は首を振って、「今はいい」と取らない。

「大好物だったじゃない。これなら食べられるだろう?」

 卵や蜂蜜をたっぷり使ったカステラだった。少しでも尚さんに栄養を取ってもらいたい私の気持を汲んだ母が、知り合いの菓子職人に頼んでくれたのだ。家族を失った尚さんに「母」と言う言葉は聞かせたくなかったので、そのことは伏せた。

「あとでいただくよ」

「そう言って、この前のりんごも食べなかったじゃないか」

 私は前で合わせた毛布の中から彼の手を引き出し、カステラを強引に持たせた。尚さんはそれを黙って見つめる。表情に生気がない。

「ちゃんと食べないと」

「欲しくない」

「良くならないよ」

「良くなっても」

 言いかけて尚さんは言葉を切った。それから、「そうだな」と言い直して、カステラを見つめた。食べる気になったのかと私を刹那喜ばせたが、結局、カステラは彼の手の中に留まったままで、口には運ばれなかった。

 口数も日に日に少なくなるし、それでも心配させてはいけないと思うのか笑ってはくれる。ただ、楽しいとか面白いとかではなく、笑わなければと言う使命感に似たものを感じた。いつかその笑みも浮かばなくなるかも知れない。

 雲が出て日差しを遮ると、秋の気温は途端に下がる。身体を包む空気が冷たくなった。尚さんからカステラを引き取ると、彼の手を毛布の中に戻して毛布の合わせを直した。

「部屋に戻ろうか。寒くなってきたから」

 尚さんは頷いて立ち上がる。痩せて弱った足が体重を上手く乗せきれずに傾いだので、私は慌てて腕を回して肩を掴んだ。細い肩だった。彼より身長のない私でも容易に支えられるほど身体は軽く頼りない。

 尚さんを病室に連れ戻り、ベッドに寝かせた。いつでも食べられるように、枕元にカステラの包みを置く。おそらく本人の胃に全部は入らないだろう。前回持参したりんごは、同室の患者達に配ってしまったと真之君から聞いていた。せめて一切れでも食べて欲しいと思った。

 見舞いに訪れると一週間にあった市井の出来事や、学校のことを話し、尚さんが疲れを見せる頃を見計らって帰ることにしているが、ここのところ滞在時間はどんどん短くなっていた。疲れやすくなっているのだ。抵抗力が落ちている証拠だった。

 庭から戻った尚さんは、やはりベッドに入るとすぐにうとうとし始めた。心なしか血色は良いが、微熱のせいかも知れない。シーツの色に負けないくらい白くなった尚さんに、ほんのりと頬に紅が差したように見える日がある。それはたいてい微熱によるもので、健康的とは言いがたかった。

「今日はもう帰るね。尚さん、ちゃんとカステラ、食べてくれよ?」

 私がそう言うと、彼は薄く目を開けて「わかった」と、優しい嘘を吐いた。




 気の重さを伴いながら、帰路につく。

 どうしたら尚さんにもう一度、気力を与えられるのか。やはり私では無理なのか。帰る間中、そればかりが頭の中を巡った。

 町は日に日に復興している。人も物も戻って来た。急速に戦争を過去に押しやっているようにも見える。先に進まなければならない気概を、人々の表情からは受け取れた。「戦後」は遠くなりつつあった。

 しかし尚さんにとってはまだ「戦後」は続いている。五年もの間の厳しい抑留生活を耐え、やっとのことで戻った祖国に家族はいなかった。思い出の品も家と共に焼け、青春の時間を共有した友人も失った。皆が五年かけて癒しつつある傷も、尚さんにとってはまだ新しい。「頑張れ」と言うには日が浅すぎる。癒せと言う方が無理なのだ――などと考えながら歩いていた私は、いつの間にか帰路から外れ、脇道に入っていた。

「しまった、道を間違えたか。ここはどの辺りだろう?」

 見覚えのない街並みだった。昭和二十年の空襲で奇跡的に焼け残ったらしい古い商店が、軒を並べている。

 見回す中で一軒の店が目についた。ショーウインドウが申し訳程度についた質店だ。そのショーウインドウには懐中時計や万年筆など細々したものが並べられていたが、品数は多くない。店内との間仕切りの衝立の横から中が覗えた。柱時計はこの店のものか、それとも質流れ品か。

 通り過ぎようとした私の視界に、それは引っかかった。「あれは」と思うより先に手は格子の引き戸にかかっていた。

 カランカランと戸に付けられた鈴が鳴り、奥から丸眼鏡の親仁(おやじ)が出てきた。

「いらっしゃい」

 かけられた言葉に応えもせず、それの前に立った。

 無雑作に棚に並べられていたのは、女性的な曲線が美しいヴァイオリン。ケースも弓もなく、楽器本体だけが陶器用皿立てに乗せられている。倒れないようにネックの部分が凧糸で皿立てに固定してあった。よくよく見ると、新品であったとしても安物だ。細かい疵が表、裏、側板についていた。

 弦は四本張られている。指で(はじ)くと、ちゃんと音が鳴った。

 私の耳にもう何年も忘れていた尚さんの「音」が甦った。


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