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(十一)

 出征して足掛け七年の月日が経っていた。

 尚さんを乗せた引き揚げ船は昭和二十五年の六月の末に舞鶴に入港したが、すぐには東京に戻れなかった。彼の身体は酷く衰弱し、それ以上の長旅に耐えられないと判断されたのだ。

 シベリアでの抑留生活の過酷さは、先に帰還した元日本兵の話で聞き知っていた。引渡しが始まってから大勢が帰国したように思えたが、収容所での生活で亡くなった人数はそれの何倍、何十倍にも及ぶと言う。生きて祖国の地を踏むことは奇跡に近かったと口に出す人もいれば、帰った姿で偲ばれる人もいた。また目の前に祖国の山並みを見ながら、船の中で息絶えた人もいると聞く。尚さんは二番目の、「偲ばれる」部類だった。船が着岸するや、すぐに赤十字の用意した車で舞鶴市内の病院に搬送され、入院を余儀なくされた。

「ひと月は動かせないだろうと言うことです」

 勤めを休んで尚さんを迎えに行った真之君が、家に帰る前に私の所に寄ってくれた。

「尚さんはそんなに?」

「実は胸を患っているらしく、こっちに帰っても療養所に入らないといけないみたいです」

「胸を」

 私は口ごもる。

 胸を患うとはすなわち結核のことだ。死病のイメージが当時はまだ根強かった。実際は戦前・戦中や戦直後に比べ、医学の進歩と食生活の改善で死亡率が劇的に下がり、「イコール死」とは必ずしも言えなくなっていたのだが。

 東京で療養所と言えば、中野だろう。

「あそこなら国の直轄になったし、良い手当てが受けられる。僕の友人が勤めているから、それとなく気にかけてもらおう」

 長兄がそう言ってくれたので、私は少しホッとした。

 尚さんは長距離を移動出来るまでの体力の回復を待つべく、入院を更に一ヶ月延ばし、暑さが和らいだ九月の始めに東京に帰ってきた。当初の予定通り、中野にあるサナトリウムにそのまま入院した。

 回復した体力は長旅で使い果たされたのか、尚さんの見舞いには半月待たされた。彼はかなり弱っているようだった。容態を問い合わせてくれた長兄によると、結核の方はそれほど進行したものではなく、時間はかかるかも知れないが投薬での完治は難しくない状態なのだそうだ。ただ体力の低下が著しく、予断は許されない。ゆえにしばらく面会謝絶の措置を取っているとのことだった。

 心の準備と言う点で、尚さんとの再会がのびのびになるのはありがたかった。

 正直なところ、会うのが怖かった。病気が理由ではない。会えば尚さんに信乃さんや容子さんのことを話さなければならないからだ。すでに親族から二人の死について聞いているかも知れないが、聞いていたとしても私が話さなければならないと思った。それを聞いた時の尚さんの反応が想像出来ず怖かった。




 九月の下旬になって、やっと尚さんの面会謝絶は解除された。

 私の胃は、期待と不安で痛んだ。初対面で人と会う時の緊張に似ている。最初になんと言葉をかけたらよいのだろうかと迷った。

 尚さんが入院した療養所は鬱蒼とした森の中にあった。立派な枝を空に伸ばし、緑の葉を繁らせた太く大きな樹が多いのは、光合成によって作り出される新鮮な空気を得るために、植え育てられているからだった。

 戦争で焼け野原となった東京は日々復興している。整地され、新しい建物の建築が急がれ、首都機能を取り戻すために時間がどんどん進んでいた。そんな中にあって、療養所は取り残されたかのようなひっそりとした佇まいだ。

 尚さんは個室を与えられていた。個室は肺切除の術後患者や重症者が使用するためのもので私を不安にさせたが、彼の場合は体調が安定するまでの応急措置であった。

 扉を小突くと、「どうぞ」と声がした。懐かしい尚さんの声だ。開けると反対側の窓から入った涼やかな風が吹き抜けて行った。ベッドはその窓際に置かれている。彼は身を起こして座り、入ってくる私を見ていた。

 私は絶句した。

 私の知っている尚さんは、ヴァイオリンを弾くからと言って決して青白い芸術家肌の風貌ではなかった。幼い頃から剣道にも親しんでいたので、長身に見合う筋肉質な体格をしていた。音楽学校の学生だと言うと、たいていの人が驚いたものだ。

 ヴァイオリンを構えた時に上腕の筋肉が浮かんで、信乃さんからよく「演奏家の腕じゃない」とからかわれていた。

「よう、来たな」

 私が音楽学校に入学した折にかけてくれた同じ言葉と声で迎えてくれた。しかしベッドの上の尚さんに、その当時の面影はない。

 頬はこけ、顎は細く尖っている。胸はすっかり薄くなり、鎖骨が異様に浮き出ていた。寝巻きの袖から出ている腕は筋肉の欠片も見当たらず、白い手首に血管が青く透けているが、それはそこだけにかぎらない。全体的に青白いのだ。日焼けした印象しかなかったのに、健康的な色はどこにも見出せない。頬骨の高いところと、鼻の先の辺りが帯となって黒ずんでいた。過酷なシベリアの冬を何度も過ごした際の凍傷の名残だと思われる。

 私が言葉に詰まっていると、

「これでもずい分、肉がついた方なんだぞ。少しはマシになるように、わざわざ面会謝絶にしてもらったのに」

 尚さんは本気とも冗談とも取れる物言いで笑った。それからベッドのすぐ傍に置かれたスツールを指差し、私に座るように勧めた。

 義足にすっかり慣れたとは言え、左足を引きずることは隠せない。座る時もどこか不自然な動きになる。尚さんはそんな私をじっと見つめていた。

「足は大丈夫なのか? 切断したと信乃の手紙に書いてあったけど」

 思いがけず信乃さんの名前が尚さんの口から出て、私の視線は彼に向けられ固まった。

 尚さんはごく普通に信乃さんの名を出した。帰国してすでに三月(みつき)になろうとしていたが、信乃さんと容子さんのことは伏せられている。家族を失ったことを尚さんは受け入れてはいるが、動揺しているに違いなく、これ以上の悲報は生きる気力を奪いかねないと判断されたのだ。もちろん尚さんは二人のことを尋ねた。それに対する真之君達家族の答えは、「池辺さんはいまだ行方不明だが、同様にどこかの収容所にいるのかも知れない」、そして「鶴原さんは実家のある岡山に帰ったまま連絡が取れない」だった。見舞うにあたって彼らから、聞かれないかぎり二人のことは話題にせず、聞かれたとしても話を合わせて欲しいと頼まれていた。

 それが、のっけから危うくなる。

「だ、大丈夫だよ。義足もあるし、歩くには不自由しないから」

 さりげなく固まった視線を緩めた。気づかれただろうかと緊張したが、尚さんは穏やかな口調で「そうか」と言い、

「左足ならペダルを踏むのに不自由しないな。中学校の教師になったんだって? ピアノは続けているのか?」

と続けた。話題が信乃さんに及ばず、ほっとする。

 ピアノは卒業して以来、ほとんど弾いていなかった。自宅にあるアップライトピアノは、昭和二十年五月の空襲の際に水を被って放置され、戦争が終わって修理に出す頃には中をすっかり交換しなければならないほど、ひどい状態になっていた。経済的余裕のない時期、全面的な修理も買い替えも諦め、在学中は校内のピアノで凌いだ。教職についた後は独奏用に練習する必要もなくなり、ピアノは授業で子供達を歌わせるために教室で弾く以外、触れることはなくなった。

 答えられずにいることが答えとなり、尚さんは理解したようで、それ以上は私のピアノについて云々することはなかった。

 会話は続かない。戦場やシベリアの収容所のことを尚さんに聞くのは憚られた。会わなかった七年には、二人にとって楽しい思い出はない。内地にいた私でさえ思い出したくない日々だ。異国の戦場で苦労した尚さんにとっては尚更で、おのずと互いの口は重くなる。

 そしてあの二人のことは真之君達との約束通り、私からは触れなかった。名前が出たのは尚さんが口にしたあの一度きり。二人のことを話題にしない不自然さに、きっと尚さんは気づいている。

「尚さん、疲れたんじゃあないかい?」

 尚さんの目の下に、色濃く隈が浮かび始めた。それほど時間は経っていなかったが、やはりまだ身体の調子はよくないのだ。

「大丈夫だ。でも、失礼して横にならせてもらうよ」

 そう言うより早く、尚さんは身体をベッドに横たえた。薄い夏用の上掛けを肩まで引き上げるのを手伝った。尚さんは本当に細く小さくなってしまって、痛々しいほどだ。

「今日はもうこれで帰るよ。また見舞いに来てもいいかな?」

「もちろん。でも胸も思ったほど重くないようだし、しばらくしたらここを出られるらしいから、それからでも良いんだぞ?」

「また来るよ」

 彼の腕に軽く触れた。手のひらには骨ばった感触。これでマシになったと言うのなら、帰り着いた時はどれほど酷い状態だったのか。

 腕から離れようとした私の手首を、尚さんのもう一方の手が掴んだ。終始穏やかだった彼の目は、間近の私を鋭く見つめる。その目が語るものを、私は読み取った。聞かないで欲しいと思ったことを、ついに尚さんが口にした。

「信乃と容子はどうしている?」

 私を見つめる尚さんから目を逸らすことが出来ず沈黙した。


『信乃さんは行方が知れず、尚さん同様、どこかの収容所にいるのかも知れない』

『容子さんは岡山の実家に帰ったまま、東京には戻っていない』


 打ち合わせた「彼らのいない理由」――それを言えば済むことなのに、私は表情を取り繕うことが出来なかった。自分の心臓の音が、身体中に響き渡る。呼応して脈が速くなっていた。手首から尚さんにも伝わっているはずだ。

「死んだのか?」

 尚さんの手に力が入る。

「尚さん」

「死んだんだな?」

(だめだ)

 耐え切れなくなって目を伏せた。途端、尚さんの手の力は抜け、私の手首を離した。

 立ちすくんで凝視する私に、尚さんは笑んだ。儚い、消え入ってしまいそうなほどに儚い笑みだった。それから「気をつけて帰れよ」と言うと、私から視線を外し、上を向いて目を閉じた。

 病室を出る時に尚さんを振り返って見た。彼は目を閉じたまま、動かなかった。


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