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「随分と浮かない表情をしているね。」
不意に背後から声が掛けられた。
環那は声の正体を確認しようと出処に視線を向けたが、丁度彼のいる場所に陰が差し、その姿はこちらからは認識出来ない。
しかし、声の低さから、その人影は男性であることが伺える。
「この王宮で、何か君の機嫌を損ねることでもあったのかな?」
その口調と言葉から、彼が王宮に滞在している位の高い貴族の子息なのだと、環那は予想する。
「いいえ。貴方様のお気になさることではありません。」
今会ったばかりの、それも顔も知らぬ他人に話すことではない。
そう思い、言葉を発せば、彼は一歩また一歩と足を踏み出した。
陰に包まれていた彼の姿が、徐々に明らかになっていく。
「他人行儀だね。悲しいな。」
彼が完全に環那が認識出来るところまで姿を現した。
沈む夕陽に照らされたその姿は気高く、怜悧ながらも、どこか野性的なものを感じさせる。
彼は人間ならざる瞳孔の鋭い、切れ長の氷晶の瞳でじっと環那を見詰めていた。
蝋細工の様な、はたまたアンティークドールの様な人間離れした、その秀麗な眉目に穴が開くほど見詰められ、環那はあからさまに彼から視線を外し、目を伏せた。
環那の漆黒の瞳を長い睫毛が蓋をする。
彼女の母国では、この様に異性から直球な視線を投げ掛けられることは無かった。
多くは御簾と呼ばれる薄いすだれや、無ければ扇子などで異性の視線を遮る。
奥ゆかしく、謙虚な国であった母国では、その様なことは不躾にあたるからだ。
この国に来てからは、そういう視線にも慣れつつあったが、流石に彼の様に真っ直ぐな射られる様な瞳は慣れるほど経験していない。
「僕は君だけのもので、君は僕だけのものだろう?」
「……………え?」
目の前の男は何を言っているのだろうか。
その言い方では、まるで。
まるで、彼が環那の竜、ランスロット卿の様ではないか。
そんな思いが環那の脳裏を巡った。
それと同時に、彼はふっと裏がある様な微笑を零したかと思うと、唐突に彼はバルコニーから飛び降りた。
驚愕に彩られた環那を、その氷晶の瞳に映しながら、彼は環那の視界から消える。
一瞬遅れて、環那は柵まで駆け寄った。
その瞬間、突風が吹き荒れ、環那の黒髪やスカートの裾が激しく舞う。
「……………っ!?」
環那が柵から身を乗り出して下を見たときには、既に見える範囲に青年の姿は無かった。
最悪の場合が、環那の胸中に燻る。
「ふふ、心配しなくとも僕は生きているよ。」
刹那、青年の声が環那に届いた。
思わず、環那は周りを四顧して、青年の姿を探す。
しかし、どこにも青年の姿は見えない。
環那が不安そうに眉を顰めて、一歩を踏み出したそのとき、再び風が舞う。
先程の突風とは違い、ふわりと環那を撫でる風に、不意に環那は頭上を仰ぎ見た。