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数時間後、環那を乗せた馬車は王宮の正門を潜り、城内の敷地に入っていた。
豪華なシンメトリーの庭園に出迎えられ、環那は思わず、移り変わる景色に目を奪われる。流石は皇帝の御座す宮殿というところか。
庭園に目を奪われ、恍惚とした表情を浮かべている環那を、ヘイルは微笑ましげに見ていた。
「花はお好きですか?」
唐突にヘイルが問う。少しばかり不思議に思った環那だったが、その通りだったので素直に頷いた。
「それは良かったです。ジエロ領には花を含め、綺麗なものがたくさんありますから。きっと貴女にも気に入って頂けることでしょう。」
竜の花嫁になることに消極的な環那に興味を持ってもらえるよう、ヘイルは故郷であるジエロ領特有の生命や現象について話し始めた。
ジエロ領は氷竜の住まう場所。そこはこの大陸の東に存在すると言われているが、正確には東北にある。平地ではなく、標高の高い山岳地帯に居を構えており、寒冷な環境の中で生活している。
故に、ここでしか見られないものも多数あるのだ。
そういったものに、環那が関心を持ってくれれば嬉しい、とヘイルは言った。
「あの……ランスロット卿は王宮にいらっしゃるんでしょうか?」
「いいえ。今はいらっしゃいません。彼の御方は今夜、貴女をお迎えに馳せることでしょう。本当は貴女とご自身の誕生日である昨晩にいらっしゃる予定だった様ですが、竜の方にも色々と準備がございますので。」
申し訳ありませんでした。と頭を下げるヘイルに、環那は首を横に振った。
そうやって話している内に、馬車は王宮の入口に着いたらしく、静かに停車した。
「さあ、環那様。行きましょう。」
馬車から降りる際には執事の様に環那の手を取りながら、ヘイルは環那を導く様に数歩前を歩き出す。その足取りは離宮へと向かっている様だ。
色とりどりの薔薇園を抜けると、王宮とそう変わらぬ装飾を纏った離宮が露わになる。
この東の離宮は、元々は代々の王妃のためのものだったらしいが、今では来賓用の客室として使われている。
その最上階の一室を環那は宛てがわれているのだ。
「申し訳ありませんが、夕食はこちらの部屋で取って頂くことになります。ランスロット卿は花嫁を他人に見せびらかすことを良しとしない御方ですので。」
「それは構いません。」
寧ろ、そんな煌びやかな待遇を受けてはこちらが恐縮してしまう。
確かに自分は伯爵令嬢だ。周りはそれなりの態度を取るだろう。
しかし、元はと言えば、リッツェベルト伯爵家に引き取られた養子に過ぎない。
王宮で、そんな待遇をされる様な人間ではないのだ。
ふと、環那は安堵の溜息を吐いた。
その後、ヘイルが部屋を後にすると、環那は何となくバルコニーへ続くガラス張りの扉を開いた。
ふわりと環那の髪やスカートの裾が微風によって緩やかに揺れ、徐々に西の彼方へ沈みゆく茜色の陽の光が環那を照らす。
ヘイルにはランスロット卿との婚姻は余り気が進まないとオブラートに包んで言ったが、本当のところは婚約破棄出来るものなら、申し訳ないとは思うが迷わず破棄していただろうし、自身を羨む令嬢に“花嫁”という立場を譲っていたに違いない。
しかし、数少ない人間の竜の伴侶という立場を公に辞退することは出来ないに等しい。
この大陸の守り神である竜からの婚姻の申し出を断った者など、存在しないからだ。