お呼びでない非日常
誰かを殺せば《業》が溜まる。
誰かを傷付けても《業》が溜まる。
誰かを救えば《業》が減る。
誰かを癒しても《業》が減る。
ありとあらゆる行為がつぶさに数値化され、その結果としての《業》が金銭的な価値を持つ。
《アンダーグラウンド》とはそういう世界。
叶の《業》は、叶のIDをとうに赤く染めていた。
俗に言う《赤札》。
叶の命には、100KGを優に超えるほどの価値がある。
誰かを殺すことで日銭を稼ぐ叶は、狩人であると同時に誰かの獲物でもあった。
とはいえ、《赤札》歴百年以上の人外を獲物にするような賞金稼ぎもそういない。
ただ、皆無とはいかなかった。命知らずはどこにでもいる。なにせ、叶はある意味「狙い目」だ。
腕に覚えがあるならわざわざ「狙撃」を選ぶ必要はない。
殺し方によって《業》のつき方はそう変わらない。
仕事で人を殺すなら、手早く確実に。それがセオリー。
ならば何故、《Q》は狙撃手なのか。
近接戦闘に持ち込めば仕留められるに違いない。
そう考える阿呆がたまにいる。
確かに叶は弱い。参にも勝てないほどには弱い。
それでも、竜だ。
いくら、人工島に人外が珍しくないとはいえ。
いくら、普段は魔改造された道具頼りに仕事をこなしているとはいえ。
いくら、魔力を生み出す《マナ》が欠陥品とはいえ。
たった一匹の吸血鬼になど負けはしない。
「ど畜生がっ」
なんて最期の言葉だと、叶は素直に呆れて嗤った。
「それはこっちの台詞だよ」
そして、容赦なく踏みつけた男の頭蓋を踏み砕く。
和斗に渡された情報通りの狙撃地点を訪れて、しばらく経った後のこと。
「急ぎの仕事だってのに…」
襲撃者とやり合っている間にタイミングはずらされ、叶は次のポイントへの移動を余儀なくされる。
周囲に余計な風はなく、到着のタイミングとて何事もなければ完璧だったのに…と、嘆いた。
そのまま後ろへばったり。
「あーあ…」
仕事の仕度をしている真最中に、背後から。気配を絶つことに長けた吸血鬼に襲われたものだから。
叶は首の付け根の肉をごっそりと喰い千切られていた。
もちろん、その程度の手傷で死ぬことはない。
心配――そして、憂鬱――なのは他のこと。
感染力の強い血族だったらどうしよう…と、貧血にくらくらしてきた頭で考える。
(というか、これ私が《Q》とかそういうの関係なく襲われたんじゃないか…)
背後から首筋にがぶり、なんて。いかにも飢えた吸血鬼が――手当たり次第に食事をしようと――やりそうな行動だと、今更ながらに叶は思い至った。
ありがちな襲撃だ、という咄嗟の思い込みもそのまま返り討ちにしてしまったあたり、自分も随分頭に血が上っていたらしい…と。
なんやかんや考えているうちに、IDの回収役として別行動をとっていた参が戻ってくる。
「――――!!」
どうか、気を利かせて仕事を済ませていて――。
そんなことを思いながら、叶は意識を手放した。
貧血で。
(なんでなんでなんでなんでなんで…!)
一方。
叶が引き金を引かなかったことに異変を感じ、文字通り駆けつけてきた参は気が気でない。
屋上は酷い有様だった。
体をズタズタに引き裂かれ、頭を潰された男の死体が一つ。
生きてはいるが、倒れた叶も一目見てぞっとしてしまうほどに血塗れ。
灰色のコンクリートは、どこもかしこもバケツでぶちまけたよう鮮血に赤く濡れていた。
人一人が流せる量の血ではない。
明らかに二人分。
頭に血が上ると周りが見えなくなるのは叶の悪い癖だ。
(止血くらいしてから戦えばよかったのに!)
後で絶対怒られる。
だけど、自業自得だ。
参は血塗れの叶に応急処置を施し、革張りの座席が汚れるのも構わずトライクのサイドシートへ放り込んだ。
《アンダーグラウンド》は、剣と魔法の《魔女の棲む森》と対をなす、金と暴力の世界。自前の魔力を操り肉体を強化する程度のことはできても、体の外へ出して明らかな「魔法」を使うことはできない。
これが人工島でのことなら空間転移が使えるのに。
どうしようもないことを考えながら、「荒い」だの「スピード狂」だの、普段から叶に散々文句を言われている通りの運転で参はトライクを走らせた。
人外が医者にかかることはそうない。
目指すは《アンダーグラウンド》での自宅。
体力が規定値を下回り「瀕死」状態になると、人工島への復帰を制限する――俗に「レッドライン」と呼ばれる――機能さえ存在するような《アンダーグラウンド》では、そもそも復帰可能な場所が限られている。
血塗れの叶を連れて、街の中心部にあるポータルへ向かうわけにもいかなかった。
汚した上にトライクを放置したとなれば、たとえ「叶のため」という大義名分があったとしても参はしばらく口も利いてもらえなくなるに違いない。それ以前に、叶が人工島へ復帰できるという保証もなかった。漁夫の利を狙った有象無象に襲われる可能性とて大いに有り得る。
参に残された選択肢は一つ。可及的速やかに、叶が《安全地帯》と定義した場所へ駆け込むこと。
叶と参の《ホーム》は六階建ての雑居ビル。一階フロア半分が地下駐車場への下り口になっていて、ぽっかりと暗く開いた穴へ参はスピードも落とさず飛び込み、地下三階までをけたたましく駆け抜け、巨大な業務用エレベーターに突っ込んだ。
入り口脇のコンソールへ叩きつけるよう端末を押し付け、幾つものセキュリティを立て続けにパスする。
左右から広がるように伸びた柵が入り口を閉鎖。トライクごと叶と参を乗せたケージが地下三階から更に下へと動き出せば、その時点で《ホーム》へ入ったものとシステム的には判定される。
その時点で叶を――こんな時のための、と言えるパートナー権限を使い――《アンダーグラウンド》から放り出そうとした参は、今の状況以上に最低な事実を突きつけられる。
レッドラインだ。
(お呼びでない非日常/Qと参。さんした)




