Scene.96「まもるんだ」
男の子にとって、男性がお父さんになってしばらく経ちました。
ある日、男の子はお父さんについて、山の中にあるという幻の里を訪ねることになりました。
お父さんと男の子以外にも、警察だというおじさんや、お父さんの護衛だという黒い服を着たお兄さんも一緒でした。
たくさんの人と一緒だったため、男の子は遠足か何かだと思っていましたが、その里があるという山を見て、言葉を失いました。
山の一部が、完全に闇で覆われていたのです。
お父さんは、男の子に説明しました。
この山の中には、昔から異能と呼ばれる力を研究していた一族が暮らしていたと。
現代においては、許されざる研究を行い、自分よりも早く異能の研究を行っていた者たちに、会いに来たと。
男の子は聞きました。
いけないことをしている人たちに、会いに行くの?
お父さんは答えます。
だから、会いに行くのだ。その研究を止めさせるために。
男の子は、だから警察の人や、護衛の人が一緒だったのかと納得しました。
お父さんは、説明を続けます。
その里の場所は、長らく不明のままであったが、あの闇のおかげで場所が把握できた。だが。
お父さんは一旦言葉を切り、それから男の子を見つめました。
あの場所へ行くためには、お前の力が必要なのだ。
男の子は、お父さんを見上げます。
お父さんは、そのために僕を子供にしたの?
お父さんは、首を横に振りました。
いいや。例えあの場所が一生わからずとも、私はお前を子供にした。
男の子は一度だけ俯き、それから顔を上げてお父さんをまっすぐに見つめました。
僕は、何をしたらいいの?
お父さんは微かに目を見開き、それから申し訳なさそうに男の子へ言いました。
まずは、あの闇に近づく。
お父さんの言葉を聞き、男の子たちは皆、闇に向かって歩き出します。
山の中に入り、さほど歩かないうちに、男の子たちは闇のすぐそばまで近づくことができました。
闇はまるで霧か何かのように森を覆い隠し、そして生き物のように蠢いていました。
その闇を前に、お父さんは説明します。
私たちがここに来る前に、何人かがこの闇を調べようと近づいた。だが、結局誰一人として戻ってくることはなかった。
どうして?と男の子は尋ねました。
わからない、とお父さんは首を横に振りました。
おそらく、闇の中で囚われていると考えられる。だが、無事なのかどうかははっきりしていない。
お父さんは、男の子の肩に手を置きました。
お前の力は、様々なものに効く。ひょっとしたらこの闇にも効くかもしれない。
お父さんの言葉に、男の子は少しだけ戸惑います。
男の子は、自分と同じような……お父さんの言う、異能という力を持った人を他に知りません。
なので、男の子の炎が、この闇に必ず効くとは限らないのです。
男の子の戸惑いを察し、お父さんは優しく言います。
駄目だと思うなら、そう言ってほしい。無理をさせるつもりはない。
その言葉に、男の子は頷いてしまおうかと考えました。
けれど、勇気を振り絞ってお父さんにこう言います。
ううん。僕、行くよ。
お父さんに拾われて、男の子は一人ぼっちではなくなりました。
どれだけ炎に焼かれても、男の子を見捨てなかったお父さん。
男の子のお父さんは、無口で、無表情で、何を考えているのか、わかりづらい人でした。
けれど、男の子はそんなお父さんからの、一身の愛情をしっかりと受け取っていました。
ずっと一人ぼっちだった男の子に、人と接する暖かさを教えてくれたお父さん。
男の子は、お父さんに何か恩返しがしたいと、ずっと思っていたのです。
男の子は、お父さんから離れ、闇に近づいていきます。
お父さんはそんな男の子の背中に、優しく声をかけます。
危ないと思ったら、すぐに戻るんだ。
男の子は、お父さんを安心させようと、笑いながら振り返りました。
と、その時です。
ずしゃっ、と音を立てて、闇の中から手が伸びました。
男の子が、あっと息を呑む間に。
その小さな体が、闇の中へと飲み込まれていきました。
闇の中で、男の子は視たことのないはずの光景を見ます。
夢か、現か。自分が、見たこともない女性を見上げているのです。
女性は、優しい笑顔で、自分を見下ろし、笑っていました。男の子は、お母さんを知りませんけれど、何故かその女性がお母さんだと思いました。
しかしその女性の顔は、少しのノイズの後、ぐにゃりと歪み、血まみれの生首へと姿を変えました。
そして、聞こえてくる絶叫。全てを拒絶し、自分さえ締め出してしまうような悲痛な叫び。
その悲鳴を聞き、男の子はぼんやりと気が付きました。
この叫びを上げる子は、自分と同じなのだと。
その子が上げる悲鳴には、凄惨な光景を見た恐怖やショックだけではなく……。
大事な肉親を失った、自分のせいで亡くしてしまった、悲しみが込められていたのです。
男の子は、自分の本当の両親を知りません。だから、悲鳴を上げるその子の気持ちは少ししかわかりませんでした。
けれど、これだけは分かりました。悲鳴を上げる子は、自分と同じように……。
この世界で、一人ぼっちなのだと。
男の子は、必死に手を伸ばそうとします。
男の子は、変われた。お父さんに出会えたおかげで。
だから、この悲鳴を上げるこの子にも、教えてあげたかったのです。
君も、一人ぼっちじゃなくなるんだ、と。
男の子の心に呼応するように、男の子の手から、炎が上がり、猛り狂います。
男の子の炎が、辺りに広がる闇を照らし、焼き払っていきました……。
男の子は、気が付くと、どことも知れない村の中で倒れていました。
男の子は、立ち上がり、辺りを見回します。
そこかしこには人が倒れていて、いったい何があったのか、不安になってしまいます。
すぐそばで倒れている人へと、男の子は近づいていきます。
男の子は、その人に声をかけましたが、その人はまるで生きてはいるけれど生きてはいないかのように反応が返ってきませんでした。
他の人も調べたけれど、やっぱり何の反応もなくて、男の子は困ってしまいました。
さっきまでいたはずのお父さんの姿も見えず、今いる場所は見知らぬどこか。
このままでは、また一人ぼっちになってしまう。
不安になる男の子は、ふと、気が付きました。
音が聞こえたわけでも、気配がしたわけでもありません。
けれど、何かにはっきりと惹かれる様な、そんな感覚。
男の子は、ゆっくりと惹かれる方へと進んでいきました。
男の子は、村の中で一番大きな屋敷へとたどり着き、さらにその屋敷の中にひっそりと隠されるように存在していた地下室へと進んでいきます。
暗い暗い地下室の中を、自分がともした炎を頼りに降りていきます。
一番下まで降りた男の子が見たものは。
床に倒れ、呆然自失といった様子で何かを呟いている、老人。
ごろりと転がる、血まみれの生首。
そして、身に纏うべき衣服を持たず、長い髪で申し訳程度に体を隠し、へたり込む、女の子でした。
女の子のその姿に一瞬男の子はどきりとしますが、すぐに気が付きます。
女の子が、じっと転がっている生首を見ていることを。
男の子が生首を見てみると、それは先ほど見た、女性の顔と同じでした。
男の子は悟ります。この女性が、女の子のお母さんなのだと。
女の子が、自分で殺してしまった、大切な人なのだと。
男の子は、痛む胸をぎゅっと掴みます。
そして、ゆっくりと女の子に近づいていきました。
女の子は、男の子が近づいても、顔を上げず女性の生首を見続けました。
男の子は、女の子にかける言葉が見つからず、わずかな逡巡ののち、女の子の体をぎゅっと抱きしめました。
いつからここにいたのかわかりませんが、冷たい地下室の中で、女の子の体は氷のように冷たくなっていました。
冷え切ってしまった女の子の体を温めるように、男の子はギュッと女の子を抱きしめ続けました。
その後、闇が消えたことで隠れ里まで足を踏み入れたお父さんにお願いして、女の子も自分の家族にしてもらった男の子。
男の子は、一生懸命頑張って、女の子が一人ぼっちにならないようにしました。
けれど、お互いに大きくなっていくにつれ、女の子は自分の力を制御できるようになり、男の子は強くなっていく自分の力を制御できなくなっていきました。
荒れ狂う己の力を制御するため、男の子は自分の心を閉じていきました。
いついかなる時でも冷静に。静かに、穏やかな、凪いだ湖のような心を、男の子は心掛けました。
けれど、男の子は神様でもなんでもありません。時には、己の心を御しきれず、己の異能を暴れさせてしまうこともありました。
操りきれない己の異能に、男の子が苦心している時でした。
お父さんの研究が進み、誰でも手に入れることができる、第二世代の異能。
その中でも、特に一般的な、サイコキネシスの力を備えた。
同い年で、目つきが悪い、男の子に出会ったのです。
( み つ は … … … )
朦朧とする意識の中で、駿はその名を呼ぶ。
己の半身ともいえる、少女の名前を。
( み つ は は 俺 が ま も る … … )
今よりずっと幼い頃に、立てた誓い。
今なお、自身のよりどころとなっているその誓いを胸に、駿は歯を食いしばる。
( ま も る … … 俺 が )
拳を握り、力を込める。
( 俺 が ま も る ん だ )
ただ一途に、それだけを思い。
内に荒れ狂う激情を制し、己の異能を制し。
( み つ は を 俺 が )
たった一つの誓いだけを胸に。
( ま も る ん だ っ … … )
異世駿は、今を生きる。
瞬間、爆火が爆ぜる。
己の敵を撃ち滅ぼすために。
誓いを遮るものを、焼き払うために。
なにとも知れない、誰かを焼き払うために……。
光葉の過去と、駿の過去。その先に、未来を見据えて、二人は生きる。
その頃一方、会長たちはと言えば……。
以下、次回。




