Scene.84「……なんなんだよテメェ……」
啓太と圧縮空気を操る少年……クーガはただ黙ってにらみ合う。
言い知れぬ緊張感が両者の間を満たし、張りつめた空気が糸のようにピンと張っているのが見えるかのようだった。
場を満たす緊張感に、リリィは思わず溜まったつばを飲み込む。
(な、なんだろう……。体が動かない……ううん、動いちゃいけない……そんな気がする)
リリィは、自らが体験したことのない空気に飲まれ、立ち往生してしまう。
啓太とクーガ……二人が纏う、真剣勝負の雰囲気。それは、今までフレイヤによって任務から遠ざけられていた彼女にとって、経験したことのないものであった。
二人の纏う雰囲気に気圧されたように、リリィは一歩下がる。
彼女の足元が、アスファルトの欠片をひっかけ、小さな音を立てた。
瞬間、場が一気に動く。
「オォラァ!!」
クーガが腕を大きく一閃させ、手のひらに生み出していた空気の塊を啓太に向けて投げつけた。
同時に、啓太も腕を一閃させ、一枚のトランプを飛ばす。
飛翔するトランプは、クーガの放った圧縮空気を切り裂く。
その刺激を受け、一転に押し固められていた空気が周りへと解放され、爆風が辺りを襲う。
その爆風は両者の中心で解放されたにもかかわらず、啓太の後ろに下がっていたリリィの体を強く煽るほどのものだった。
「きゃっ!?」
強風に煽られ、リリィが体勢を崩す。
だが、啓太はそんな向かい風に向かって、力強く駆けだした。
「………っ!」
自らの前にトランプを一枚飛ばし、それを防風壁代わりにし、啓太は一気にクーガへと駆け寄ってゆく。
圧縮空気を操る能力。その全てを理解したとは言い難いが、戦うのには十分な情報は得られた。
ならばあとは、戦いを有利に運び、勝利をつかみ取るだけだ。
啓太は手にしたトランプに異能の力を込める。
「シッ!」
そしてクーガに向かう最中、トランプの何枚かを二つの方向に投げる。
一つはクーガに向かって、一つは自分の上に向かって。
空を飛ぶ二種類のトランプを操り、クーガの逃げ場を塞ぐ。
だが、二度も同じ手はクーガには通じなかった。
「チッ!」
舌打ちと共に、クーガは今まで動かなかった場所から動く。
クーガのいた場所に、啓太の放ったトランプが殺到する。
啓太はそのまま、クーガの後を追うように走る方向を変える。
それを見て、クーガが眉を怒らせる。
「空念複合体ッ!!」
そして一声吠え、右手を空へ向けて、差し上げる。
瞬間、轟音を立ててクーガの手に大量の空気が集まった。
出来上がった圧縮空気を解き放たせないために、啓太は足に込める力を強くする。
だが、クーガは今までのようにそれを投げつけるようなことはしなかった。
「くらえっ! 圧縮空気砲!!」
圧縮空気の塊を啓太の方へと向けると、そのまま解放し、生まれた爆風を啓太に叩きつけてきた。
啓太は手にしたトランプを前方に撒き、壁のように展開する。
圧縮空気が解放されて生まれた、驚異の暴風が彼を襲う。
「くっ……!」
展開した念力障壁が、メキメキと音を立てて崩れそうになる。
だが何とかそれに耐え切り、啓太はトランプをいったん回収する。
今の一撃を防いだことで、トランプの中の力がほとんど消耗されてしまった。
(すごい威力だ……! まともに喰らえばどうなるか……!)
相対した異能者の力に戦慄し、覚悟を改める啓太。
そんな彼の目に、とんでもない光景が映った。
「おぉらぁ!」
「!?」
目の前に、クーガの姿があったのだ。
信じられないほどの速度で、その小さな体が啓太に向かって迫っている。
啓太は悲鳴を上げる間もなく、ほとんど反射的に体を投げ出す。
かろうじて回避した啓太の体の上を、クーガが通り過ぎていく。
「避けんなオラァ!!」
吠えたクーガは、地面を擦りながら減速し、再び啓太に向かって加速する。
地面を転がりながら、啓太はクーガを一心に観察する。
そして気が付く。彼の背中から、爆風の翼が生えていることに。
「圧縮空気を背中から放出してるのか……!」
「そういうことだぁ! 空念複合体!!」
クーガは吼え、さらに加速する。
啓太は立ちあがり、クーガの一撃を受けようと五枚重ねたトランプを彼に向ける。
そして、複数の障壁を重ねてより強力な障壁を生み出し、クーガの一撃に備える。
それを見て、クーガはニヤリと笑い、啓太との接触の一瞬前に背中の圧縮空気を消す。
「!?」
「オォラァァ!!」
そして、構えた拳の先に新たに圧縮空気を生み出し、勢いのままに啓太に向けて叩き付けた。
轟音と共に、啓太の生み出した障壁が微かに歪む。
勢いに押されて啓太の体がわずかに後退する。
そこへ追い打ちをかけるように、クーガは圧縮空気を開放する。
「吹っ飛べぇ!!」
「ぐぁぁぁぁ!?」
一千気圧を生み出せると豪語するクーガの、渾身の一撃が啓太を襲う。
巻き藁か何かのように転がる啓太。
「ぐ、くぁ!」
何とかトランプをばら撒き、自らの体を襲う衝撃を緩和する。
トランプから柔らかく力場を展開しクッション代わりにし、回転していく体を力場で引っ張り勢いを殺す。
だが、全ての勢いを殺すことはできず、啓太の全身を耐えがたい衝撃が襲う。
「が、はっ……」
何とか自らの体を停止させ、啓太は咳をしながら体を起こす。
顔を上げ、クーガがいたであろう場所を見ると、すでにそこに彼の姿はなく。
「しねやぁ!!」
聞こえてきた彼の声は、頭上からだった。
ハッとし、上を見上げるとクーガは手に構えた圧縮空気をこちらに向けて叩き付けるところだった。
「オォラァ!!」
「うあぁぁ!!」
啓太とクーガは叫び、互いの異能をぶつけ合う。
圧縮空気とサイコキネシスの力場が衝突し、軋みを上げる。
「オオァァァァァ!!」
「ああぁぁぁぁぁ!!」
獣のような咆哮を上げ、二人の異能者が互いの力を振り絞る。
そして、拮抗を続けていた両者の力が、崩壊する。
「ハッハァ!!」
クーガの勝利という形で。
啓太の生み出した力場が緩むのを感じ、クーガは凶悪な笑みと共に、空気を圧縮していたもう片方の手を力場に叩き付ける。
啓太の両手に、先ほどまで以上の圧力がかかる。
「あ、ああ……!」
堪えられたのは一瞬。
次の瞬間、啓太は大量の圧縮空気に、力場ごと押しつぶされてしまう。
「ッシャァ!!」
クーガは勝利を確信し、撃ち放った力場の反動を利用して高く舞い上がる。
何度か回転しながら落下するクーガは、自らの異能を利用して華麗に着地した。
そして満面の笑みで啓太の方へと振り返った。
「よわっちぃなぁ……ええ?」
勝利を信じて疑わないクーガの視線の先で倒れている啓太。
クーガの一撃で倒れる瞬間に展開していた力場のおかげか、体の原形こそ保っていたが、来ている制服はあちこちが破け、その下から痛々しく傷ついた肌が露出していた。
「所詮は教授の敵の元で学んだ程度……俺に勝てるわけがねぇんだよ」
今得た勝利に酔い、啓太に講釈を垂れるように口を開くクーガ。
ゆっくりとした足取りで啓太へと近づきながら、言葉を続けた。
「お前も教授の傍にいたら……少しは強くなれてたろうになぁ」
「ぐ、く……」
クーガの声を聞き、目を覚ました啓太は何とか立ち上がろうと四肢に力を込める。
指先で地面を掻き、体をうつ伏せ、力の入らない手足を支えに立ち上がろうとする。
そんな啓太の姿を見て、クーガは哀れなものを見るように首を振った。
「おいおい……無理に立つなよ」
「く、がはっ……」
撹拌された内臓が悲鳴を上げ、啓太は胃液を吐き出す。ガクガク震える腕から力が抜けてしまう。
ビシャビシャと地面を汚した自らの吐瀉物の上に、力なく崩れ落ちてしまった。
「わかってんだろ? お前の異能じゃ、俺には勝てない。力の差がありすぎる」
クーガは冷然と、事実を突き付けるように啓太に声をかける。
距離を開け、しゃがみ込み、啓太の顔を覗き込んだ。
「所詮、その程度なんだよ、この街は。教授の敵の……コトセなんてクソッタレなおっさんが作り上げた異能ってのは、その程度でしかないんだよ」
「―――ぞ……ぞんなこと、ない……」
啓太は少年の声に対し、何とか声を絞り出す。
そうして膝をつき、肘を突き、体を起こしながら顔を上げる。
「こ……この街で、僕はたくさんのものを得たんだ……! 力よりも何よりも……もっと大切なものを……!」
キッとクーガを睨みつけ、啓太は大声で叫ぶ。
「力でしか物事を測れない、暴れることでしか自分を証明できない……そんな君たちとは違うんだ!!」
頑として引かぬ、不退転の意志。
光さえ伴って見える啓太の眼差しを見て、クーガは顔をしかめる。
「……言うじゃねぇか、弱いくせに」
至極、不愉快そうに。
自らの思い通りにならぬおもちゃを前に、不平をこぼす子供そのものの表情で、クーガは傲然と吐き捨てる。
「違うの何のと吼えたところで、テメェが俺に勝てねぇ事実は曲がらねぇってのによぉ」
「……なら、勝ってみせる、さ……!」
クーガにそう言って、必死に立ち上がろうとする啓太。
そんな彼に向かって、クーガは圧縮空気を解き放つ。
「勝てるわけねぇだろ! 圧縮空気砲!!」
「うわぁぁぁぁ!!」
言葉の通り、砲撃そのものと言える一撃を喰らい、為すすべなく啓太の体が吹き飛ばされる。
ぼろ雑巾か何かのように転がる彼を見て、クーガは大声で叫んだ。
「勝ってみせる!? 夢見てんじゃねぇよ! 地べた必死に這いずって、それで俺に食い付いてみせるとでも言うのかよ!!」
「あぐ……あ、がっ……!」
クーガの叫び声に反応するように、啓太は体を痙攣させる。
だが、そこまで打ちのめされても、彼は立ち上がろうとした。
「ぐ、く……!」
「……なんなんだよテメェ……」
さすがのクーガも、不気味そうに啓太を見る。
なにをしても、何をされても、啓太は立ちあがろうとした。
そんな彼を見て、理解できないというようにクーガは声を張り上げた。
「意味がわかんねぇ! もういい、俺の目の前から消えろ!!」
叫び、そして腕を振り上げ、周辺の空気を圧縮し始める。
啓太はそれを見ても、瞳をぎらつかせ、なお立ち上がろうと足掻いた。
足掻き続けた。
圧倒的な力に、啓太はなすすべない。
勝てるのか!? 以下、次回!




