Scene.79「駿がいなくなったぁ?」
「駿がいなくなったぁ?」
「らしいよ? 状況は、どうにもつかめないけれどね」
異世駿の脱走が暁へと伝わったのは、ちょうどお昼を回ったくらいであった。
いったん倉庫街を見に行こうという話にはなったが、時折ちょっかいをかけてくる敵の異能者たちのせいでタイムロスを強いられ、気が付けば太陽が天頂に差し掛かる時刻となったのだ。
商店街は当然閉まっているし、わざわざ居住区まで行って啓太かリリィの部屋でご飯を食べるのも憚られた。
ので、三人は一旦学校へと戻ることにしたのだ。
今日は平日であるため学食は動いているし、マンハントには向かわず自らの異能の修練を行っている生徒たちの警護を行う警備隊や先生たちのおかげで、ある程度の身の安全も確保されていた。休憩を行うにはちょうど良い場所と言える。
そんなわけで腹を満たすために学食を訪れた三人の元へ、どこからか暁の帰還を聞きつけたらしい会長がやってきたのだ。
突然、駿が姿を消したという情報を持って。
「姿を消したのは、一時間くらい前かな。同じくらいのタイミングで、炎の塊が上から降ってきたのを見た警備隊の人もいるし、彼がいた部屋の窓が何かに燃やされたような跡もあった。自主的に外に出たとみて間違いないと思うよ」
「ふーん」
学食で最も安いかけそばだけを注文した暁は、興味なさげに頷く。
小食なのか、暁と同じものを注文した啓太は、不安そうに眉を顰める。
「何があって、駿さんがいなくなったのかはわかってるんでしょうか?」
「さて、それがいまいち判然としないんだよね。直前辺りに研三先生の秘書さんが様子を見たときには、おかしな様子はなかったようなんだ」
「ハヤオさんが、どこに向かったかはわかってるんでしょうか?」
他の二人と違い、海老フライ定食を注文したリリィの言葉に、ついでに親子丼を注文した会長は頷いた。
「ああ。とりあえず、居住区だったり、商店街だったり、あるいは倉庫街だったり似姿を表してるのは確認してるよ。あっちこっちに移動してるせいで、捉えるのは難しいけど」
「そりゃどこに行ってるのかよくわかんねぇのと一緒だろうが」
「面目ない」
暁にバッサリ言われ、会長は苦笑しながら頭を下げる。
そして頭を上げたときには、真剣な表情で暁を見つめていた。
「だが、彼が何の理由もなしに外に出るとは思ってないだろう? 何か理由あってのことだと思うんだけど……」
会長はそう口にしながらも、自分の中では何かの核心を得ているように見える。
暁は片目を眇め、それを確認すべく口を開いた。
「……ちなみに光葉はどこにいるんだ?」
「どこにもいないそうだよ」
会長の答えを聞き、暁はため息を突いた。
「理由も何もそれが原因じゃねぇのか?」
「まあ、だろうねぇ」
「え? え? どういうことですか?」
会長と暁の間で何かの合意が得られたの見て、啓太は不思議そうに二人の顔を見比べる。リリィもよくわかってないのか、首を傾げていた。
会長は二人に向き直って、苦笑しながら説明を始めた。
「なに、単純な推理なんだけどね。駿君は光葉君がいなくなってしまったから、それを探しに出かけたんじゃないかと思うんだよ」
「……ごめんなさい、意味が」
「要するに、光葉がさらわれたかなんかしたんじゃねぇかって話だ」
「え、ええ?」
会長と暁の言葉を聞き、啓太は不審そうに眉を顰める。
「あの、光葉さんが、ですよね? え、どうやって誘拐するんですか?」
「さあ。ただ、あいつはああ見えて隙だらけだからな」
「そうなんですか?」
傍で聞いていたリリィが首を傾げる。
自分や駿に対する人の悪意に即反応し攻撃を仕掛けるところは、異界学園で学ぶようになってからリリィも何度か見かけている。
そのたびに駿や暁に止められて一応事なきを得ているが、あれだけの反応速度を見せる光葉が何者かに誘拐されてしまうというのが理解できないのだろう。
それに同意するように会長は頷いた。
「うん、まあね。明確な敵意を向けてくる相手に対して、光葉君は極めて敏感で辛辣だ。ただ……逆説、敵意や悪意を向けてこないものに対しては極めて鈍感なのは知っているだろう?」
「……そうでしたっけ」
常に駿の傍にいて、駿の体に自らの肢体をすりつける猫か何かのような光葉の姿を思い出しながら、リリィはまた首を傾げる。
……考えてみれば、彼女はどんな場所であろうと駿しか見ていないような気がする。
周りで誰が叫ぼうが、誰が暴れようが、誰が悲しもうが、駿一点のみに集中していた。
たまに暁がらみで乱闘が起ころうとも、その意思が揺らぐことは一切なく……。
「あ」
そこでリリィは思い出す。
彼女はその折に飛んできたゴミ箱やら、コンクリートの破片やらに一切の注意を払っていなかった。
飛んで行ったそれらは、全て駿が叩き落としていたのだ。
それを見ていたリリィは、光葉の駿に対する信頼の強さを感心したものだったが、あれはつまり……。
「……たとえ危険なものが傍に迫っていても、それに敵意や悪意がなければ、ミツハさんはそれに注意を払うことは一切ないのでしょうか……?」
「うん、その通りなんだよね」
会長はがっくりと肩を落とした。
「敵意や悪意があれば、たとえ動物にであろうと牙をむくのが彼女だけれど、そうでなければどんな危険も気にすることなく平然としているのが、異世光葉君なんだよねぇ」
「でも……普通は攻撃されれば敵意や悪意はわかります……よね?」
自然災害や、偶発的な事故でもない限り、自分の身に危機が迫ればそこに敵意や悪意があるのではないかと疑うのが人間という生き物だ。
たとえ相手の姿が見えずとも、攻撃を受ける心当たりがあったり、逆に身に覚えがなくとも、そこに何らかの敵意や悪意を見出すことで、自らの身を守るのだ。
啓太の言葉に同意するように、暁は頷いた。
「あくまでそれは、攻撃を受けたのが普通の人間である場合だな」
「はい、かけそば二つ、海老フライ定食ひとつ、それから親子丼ひとつお待ち!」
注文したメニューを受け取り、四人は空いているテーブルへと向かう。
「普通の人間であれば、相手の姿が見えなくとも、攻撃されれば敵の存在を認識できる。けど、光葉にはそれができねぇ」
「どういう意味です?」
それぞれ席に座り、箸やフォークなどで自分のご飯をいただきはじめる。
ずるずると音を立てて蕎麦を啜りながら、暁は続きを口にした。
「駿と違って、あいつが敵の攻撃からそう言うのをはっきり認識できるのは、少なくとも敵の姿が視認できる位置にいる場合に限るんだ。あいつにとって世界は等しく汚らしい汚泥だからな……。明確にその存在が意識できない限りは、どんな攻撃が来てもみんな同じに見えるんだろうよ」
「そうなんですか……」
つまり飛んでくる空き缶も、核ミサイルも、彼女にとっては同じものだということなのだろうか。
自分には想像しえない世界にぞっとしながらも、啓太はそばを啜る。
「……ということは、光葉さんにとっては僕たちが当たり前に口にするこれも同じってことでしょうかね……」
「そう言うこっちゃな。で、それは異能にも言える。異能者が光葉が感知できない距離から攻撃を仕掛けてきた場合、光葉はそれを攻撃だと認識できねぇ。だから、あっさり誘拐されちまう可能性も無きにしも非ずってわけなのさ」
「そうだったんですか……」
揚げたてサクサクの海老フライを頬張りながら、リリィは口を開く。
「では、光葉さんが誘拐されたのは間違いないと?」
「マリル君。せめて口の中の物は飲み込もうね?」
はしたないリリィを窘めながら、会長がそれに答えた。
「とりあえず、委員会と警備隊はそう考えて動いてるね。問題は、相手がどうやって光葉君を攫ってみせたかなんだけれど……」
「少なくとも、中央塔のセキュリティは、タカアマノハラ一ですから……人が侵入してってことはないんじゃないでしょうか?」
「光葉に人をやって捕まえること自体が愚策だしな。それでいったい何人が光葉の影の中に飲み込まれたやら」
過去に似たようなことはあったらしい。暁は大仰にため息を突いてみせた。
が、聞いている啓太たちはそれどころではない。まさか人が飲まれているとは……。
とりあえず、後で駿なりが吐き出させていると考え、啓太は話を続けることにした。
「じゃ……じゃあ、何らかの異能者ってことでしょうかね?」
「ここ最近の事例や、急に現れ始めた異能者なんかのことを考えるとそうだろうねぇ」
「示し合わせたみてぇな行動を考えると、一連の事象は繋がってると考えんのが妥当か」
「それで……ミツハさんをさらった理由は、やはり……」
「まあ、光葉の異能欲しさだろ。それ以外で、あんな奴攫う理由がわからん」
さらりとひどいことを言いながらも、暁は思案するようにそばをつついた。
「だが、光葉だけをさらおうとした結果、駿に焼滅させられた奴なんぞ数えきれねぇ。それを知らねぇバカはいねぇと思うんだがな」
「……あの、助かってますよね? その人達……」
「古金君? 残念ながら、駿君レベルの異能殺人は現行法では立証が不可能なんだよ」
「そうなんですか……」
間違いなく再現不可能であるという点からだろう。仮に証明するとなると、実際に駿が法廷で人を焼滅させる必要があるかもしれない。
まあ、それはともかく。
「光葉に手を出してロクな目に合わねぇ、ってのはすでに各国だけじゃなく、裏社会の方にも轟いてるもんだと思ってたが……見込みが甘かったな」
「そちら方面に伝手はないからねぇ。リスクマネジメントがしっかりしてないところに狙われちゃったかな?」
「かもな。しちめんどくせぇ……」
「よく落ち着いてられますね、二人とも……」
いろいろと重たくなる話を聞かされ、すっかり食欲の失せてしまった啓太は箸を丼の上に置いてしまう。
「駿さんが暴走しかかっているっていうのに、なんでそんなにのん気なんですか……?」
あらゆる森羅万象を焼き尽くす異能、カグツチ。
啓太はその恐ろしさに直面したことはないが、力の一端を見せられただけでも体が震えた。
本来ありえないはずの事象を起こしてみせるあの力こそ……“異”能と呼ぶにふさわしいのではないかと啓太は思っている。
微かに体を震わせる啓太に、暁はあっけらかんとこう言った。
「そりゃお前、同じことはいくらでもあったからだよ」
「え?」
その言葉に啓太が振り返る。
暁はいつも通りの表情で、そばを啜っていた。
「あいつと出会って……もう何年になるかは覚えてねぇが、少なくとも片手じゃ足りねぇほどの数、あのバカの暴走現場に付き合ってんだ。今更、その記録が更新される程度じゃ驚かねぇよ」
「そ……そのたびに付き合ってるんですか!?」
「おうともよ。何度もあのバカに突っかかってったよ」
「な……よ、よく生きてますね、それで!?」
あまりにもあっさりとした暁の告白に、啓太は大声を上げる。
彼が駿に何度も挑み続けているという話は、啓太も入学式の際に研三から聞いている。
だが、それはあくまで普段の駿に挑んでいるという意味だと思っていたのだ。まさか、暴走状態の暁とまでやりあっているとは思わなかった。
「カグツチと正面からやりあって生きてるなんて、どういうことですか!?」
「バカ、お前、さすがにマジでド正面からなんてやりあえねぇよ。搦め手搦め手、また搦め手の繰り返しだよ」
「それでもですよ! よくそんな、何度も挑めますね……!」
あきれてものも言えない、という風な啓太。
そんな彼には聞こえないよう、暁は小さく呟いた。
「……ふん。あんな馬鹿でもダチの一人だし……約束もしたからな」
「先輩?」
「なんでもねぇよ」
暁は誤魔化すようにそう言って、丼を持って立ち上がる。
「オラ。いつまでも食ってねぇで、とっとと行くぞ」
「コトセ・ハヤオを見つけるためにですか?」
「どっちかっつーと、光葉見つけるほうが先だな。所在が安全だと確信すりゃ、駿の馬鹿も収まるからな」
「よろしく頼むよ。僕は引き続き、生徒会室でタカアマノハラの監視を続けるから」
「頼むぜ」
「え、あ……」
皆がいつの間にか食事を終えていたのに啓太は気づき、慌ててそばを啜る。
そんな後輩へと振り返り、暁は呆れたように声をかけた。
「置いてくぞ、古金」
「ま、待ってくださいよ!」
残ったそばつゆまで綺麗に片づけて、啓太は慌てて丼を持って暁たちを追いかけた。
暴走する駿を追いかけて、暁たちは再びタカアマノハラへ!
果たして駿に追いつけるのか?
以下次回ー。




