Scene.78「――みつはぁっ!!」
タカアマノハラ中央塔。
異能者の大量出現および、その逮捕などで慌ただしさを増す場所の一つだ。
警備隊の者たちに引き渡される、敵異能者たちは皆、ここへと運ばれてくる手筈となっている。
単純に警備隊詰所にある拘留所では、今日タカアマノハラに現れた者たちを捕まえきれないというのもあるが、一番の目的は刺激方式によって何らかの刺激を受けているであろう者たちの身体の健康を診るためだ。刺激方式は研三にとっては封印した技術。彼らの体を直接診なければ、どのような状態になっているかはわからないのだ。
そして一方で、多くの未確認の異能を前にして中央塔内の学者たちの大半は無為に喜んだ。
世界中にちらほら現れ始めている異能者たちも、研究資料としてみた場合圧倒的に不足しているためだ。たとえどれだけ些細な異能でも、そこに存在する以上は研究の価値があると言える。
単純なサイコキネシスであったとしても、人によって異能の発動方法が違うことが良くあるのだ。そこにいったいどのような差異があるのか。何が原因でそのような差が生まれたのか……。研究する側にとっては、疑問の尽きない魅力な題材と言える。
そんな異能者たちが向こうから姿を現し、さらに身柄を拘束……もとい、補導の上で中央塔まで連れてこられている。純粋な研究者たちにとっては、降って沸いた幸運というわけである。
警備隊仕様のバンが引っ切り無しに中央塔を出入りしている。
そんな光景を窓ガラスから見下ろしながら、駿はゆっくりと缶コーヒーを啜った。
彼の隣では、空いている方の腕を取って抱きしめている光葉の姿もあった。
彼らが今いるのは中央塔の一室で、一般的には応接間と呼ばれるような部屋だ。
観葉植物や応接用のテーブルなどが供えられた部屋の中で、何をするでもなくボーっとしている二人の背中に、一人の女性が声をかけた。
普段から、異世研三の傍についている秘書だ。
秘書は二人の部屋に入り一礼すると、駿の様子を窺った。
「失礼します。駿様、何か不自由はございませんか?」
「いえ、特別」
秘書の言葉に振り返りながら、駿は首を横に振った。
いつも通りに平静な彼の表情から、それがホントか嘘かは読み取れなかったが、秘書はその言葉を信じて頷いた。
「そうですか。それならよろしいですが、もし何かございましたら、遠慮せずにそちらの内線で誰かをお呼びください」
「ありがとう。その時が来たら、遠慮なく使わせてもらいますよ」
「はい。それでは、失礼いたします」
秘書は深く頭を下げると、そのまま踵を返して部屋を出て行こうとする。
そんな彼女の背中に、駿が声をかける。
「あ、すいません。一つだけいいでしょうか?」
「はい、なんでしょうか?」
秘書が振り返り頷く。
駿はそんな彼女の瞳を見つめて、こう質問した。
「俺たちの待機が解除されるのは、いつごろになりそうですか?」
「……申し訳ありません。私の判断では、いつ頃になるかまでは……」
駿の質問に対し、秘書はそう言って首を横に振った。
「今のところ、基点となるやもしれない異能者を捕えた者も、見た者もおりません。少なくとも、その異能者を完全に確保しませんことには……」
「そうですか、わかりました」
駿は小さく頷き、光葉の頭をそっと撫でる。
「なるべくなら、夜になる前に帰りたいですから。光葉に無理を強いたくありませんので」
「もちろんです。今回の予知の実現回避に向けて、鋭意努力している最中です。それでは」
「はい。早い解決を期待しています」
秘書は力強く頷き、そして部屋を後にした。
そんな秘書に駿は声をかけ、それから光葉を連れてすぐそばのソファに腰かけた。
ソファの上に腰かけた駿の膝の上に、猫か何かのように光葉は体をこすりつける。
喉の奥から甘えるような音を鳴らす光葉を見下ろしながら、駿は努めていつも通りの平静さを保ち、その頭をゆっくりと撫でる。
「はてさて……いつになったら、ここを出られるようになるのやら……」
先ほどの秘書がいたのであれば、彼の声の中にいささか負の感情が籠っているのが分かったであろう。
何しろ、朝早くに父の命を受けて誰よりも早くこの中央塔を訪れ、この部屋に閉じこもっているのだ。いくら平静を保とうとも、苛立ちは募る。
彼と光葉がこのような状態に突入した原因は、先日纏まった予言である。
曰く、タカアマノハラの沈没。曰く、異世駿の暴走。
二つの事象を予言され、異世研三はとりあえずの解決策として、一旦、駿と光葉をこの中央塔へと隔離することを決定したのだ。
こう言った忌まわしい予言を回避する方法はいくつか存在するが、最も確実なのは二つと言われている。
まず一つが、予言を起こすモノを排除すること。例えばの話、お湯が沸くという予言が起こったのだとして、お湯を沸かすモノを取り払う方法となる。取り得るのであればこの方法が最良の回避方法となるが、肝心の対象……先の例で言えば、お湯を沸かす存在が明確になっていない限りはこちらの方法を取ることはできない。
今回研三が取った対処はもう一つの方法……予言を起こされるものを遠ざける方法だ。お湯を沸かす例でいえば、水を確保し、お湯が沸かないようにする方法と言える。大抵の予言は、その現象が起こされる側についてははっきりしていることが多いため、予言を回避したい場合はこの方法を取られることが多い。
どのような予言でも大体対処することができる方法であるが、残念なことに不確定要素には弱い。この方法で確実に予言を回避したければ、ありとあらゆる方法を推測し、それに備えなければならないのだ。
「ふぅ」
駿は一つため息を突く。
タカアマノハラの沈没も、自身の暴走も、彼にとっては最悪と言っていい事象だ。
そんなことが起こりうるかもしれないと言われ、揚句何もせずに部屋で待てと言われてしまい、駿の神経は少しずつすり減っていた。
いつ終わるのかと明確になっていれば、まだ耐えられるかもしれないがそれも先ほどわからないと言われてしまった。
おかげで余計に苛立ちが募ってしまった。彼の後頭部で火が昇りかける。
微かにチリチリと音を立てる自らの異能に気が付き、駿は素早く手で燃え上がりかけた炎を払う。
『……駿? 大丈夫?』
そんな彼の様子に気が付いた光葉が、心配そうに見上げてくる。
彼女は駿が何を思っているかまでは理解できずとも、彼の様子が普段のそれとは違うことには気が付いている。
光葉に心配をかけているということに気が付き、駿は慌てて彼女の頭を撫でる。
「なんでもない……いや、ありません。光葉は、気にしなくていいですよ」
『うん』
駿にそう言われ、光葉は素直に頷いた。
一方、駿はお経でも唱えてみようかと、半ば本気で思い始めていた。
(精神修行の一環として、延々とお経でも唱えてみよう……。そうすれば、気がまぎれるかもしれないし)
少し感情が泡立っただけでも、炎が出る始末だ。このままじっとしていたら、部屋の中の温度が上がって、蒸し風呂になるかもしれない。
自分はどうでもいいが、光葉に苦労を強いるのは良くない。内線で、秘書に適当なお経を持ってこさせよう。
駿はすぐにそう思い立ち、光葉の頭をそっとソファの上に横たえる。
そのまま立ち上がると、光葉が服の裾を掴んで駿を引き留めた。
『駿?』
「大丈夫。すぐに戻りますよ」
不安そうな彼女の声を聞き、駿は胸が締め付けられるような思いがしたが、光葉の頭を撫でて何とかその思いを抑え込む。
光葉は素直に頷いて、ソファの上に体を横たえてくれた。
そんな彼女の姿に愛おしさを覚えながらも、駿は内線へ向かい、秘書を呼び出すべくボタンを押す。
……と、その時だ。
光葉が横になっているソファの方から、微かに物音がした。
どのような音なのか……駿には見当はつかなかったが、強いて言うのであれば……そう。ページか何かをめくるような音に聞こえた。
「光葉?」
秘書を呼び出すコールも無視して、駿は後ろへと振り返る。
そこにいたはずの光葉の姿は、消えていた。
後に残ったのは、数点の文字が宙に浮いていることだけ。
それらの文字も、今しがた消えた光葉の存在を示すように瞬いて、消えてしまう。
「光葉?」
駿は呼びかける。
だが、すぐに答えてくれる愛しい彼女の声は聞こえず、むなしく自分の声だけが返ってくるばかりだった。
「みつ、は……」
駿の手から内線電話が零れ落ちる。
その時、向こうとつながったのか電話の向こうで秘書が驚いたように声を上げているのが漏れ聞こえた。
だが、駿はそんなことを気にしない。
「みつは」
今ここにいない彼女の名を呼びながら、ふらふらと歩き始め。
「――みつはぁっ!!」
窓ガラスが震えるほど、大きな声で叫ぶ。
そして自らの異能で壁を、窓ガラスを破壊し、そのまま中央塔の外へと駆け出す。
落下した際の衝撃さえ燃やし、外にいた警備隊の者たちを驚かせ、そのまま駿はタカアマノハラの中へと駆け出した。
「みつはぁぁぁっ!!!!」
いつも通りの無表情で、声高く叫びながら。
異世駿は漏れ出る己の異能にも気を払わずに駆けだした。
消えた光葉。駆け出す駿。
こんな状況に、皆はどう動くか?
以下次回ー。




