Scene.76「神の祝福を受けるべきは、僕なんだ……!」
夜が明けたタカアマノハラの居住区に、動く影が一つ。
学校が始まり、各研究機関が動き出すこの時間に、タカアマノハラ居住区に残る者はほとんどいないはずであった。
動く影の姿は、よく見ればまだ年端もいかない少年のようだ。
中肉中背。取り立てて特徴がない、言ってしまえば凡庸そうな少年だ。
だが、今その顔はひどく醜く歪んでいた。極めて強い、悪意に染まった狂気の顔だ。
少年は通りから隠れるように動きながら、にやりと顔を一段と歪める。
(誰の気配もない……今ならいける……)
懐からチョークを取出し、少年は地面に何か模様の様なものを書きはじめた。
「フ……フヒ、ヒヒ……」
抑えきれないかのように、少年の口から笑みが零れる。
模様を書き終え、少年は満足そうに息をつくと移動を始める。
「見てろよ……神の祝福を受けるべきは、僕なんだ……!」
うわ言のように、そんなことを呟きながら。
――少年にとって、世界は残酷な存在だった。
誰もが平等に、異能に目覚めることができる今の世界。だが、その異能の力は平等ではなかった。
英国のとある片田舎で育った少年は、絵を、特に図形をを使った幾何学模様を描くのが得意であった。そんな彼が目覚めたのは、自身がこうだと認識した通りの図形を描くことで、描いたモノに影響を与えるというハコニワ型の異能。
紙に“破く”と少年が定義した図形を描けば、少年が意識した瞬間に紙は破け、また“燃える”と認識すれば燃える。異能の強度さえ十分であれば石や鉄、あるいは人間にさえ作用するだけの力があるはずの異能であった。
だが、幸か不幸か。彼が異能に目覚めたとき、彼の力はそこまでの力を持つことはなかった。
彼が図形を描いて影響を与えられるのは、せいぜいコピー用紙程度が限界。少し厚くて丈夫な紙になると、何を書いたとしても何も起こらない。
そんな異能でも、目覚めた当時は彼も彼の親も興奮したものだ。神からのギフトを賜ったのだ!と。
しかし世界は残酷であった。彼が成長し、他の異能者と接する機会が増えるにつれ、彼の異能が如何に脆弱なものかを知らしめたのだ。
サイコキネシス、パイロキネシス、サイコメトリー、テレポート……。
様々な異能が普遍的なものとして扱われる中、彼の異能はその中へと埋没していってしまった。
いかに彼が手を触れずに紙を破こうとも、それよりも分厚い紙をサイコキネシスは破く。
どれだけ遠くの紙を燃やそうとも、それ以上の量をパイロキネシスは燃やす。
サイコメトリーの様な超感覚には、挑む挑まない以前の問題で、彼は紙がひとりでにどこかへ飛んでいくという図形のイメージをテレポートのように得ることはできなかった。
多くの異能者たちが輝かしい未来への道を歩む中、少年は彼らに置いていかれてしまった。
少年の両親は、少年に優しかったが、神へと祈る時間が増えた。
少年は、自らの異能が非凡なものではないと証明するために、とある組織の門をたたいた。
そこは、異能騎士団。英国で唯一異能者たちを集め、異能者を含めたあらゆる犯罪に対応するために組織された、選りすぐりのエリート集団。
異能騎士団に所属することができれば、自身の才能が真に神より賜った、選ばれた能力であると証明できる。
そう考えた少年に、世界はまたも挫折を突き付ける。
異能騎士団は、時には武装した犯罪者との戦闘も想定される戦闘集団でもあった。
無論、サイコメトリーのような戦闘力のない異能者でも入れる場所ではあった。だが、その場所に立つには……少年の異能はあまりにも非力に過ぎた。
紙一枚を破くのが精いっぱいの少年を前に、面接官は優しく告げた。
家に帰ってご両親を安心させてあげなさい、と。
柔らかな拒絶の意思に、少年の心はぽっきりとへし折られた。
その日から、絵を描くことが好きな少年は、どこかへ消えた。
部屋にこもり、日がな一日恨み節を吐き、自分の中から絶えない憎悪をスケッチブックに叩き付ける日々が続いた。
コピー用紙より厚いスケッチブックが裂けるようなことはなかったが、そのことがなお、少年の憎悪を膨らませた。
憎んだ。自らを認めない世界を。
憎んだ。非力な自らの異能を。
憎んだ。力の弱い身に産んだ、自らの両親を。
憎んだ。こんな、力の弱い異能を授けた神を。
荒れ果て、すさむ少年の姿に、彼の両親は嘆き悲しみ、方々手を尽くした。
少年の憎しみを、悲しみを消すために。
その果てに、少年の両親はとある宗教の門を叩いた。
テレズマの会、と呼ばれる奇跡の宗教を……。
導師様がもたらした映像記録は、少年にとってはまさに神の福音であった。
彼の異能はコンクリートにさえ作用するほどに強力になり、彼の頭の中には信じられないほどの多幸感が満ち溢れた。
力を得ることの快感。神に選ばれたという充足感。そんなものに巡り合うことのできた、幸福感。
そんな彼に、導師様はこう告げる。
我々と共に歩めば君はより神に近づくことができる、と。
「そうだ……僕は神に選ばれるんだ……そのためなら、なんだってできる……!」
あの日告げられた導師様の言葉を胸に、少年はタカアマノハラの道路に点々と己の異能の証たる図形を描いてゆく。
その図形の意味するところは“亀裂”。少年は、等間隔でその図形を、タカアマノハラの道路へと刻んでゆく。
仮に、その図形が少年の意図する通りに亀裂を入れられるものであるとすれば……。
「フ、フヒヒ、ヒヒヒヒ……!」
いずれ訪れるであろう、タカアマノハラの地獄絵図を思い浮かべ、少年は笑みを深める。
彼は導師様の紹介したクーガの言葉を、何も考えずに実行しようとしている。
すなわち、タカアマノハラをぶち壊し、沈めようと。
「もう少し、もう少しだ……! もう少しで、この島を、僕が、僕がぁ……!」
逸る気持ちを抑えつつ、少年は次なる刻印を穿つために、歩を進めてゆく。
と、そんな彼の耳に小さな羽音が聞こえてきた。
「……ん、んん? な、なんだ?」
ばさっばさっ、と何か鳥のような生き物が羽ばたく音だ。
突然の物音に軽く怯えながら、少年は周囲を見回す。
辺りに人影はなく、野鳥の類も見当たらなかった。
代わりに目玉のようななんだかよくわからない生き物がそこにいた。
「ヒッ!?」
目玉に蝙蝠の翼だけが生えているような、、そんな異様な姿を前に少年は思わずひきつったような声を上げる。
手に持っていたチョークを取り落し、二、三歩後ずさる。
そのまま何かにつまずき、思わず尻餅をつく。
「あ、ああ……!」
突然の出来事に慄く少年。
だが、尻をついた痛みから微かに頭が冷静になる。
黙ったまま滞空を続ける目玉の化け物は、じっと少年のことを観察するかのように見つめている。
こんな生き物、空想上にしかありえないだろう。仮に、可能性があるのだとしたら……。
「……! まさか、いの――」
少年がその可能性に思い至るより早く。
「―――ッッヤッハァァァァァァァァァァァ!!!!」
雄たけびと共に、空から何かが降ってきた。
少年は、それが一体何かを認識することなく。
ドッゴシィァアア!!
突然降りかかったそれに、顔面を踏み抜かれ、意識を消し飛ばされてしまった。
異界学園、生徒会室は、朝早くからどこかの軍司令部を思わせる物々しさとなっていた。
普段はどこかガランとした様子の部屋の中には大量の長机とパイプ椅子が運び込まれ、整然と並べられている。
そしてそこには普段は生徒会室に出入りしないような一般の生徒の姿があり、引っ切り無しに響き渡る電話に応答したり、目の前に用意されたノートパソコンとにらめっこしているものの姿もある。
そんな中で、生徒会席と呼ばれた席についてうんうんと唸り声を上げていた美咲の元にも一本の電話が入る。
美咲が取り上げると、彼女にとっては聞きなれた声が響き渡った。
『ほいほーい。こちら制空制圧班、三代ー。生徒会が発見されました不審者を無事撃破ー。不審者は伸びたまま、起きる気配がないでーす』
電話の相手は、中道三代。同じクラスの男子生徒で、サイコキネシスの持ち主だ。
彼はそのサイコキネシスを使って愛用のスノーボードにのって空を飛ぶことができる青空滑降という異能を使うことができるため、制空制圧班というポジションにいる。
先ほど発見した不審者を見ていたサテライト眼を通じて、無事に三代が不審者を撃破したのを確認し、美咲は目の前のノートパソコンを弄る。
「はいはい、了解しましたー。三代君の付近にいる警備隊に連絡を入れて回収していただきますので、そのまま現場でお待ちくださいー」
『了解ー』
三代はのんきな返事を返して電話を切る。
美咲はノートパソコンの中で立ち上げていた、警備隊に通報するためのアプリに三代のいる位置を打ち込み終え、振り返って一番奥の方で各員の作業の様子を見ていた会長へと報告する。
「会長! 三代君が、犯人一味と思われる不審者の拿捕に成功しましたよ!」
「こっちでも、不審者確保の報告きましたー!」
「こっちもだぜ!」
「ふむ。今のところ、タカアマノハラ大捕物は成功しているようだねぇ」
歓喜の報告の上がる生徒会室の中で、会長は安心したように何度か頷いた。
委員会より、異界学園への直接の依頼が入ってきたのが今朝の事となる。
内容は、タカアマノハラの治安を乱す異能者を拿捕するというもの。
この降ってわいた幸運ともいえる依頼に、異界学園の生徒たちは沸き立った。
普段は、生徒会にしかやってこない委員会からの直接依頼。高額報酬や委員会へのコネなど、得られるものが大きいイベント。一般の生徒たちが願ってやまない物が向こうやらやってきたのだ。今すぐ飛び出し、タカアマノハラに隠れているであろう異能者たちを捕まえに行こうとする者もいた。
このまま放っておけば、本職である警備隊の邪魔となり、隠れている異能者たちに大きな隙を晒してしまうのは明白であった。
これに対し会長は、生徒会権限で一大イベントを開催することにした。
それが、タカアマノハラ大捕物、である。
タカアマノハラ大捕物とは、生徒会が率先して不審な異能者の情報を獲得し、ハントに出かけると申請した生徒たちへと情報を流し、その異能者を捕えてもらうというものだ。
申請した生徒には優先して不審者の情報が流され、なおかつ警備隊に引き渡すことで委員会から相応額のポイントを配布される仕組みとなっている。
このイベントに参加せずとも、依頼自体は異界学園そのものに与えられたものであるため、独力で異能者を捕えることも可能ではある。が、やはり楽な窓口があればそちらに人は流れるもので、会長の異能の力もあり、異界学園の生徒たちは特に暴走もせず、委員会からの依頼の名のもと、つつましく警備隊たちに協力することとなった。
このイベントのおかげで、警備隊も労力を無駄に消費することなく不審者の確保に勤しめている。
「一部の警備隊隊員からは、不評。物々しい抗議メールが、山のように来ている」
「まあ、その辺りは余録ということで、謹んで受け取っておこうじゃないか」
会長の隣で生徒会室内の統括を担当しているつぼみはポツリとつぶやいた。
実際、会長とつぼみが担当しているノートパソコンには西岡をはじめとする、異界学園の生徒がこのようなイベントを巻き起こすことに対して苦言を綴ったメールが並んでいた。
彼らとしては、子供に危険なことをしてほしくはないのだろう。もっとも、委員会が異界学園へ直接依頼した時点で、彼らの望みは叶うことはないのだが。
ちなみに、この生徒会室にすし詰めになっているの、戦闘にあまり向かないサイコメトリー系の異能者たちで、美咲のように異界学園の様子を観察し、不審者を発見してハンターとして登録されている生徒に情報を流す役目だ。こちらに対しても、会長の交渉のおかげでポイント褒章が与えられるようになっている。
「さて……これで、大人しく終わってくれればいいんだけどね」
次々と上がる不審者の発見報告と、拿捕報告を聞きながら、会長はそっとため息を突いた。
日はまだ上がったばかりだ。例の予言が過ぎ去ったかどうかは……まだ、わからない。
敵にとっては乾坤一擲でも、こちらにゃ関係ないと言わんばかりに馬鹿騒ぎ。
そしてそのバカ騒ぎには、当然暁たちの姿もあって。
以下次回ー。




