Scene.63「おばちゃん。弁当おくれ」
美咲は一時限が終わった辺りで教室へと帰って来た。
「ひどいです……あんまりです……」
そして昼休みに食堂へと向かう暁の背中についてぐちぐちと文句を言い始めた。
暁はその様子を無視しながら、食堂の一角にある弁当販売コーナーへと向かう。
「うら若き乙女をサイコキネシスで外に放り投げるとか……鬼ですかあなたは!?」
「おおむね自業自得じゃねぇか」
服の裾を引っ張って抗議してくる美咲の手を払う暁。
彼の向かおう弁当販売コーナーは、戦場か何かかと言わんばかりの荒れ具合で、腹を空かせた学生たちが我先にと目当ての弁当を求めて群がっている。
早くいかねば売り切れ必至であろうが、対する暁の歩みはゆったりとしていた。余裕があるとさえ言ってもいい。
そんな暁の様子を見て、美咲は不思議そうに首を傾げた。
「……早くしないと売り切れるのでは?」
「そう言うお前はどうなんだよ?」
逆に問いかけられ、美咲は肩を竦めた。
「ご心配なく。私は自炊派なので、お弁当持参なのですよ」
「そりゃリッチだな。羨ましい」
口ではそう言いながらも、暁からは羨ましそうな気配は感じられない。
不思議に思った美咲は、かねてからの疑念をぶつけてみることにした。
「暁さんも、こちらに住めばよろしいじゃないですか? いくら東京とはいえ、あのアパートはお世辞にも良い物件とは言い難いのでは?」
美咲は一度見たことがある暁の住居であるボロアパートを思い出しながらそう口にした。
月一万というのは、東京の物件であることを考えれば格安ともいえる。だが、風呂トイレは共同……というか大家の自宅部分の物を借りる形であるし、そもそも築五十年を経ているせいで、そこかしこの老朽化が激しい。当然、耐震構造など備えているわけもなく、ちょっとした災害が起こればそれだけで崩れてしまいそうな恐ろしい物件だ。しかも住宅地に立っているという立地上、買い物をしたければ、多少歩く必要がある。
一方、タカアマノハラにある異界学園の寮は、月四万ほど取られるものの、寮によってはそれぞれの部屋に風呂トイレばかりではなく、キッチンまで備えられているものもある。寮から少し歩けば、コンビニなども立っている。暁の暮らしているアパートとは、それこそ雲泥の差である。
だが、暁はとんでもないとでもいうように首を振った。
「馬鹿いえ。世界広しと言えど、あそこまで立地条件のいいアパートはそうそうねぇぞ? 月一万で、俺以外に暮らしている人間がいなくて、なにより大家のばあちゃんが優しくて、料理がうめぇ」
「……たまに思うんですけど、あなたの判断基準って常軌を逸してますよね?」
呆れたような眼差しを向けてくる美咲に舌を出しながら、暁は答えた。
「あいにく、一般的な生活が送れるような人生じゃねぇんでな」
「ええ、まあ、そうでしょうけど……」
暁の異能の強力さや、経歴、そして交友関係などを考えれば一般人とは言えまい。
だが、それとあのアパートに暮らすことは関係ないと思うのだが。
そう美咲が口にするより先に、暁が弁当販売所に向かって動く。
気が付けば、群がっていたはずの生徒たちは思い思いに弁当を手に持って散っていた。
一部はそのまま食堂の一席に腰かけて弁当を食べ、残りは自分たちの教室へと戻っていっているようだった。
美咲は弁当販売所に目を向けるが、やはりというか、もうほとんど弁当は残っていなかった。
だが、暁はそんなことは気にせず販売所のおばちゃんに声をかける。
「おばちゃん。弁当おくれ」
「おや、いらっしゃい」
おばちゃんは暁の姿を見て少し目を丸くしたが、すぐに笑って二つほど弁当を手に取った。
「はい。いつものでいいんだよね?」
「おう。ありがとう」
暁は四百円ほど支払い、弁当を受け取る。
サービスの箸も一緒に受け取り、嬉しそうに戻ってくる暁の手元を見て、美咲は首を傾げた。
「……なんです、それ?」
「何って弁当」
馬鹿を見る目で見つめ返してくる暁に対し、首を振って美咲は問いなおした。
「いえ、そう言うことではなく。四百円で、二つも買えるお弁当って、なんなのか興味があって」
「別に普通ののり弁だぞ?」
「のり弁?」
「ああ」
暁は頷いて、弁当の上蓋を外してみせる。
箱一杯に詰められたご飯の上にはおかかと海苔が載せられ、申し訳程度の大きさの魚のフライが隅っこに置かれていた。
「何しろ五百円で二つも買えて、おつりまで出るんだからな。たまの贅沢って奴だ」
「贅沢……これが……」
暁の言葉に悲しそうな眼差しを返す美咲。贅沢というには、質素に過ぎる。
暁はその眼差しを気にすることなく、教室へと戻る。
その背中を追いかけながら、美咲は暁の背中に語りかけた。
「私が……お弁当作ってあげましょうか……?」
暁の食事情を案じての発言だったが、暁はそうは取らなかった。
藪睨みに美咲を睨み返し、胡散臭そうな声を出した。
「何が目的だテメェ……? お前に払う金はびた一文ねぇぞ?」
「いや、あまりにもかわいそうなので……まあ、材料費くらいは払ってもらうおうと思ってましたが、そうおっしゃるならいいです」
暁の発言にいささかショックを受けながらも、美咲は首を横に振った。
まあ、本人が幸せならそれに越したことはあるまい。
暁の隣に並びながら、美咲はふと思い出したように廊下の窓から商店街の方へと顔を向けた。
「そういえば……啓太君たちはどうしてるんでしょうねぇ?」
「古金か? まあ、病院からはもう出てるだろうし、商店街辺りにいるんじゃねぇの?」
美咲に倣って窓の外を見ながら、暁はそう口にする。
会長から、啓太たちに今日は学校を休むように言ったという話を聞いている。
名目は、一応昨日の検査の続きである。検査自体は昨日の時点で終わっているので、単なる口実である。
とはいえ、あの二人は真面目な気質であるから、遊んで回っているということはないだろう。少なくとも午前中は病院に留まっているだろう。
美咲は携帯電話を取出し、啓太の番号を押し始める。
「せっかくですから、話でも聞いてみますかねー」
通話ボタンを押し、しばらく待つと啓太はすぐに出てくれた。
『はい、もしもし? 美咲先輩ですか?』
「はーい、美咲先輩ですよー? そっちの具合はどうですかー?」
今朝のことを思い出しているのか、やや声が上ずっている美咲。
啓太はそんな彼女の様子に気が付くことなく、明るい声で今の状況を説明してくれた。
『あ、はい。病院での検査はもう終わって、今はリリィと一緒に商店街まで来てるんです』
「ほほぅ? ご飯を食べにですね?」
美咲の瞳がギラリと輝く。何を考えているのかはわからないが。
啓太が朗らかに返事をした。
『はい。今は喫茶店に入って、二人でご飯食べてます』
「なるほどなるほど。……参考までに、何を注文したんですか?」
美咲の疑問に、啓太はやや不思議そうに問いかけた。
『? えーっと、僕がミートスパゲティで、リリィがホットケーキです』
「なるほど、なるほどー……」
何かを考えるような顔つきになる美咲の耳に、リリィの声が聞こえてくる。
―ケイタさん、ケイタさん! す、すごくおいしいですこれ! ケイタさんも一緒に食べましょうよ!―
どうやら興奮しているようで、声が思いのほか近い。机を乗り出しているのだろうか、啓太の焦ったような声が聞こえてきた。
『わ!? ちょ、リリィ、落ち着いてってば!』
「……忙しそうなので、もう切りますね? 今日一日、お大事にー」
『へ? あ、はい、わかりました。それじゃあ!』
美咲は啓太の返事を待たずに電話を切り、素早く懐に手を突っ込んで、フィルムケースを取り出した。
「何をする気だデバガメ」
「何って、啓太さんとリリィさんの青い春を! この目に収めようかと!」
「やめろ」
美咲がサテライト眼を発動させるより早く、暁は美咲の手の中のフィルムケースをサイコキネシスで握りつぶした。
「アーッ!?」
「ったく……一日に何度も窓の外から放り投げられてぇのか? 俺は嫌だぞ、何度もテメェを放り投げるのは」
暁に白い目を向けられて、美咲は顔を赤くして声を荒げる。
「投げ飛ばすの前提で話すのやめてもらえます!? 私だって自制くらい知ってますよ!」
「自制知ってる奴が、朝っぱらから机の上でお立ち台するかよ」
「ぬぐぅ……!」
痛いところを付かれてうめく美咲。
そうこうするうちに、暁たちは教室へと戻ってくる。
すでに駿たちは食事を始めており、光葉がちょっと見るに堪えない体勢に移行し始めているところだった。
『駿、駿。私にご飯を――』
「やめんかバカたれ」
暁は素早く光葉を駿から引きはがし、自分の席に戻る。
のり弁を開けてさっそくたまの贅沢を堪能し始める暁に、メアリーと話をしていたらしい一が声をかけた。
「そういや暁、お前はなにかしらねぇ?」
「なにがだ」
「あ、ごめん。いや、今メアリーちゃんと話してたんだけどさー」
暁が三白眼を返すと一は一言謝って、暁にメアリーと話していたらしい内容を説明し始めた。
「いや、昨日の夜遅くにさ。タカアマノハラの下の方で爆破事故か何かがあったらしいんだよ」
「爆破事故? 下でか?」
この場合下とは、タカアマノハラの下部に集中している下水処理施設の事になる。
場所柄を考えれば、爆破事故などおこらないはずだが。
そんな暁の疑問を察したのか、一は重ねて説明する。
「おう。でよ? 俺も気になってよくよく聞いてみたんだけど、爆破した後っつーのがなんか不自然で、施設が爆破したっていうより施設の傍で何かが爆発した感じなんだってよ」
「ほー」
話を半分くらい聞き流す暁。
メアリーはそんな暁にさらに説明した。
「警備隊の方々が到着した時には誰もいらっしゃらなかったようですが……やはり昨日の異能者に関連があるのではないかとお話していたところなんです」
「で、お前も何か知ってるんじゃねぇかと思って」
「知らねぇよ。なんかあるとしたら、これからだろうよ」
言っている間にものり弁を一つ片づけ、もう一つののり弁を開封する暁。
顔を上げて一を睨みながら、一応の忠告を始めた。
「ただまあ、その犯人とやらを追っかけんのはやめとけ。商店街の道路に大穴開けるような奴だ。普通にやりあってたんじゃ、命がいくらあってもたりゃしねぇぞ」
「お、おう、そうなのか……。じゃあ、あとはお任せするわ」
暁の言葉に軽く体を震わせながら、一は自分の弁当を片付け始める。
美咲も自分の弁当を持ち出しながら、暁に声をかける。
「……その犯人、また出ますかね?」
「さあな。出来りゃ、二度と出てほしくねぇが」
暁はそう言いながら、魚のフライを口に放り込んだ。
軽く日常を流しつつも、昨日の異能者はまだいるかもしれず……。
犯人は現場に戻ると言いますが、その頃の商店街を見てみましょう。
以下次回ー。




