Scene.62「そのまま交友を深めてみたらどうです?」
啓太が目を覚ますと、まず見慣れない天井が目に入った。
「………アレ?」
思わず目を瞬かせて首を傾げる。
ここは一体どこだろうか?
そう考えながら寝ぼけ眼を擦って体を起こすと。
「んぅ……」
と、自分の隣から小さな声が聞こえてくる。
「?」
不思議に思ってそっちに顔を向けると、そこに眠っていたのはリリィだった。
「………!?!?!?」
一瞬で混乱の極地に陥った啓太は、そのままリリィから飛び退くように離れ。
「っぅぁ!?」
手を踏み外してベッドから転落する。
残念なことに、今度は助けてくれる人がいなかった。
啓太の後頭部が病院の床に果敢に挑戦した結果、痛そうな音が辺りに響き渡った。
「あいったぁ!?」
「ん……ふぁ……?」
後頭部への打撃音、それに伴う情けない悲鳴。
啓太が発した二つの音が、リリィの覚醒を促した。
ゆっくり体を起こし、小さな欠伸を掻きながら音のした方へと顔を向ける。
そこには痛みに転げまわっている啓太の姿があった。
「……おはようございます、ケイタさん」
まだ寝ぼけているのか、啓太がそこにいるという事実だけを受け止めて二ヘラと笑うリリィ。
リリィの声を聞いて、啓太は痛みをこらえて立ち上がり、何とか顔を笑みの形へともっていく。
「オ、オハヨウ、リリィ……!」
涙目で声は不自然に震えており、誤魔化しのきいているような状態ではなかったが。
しかしまだ夢中にあるリリィにはそれで十分だったようで、嬉しそうに微笑みながらまたパタリとベッドの上に倒れてしまった。
「リ、リリィ?」
「んふふ……ケイタさぁん……」
しばらくすると、小さな寝息が聞こえてくる。どうやらまた眠ってしまったようだ。
啓太は小さく息を吐きながら、床の上へと胡坐を掻いた。
「はぁ~……そう言えば、昨日はあのままここに泊まっちゃったんだっけ……」
昨日、リリィと何とか仲直り出来た後。
会長が部屋までやってきて、一晩だけこの部屋を借り切ることができたと伝えられた。
検査の結果、異常こそなかったが大事を取って一晩入院、という扱いになったらしい。
「せっかくですし、そのまま交友を深めてみたらどうです?」
という笑みを含んだ声で言って、会長はそのまま帰っていった。
啓太とリリィは、その声の裏に含まれる意図を半分くらい理解し、二人でいろんな話をすることにした。
家族の事、自分の事、今までの事、これからの事……。
さっきまでの事もあり、照れが入ってなかなか話が進まないこともあった。
だが、少しの間とはいえ、お互いに距離を取っていた時間を埋めるようにいろんな話をした。
しかし、話すうちに二人そろって舟をこぎ始め、結局そのままベッドの上で寄り添い合って眠ってしまったらしい。
そのことに気が付き、啓太は顔を赤くして両手で覆った。
「あぁ~……なんか、段階すっとばしてとんでもないことしちゃった気がする……」
啓太たちが止まった病室は、個室にしては調度品が揃っている部屋であったので、予備の毛布もソファもあった。啓太はリリィにベッドを譲ってソファの上で眠るつもりだったのだ。
「ああ、どうしよう……。リリィ、怒ってないよね……?」
古金啓太も思春期の少年。そう言うことに興味はある。ただ、同じくらいに潔癖でもある。
清く正しい男女付き合いというのに憧れているのもあるため、同い年の同級生たちと比べるとその手の話題に疎いところもある。
まあ、早い話が初心なわけだ。リリィとの同衾というだけで、強く思い悩んでしまうくらいに。
「ん……」
頭を抱えて啓太が悩んでいると、リリィが寝返りを打って小さく声を上げる。
びくりと啓太は背筋をはねさせ、恐る恐る振り返る。
すぅすぅと小さな寝息を立てて眠るリリィの顔は、とても穏やかだった。
「……よかった、起きてない……」
ホッと一息ついて、啓太はリリィの顔を見つめる。
肌はきめ細やかく、驚くほどに白い。そこは人種の差だろうか。頬は仄かな桜色で、整った顔立ちにほんのりと色っぽさの様なものが見え隠れする。
背中を覆い、腰ほどまである金髪は、朝日に照らされて美しく輝いている。ベッドの上に広がっているのを見ていると、まるで金細工で作られた敷物のようでもある。
白いベッドの上で眠るリリィの姿は、まるでお姫様のようで。
「………綺麗」
啓太は知らず知らずのうちに、彼女の顔へと手を伸ばしていた。
指先が、彼女の頬に触れる寸前。
「ん……」
「!!」
リリィが声を上げ、そして啓太は自分が何をしようとしていたのかに気が付く。
(え、何してんの僕!? リリィに手を伸ばして、いったい何を!?)
そう考え、何とか手を引こうとする。
が、啓太の手はそんな意志とは関係なく、無意識の欲望に従って動いてしまう。
リリィの頬に軽く触れ、それから彼女の頭を撫でるように金の御髪に指を櫛のように入れる。
(う、うわ触っちゃった! ほっぺやわらかい! リリィの髪柔らかい!!)
サラサラの金髪が、啓太の指を微かに擽る。
眠っている女の子に触れるという行為に、妙な背徳感に興奮を覚える啓太。鼻息が俄かに荒くなる彼を知ってか知らずか、リリィがほんわり微笑んだ。
「えへへ……」
自らの頭を撫でる啓太の手が気持ちいいのか、自分からもっと撫でてほしいとでもいうように頭を微かにこすり付ける。
そして、夢の中で自らの頭を撫でているであろう人物の名を、口にした。
「おかあ、さぁん……」
「……っ」
優しく、甘く、呟かれたその名を聞いて、啓太の興奮は瞬時に覚めた。
夢の中にいるリリィは、母に甘えるように柔らかく微笑んでいる。
(……リリィ)
昨晩、多くのことを話した。
その中で、特にリリィの話に出てきたのは……優しかったという両親の話だった。
父は聡明で、母や凛々しく、そしてどちらもリリィにとても優しかったという。
啓太はそんな彼女の両親が素直に羨ましかったし、それだけに彼女の痛みも悲しみも理解できた。
だからこそ、彼女は力を欲した。だからこそ、彼女は自らを責めた。
大切であった両親を、失ってしまったからこそ。
「………」
啓太は、夢の中にいるリリィに応えるようにその頭を優しく撫でる。
少しでも、彼女の母親を思い出せるように、優しく。
リリィはその感触を受けて、擽ったそうに微笑んだ。
「……リリィ」
啓太は彼女の名を呼んだ。
せめて、夢の中でくらい……両親に甘えられるよう、そう願いながら……。
「オホォオォォオォォォォォォォォ!!!!」
「何このテンション朝っぱらから」
暁が教室に到着すると、何故かお立ち台のようにくっつけられた机の上に美咲が立っていた。
美咲はひどい興奮状態にあるのか、気勢を発しながら何かを祈るように両手を天へと向かって振り上げている。
ゴミを見るような目で美咲を見ている暁に、一と次郎が近づいてくる。
「よう、暁。さっそくだけどアレどうにかしてくんねぇ?」
「もし原因が知りてぇなら、俺が見るけど?」
「いや、いい。なんとなく原因は分かる」
ポラロイドカメラを取り出す次郎を制しながら、暁は頭痛を覚えたのか頭を押さえる。
「どうせ古金とリリィをデバガメしたんだろ……」
「ああ、あの子たち? っていうか仲直りしたんか」
暁の口から出た名を聞いて、一が驚いたように目を見開いた。
「なんつーか、冷戦状態だって聞いてたんだけど、なんかあったの?」
「まあ、色々だ」
「オゥァアアアアアアアアアアアアア!!!!」
曖昧に暁が頷いている間に、美咲がテーブルをバンバンと叩きはじめる。興が乗ってきたのだろうか、何らかの儀式に見えなくもない。
美咲の様子を未開の蛮族を見る眼差しで見つめながら、暁は手首をコキリと鳴らした。
「誰かー。窓開けてくんねぇ?」
「はーい」
遠巻きに美咲を見つめていた女子の一人が暁に返事をする。
彼女がさっと手を振ると、窓ががらりとひとりでに開く。どうやら暁と同じサイコキネシスの持ち主のようだ。
「サンキュー。あとは窓の前から退いてくれ、お前ら」
暁の忠告にクラスメイト達は素直に従う。
その間にも美咲のテンションは天井知らずでうなぎ上り。
「オアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
しまいにゃ、足を始点にグルグルバレリーナのごとく回り始める。
着ているのは制服なので、当然下はスカート。ある意味カーニバルではあるが、男子たちは美咲のテンションが異様過ぎてむしろ引いている。
「ムン」
そんな美咲に手を向け、暁は何かをつかむような動作をする。
「グギュッ」
瞬間、何かに縛られたかのように美咲の動きが固定される。
ついでにスカートも太ももにまとわりつくように張り付く。この辺は暁なりの優しさだろうか。
「せぇ――」
そして暁は何かを振りかぶるように、空気を掴んだ腕を振り上げ。
「のっ!!」
勢いよく、腕を振り抜く。
それと連動するように、美咲の体がボールか何かのように飛んで行った。
「アアァァァ――……!!??」
最後の最後で人の理性は取り戻せたらしい美咲であったが、か細い悲鳴を上げながら窓から飛び出し、その姿がフェードアウトしていく。
最後に、窓を開けた少女が腕をもう一振りして窓を閉める。
「これで良し」
「久遠の奴、大丈夫なのかこれは」
満足げに頷く暁に、次郎が問いかける。
ここは二階。場合によっては美咲が死んでしまう。
ただまあ、その辺りは暁もきちんと考えていたのか、振り返ってこう答えた。
「心配すんな。植込みの上に投げつけてやった」
「……まあ、生きてるならいいか」
暁の返答に、考えるのがめんどくさくなった次郎はそう言って自分の席に戻る。
その時、教室の扉が開いてメアリーが中へと入ってきた。
「おはようございます。……何かあったんですか?」
クラスメイト達が窓の付近に集まり、そしてお立ち台の残骸を片付けているのを見て、不思議そうに首を傾げるメアリー。
暁は肩を竦めながら、自分も席へと戻った。
「別に。いつも通りだよ」
「はあ」
はぐらかすような暁の言葉に首を傾げたまま、メアリーも自分の席へと戻った。
そして予鈴がなり、教室に教師が入ってくる。
結局美咲は授業が始まるまで戻ってこなかったが、いつものように異界学園の時間は過ぎていった。
仲直りして、美咲ちゃん興奮! まあ、半分は自業自得です。
ゆるゆると日常を過ごしながら、次へー。




