Scene.61「なんだよ、お前良い奴じゃんかよ!」
タカアマノハラは海洋上に浮かぶ都市である。当然、ごく一般的な都市とは異なった構造をしている。
陸地全体を支える基部は、石油プラントなどに利用される固定式プラットフォームを採用。大陸棚にがっしりと生えた鋼鉄の根は、海洋の波に揺れることなく、どっしりとタカアマノハラを固定している。
石油プラントと違うのは、海底に存在する資源をくみ上げる必要がないという点だろう。タカアマノハラの下部に存在するのは、主に下水処理関係の機能だ。いざという時のための整備通路などは存在するが、基本的に人が訪れるような場所ではない。
……そんなタカアマノハラの下部に、一人の男がぶら下がっていた。
男の顔面には包帯が巻かれ、風に煽られてその端がゆらゆらと揺らめく。
「………」
男は両手を使って鉄骨にぶら下がりながら、ゆっくりと横に移動している。彼がいまいる場所は、整備通路が伸びる場所ではなく、人の移動など想定されていないだろう下水管の下だ。さらにその下には当然海が広がっている。
高さはざっと20mほどだろうか。落ちたら一たまりもあるまい。
男は慎重に鉄骨を掴み移動し、その先にある整備通路へと向かう。
「………」
やがて十分整備通路に近づいた男は、大きく体を揺らし、勢いをつけてその上へと飛ぶ。
風にまで揺られ不安定な跳躍となったが、男は危なげなく整備通路の上へと着地した。
金網で出来た整備通路が大きな音を立てて揺れる。
「………」
男は無言のまま立ち上がり、何度か整備通路を強く踏み抜き、床が抜けたりしないか確認し始めた。
そんな男に近づいてゆく小さな影が二つ現れた。
「おー! いたいた!」
「………」
聞こえてきた子供の声に男が振り返ると、そこにいたのは会長と一戦交えた少年と少女の姿があった。
「ずいぶん下まで降りたじゃねーかよ! おかげで俺たちまでこんなところに来ちまっただろーが!」
「しょーがないよ、クーガ……キャッ」
強風が少年を煽るが、彼は風などないと言わんばかりに肩を怒らせながら男へと近づいてゆく。
一方、彼の後ろについてくる少女は強風に縮こまりながら必死に少年の後を追いかける。
胸に抱えた大きな本を取り落しそうになりながら、少女は男を見上げた。
「あの場から逃げるには、ああするしかなかった……。あそこは、私の異能の範囲外だったし……」
「さっきも聞いたってそれ! でも、こんなところ逃げる必要ねーじゃんかよー!」
宥めるように少女は言うが、少年は何が不満なのか怒りを露わにしながら整備通路をバシバシ叩いた。
「場合によっちゃ、俺たちが割って入る算段だったじゃんか! だってのに、こいつが下来るから、俺たちまでこんなくそさみーとこ降りてくる羽目になってんじゃんかよー!」
「クーガはいいじゃない……異能を使えば寒くないもの……」
ぷりぷり起こる少年だが、そんな少年を少女は恨めしそうに睨みつける。
彼女の言うとおり、少年だけは何故か整備通路上を吹き荒れる強風の影響を全く受けていないように見える。
風自体は少年の体に吹き付けているようだが……まるで彼の体を透き通っているかのようだ。
「うっせーよ! さみーもんはさみーんだよ!」
「うそつき……! この間の、教授の実験の時、寒くないって、言ったくせに……!」
「んだよー!? やんのかー!?」
ぎゃーぎゃーと……言うにはいささか少女の声量は控えめであったが、ともあれ少年と少女は男を無視して二人で言い争いを始めてしまった。
どれだけ強い異能を持っていても、見た目通り子供ということなのだろうか。
包帯の隙間から見える男の眼差しも、呆れの入り混じったものになる。
しばらく二人の子供の不毛な言い争いを見つめていたが、不意に顔を上げる。
「……ウ…グァ……?」
まるで誰かを探すように視線をさまよわせ、少年と少女の気を引くかのようにうめき声をあげた。
男の声を聞き、少女が心配そうに近寄った。
「あ……まだ、喋っちゃだめだよ……。傷は、治ってないんだから……」
「つーか、どうしたんだよ? なんか見つけたのか?」
男の様子を見て、自分も周りを見回す少年。
だが、ここはタカアマノハラ下部の下水処理機関、その整備通路の上だ。
可能な限り全自動化されているタカアマノハラでは、何か異常がない限りは専門の業者もここには降りてこない。降りてくるとすれば、あの場……商店街で異世駿と遭遇し、逃走を図ったこの男と、それを追ってきた少年と少女位なものだろう。
実際、見える範囲に人影など存在せず、その場にいるのは男たち三人だけであった。
―……お疲れ様です、お二人とも―
そんな三人の元に、不意の女の声が聞こえてくる。
風に流されてきたかのように突然聞こえてきたその声に、少年がびくりと体を震わせた。
「っぅぉ!? だ、誰だテメェ!?」
―お忘れですか? 私ですよ……―
声はすれども姿は見えず。
相変わらず風の中から流れてくるようなその声に完全にビビる少年。
そんな少年を見て、先ほどの溜飲を下げながら、少女はクイクイとその服の裾を引いた。
「……クーガ。ほら、私たちの潜入も手伝ってくれた……」
「え? ………あ、ああ、あいつか」
少女に指摘され、少年はようやく思い当たる。
その声の主が、自分たちが協力している教団の異能者であると。
「……ったく。テメェの異能は趣味がわりぃんだよ!」
―申し訳ありません。そう言う性分なもので―
怒りを露わにする少年に、声の主は謝罪する。
だが、その声の中には嘲笑うかのような色が含まれていた。
それに気づいた少年の瞳の中に険が宿る。
「……テメェ、今、俺のことをバカにしたか……?」
―いいえいいえ、まさか―
殺意を露わにする少年に対し、声は慇懃無礼にそう応えた。
―私はあくまで末端の人間……。お二人に畏怖を抱けど、決して侮辱など……―
「………」
少年にそう応える声。
少年は歯をむき出しにして叫ぼうとするが、それより早く男が動いた。
すっと腕を差し上げ、指の先から赤い何かを飛ばす。
瞬間、閃光が爆ぜる。
ゴボォッ!!
―!!??―
声の主の、明らかに動揺した気配が伝わってくる。
己が爆破した場所をまっすぐに見つめ、男はコキリと指を鳴らした。それに伴い、男の周囲に赤い粉末状の火の粉が舞い始める。
「………」
―な、なにを……!?―
明らかに戦闘態勢に入った男の姿を見てか、声の主が動揺しているのがわかる。
男の戦意を感じただけでなく、自らの居場所を見抜かれてしまったこともショックなのだろう。
男に機先を制されてしまった少年だったが、微かに煙を上げる場所と男を見上げ、男が声の主を攻撃したのだと数瞬遅れて理解した。
「……お、おう、よくやった」
少年はうんうんと何度か頷き、それから上機嫌に男の足をバシバシ叩いた。
「なんだよ、お前良い奴じゃんかよ! 気に入ったぜー! 今後も俺の部下として働かせてやんよ!」
「調子に乗りすぎ……」
冷めた眼差しで少年を見てから、少女は煙の上がっている方向へと顔を向けた。
「あなたもだけどね……。こんなところまで、わざわざクーガをからかいに来たの……?」
―……いいえ、滅相もありません―
声の主は、男に攻撃されて冷静になったのか、事務的な声でしゃべり始める。
―いくらか事態が変わりましたので、報告をと、思いまして―
「事態が変わったぁ? 具体的には?」
―リリィ・マリルとフルガネ・ケイタ……この両者が元の寄りを取り戻しそうで―
その言葉を聞いて、少年が小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「ハンッ! なんだよ? 隙をついてこっちに引き込むんじゃなかったのかよぉ?」
―……申し訳ありません。フルガネ・ケイタの方には、アラガミ・アカツキがついており、リリィ・マリルの方も、うまく行かず……―
「言い訳はいいっつんだよ! ……で、どうすんだよ? ドーシサマはもう英国に逃げ帰っちまったし、オラクル・ミラージュも叩き潰されちまった」
少年はちらりと男を見上げ、それから声の主がいる方へと顔を向ける。
「その間にこっちは、一応戦力増強で来たけどよぉ? さすがにこいつだけでカグツチとイザナギを捕獲できるとは思えねぇぜ? なんか手はあんのかよ?」
―……一応の手立てはあります―
少年の言葉に、声はそう告げた。
少女は、不思議そうに首を傾げた。
「まだ……なにかあるの……?」
―ええ、一応。今しばらく時間は必要でしょうが、必ずカグツチとイザナギを捕えてごらんにいれますとも―
時間が必要、という言葉を聞き男の瞳が剣呑に輝く。
「………グ、ァガ」
―……? あの、何をおっしゃっているのですか?―
男のうめき声を耳にし、声が不思議そうに首を傾げる。
声帯も不自由なほどに負傷しているためか、男が何かを言おうとしていてもその意思を知る方法がない。
男に代わり、少年が声の主に告げる。
「ああ、元々こいつ、アラガミ・アカツキ?だっけ? まあとにかく、自分をぼこぼこにしたサイコキネシストに復讐してぇんだってさ。今回の襲撃も、そいつを呼び寄せるためのものだったんだけど、余計なもんが寄ってきちまったし……」
少年は小さくため息をつくと、声の主を睨みつけるように視線を鋭くした。
「……あんまウダウダやってるようなら、諸共吹っ飛ばすって言いたいんじゃねぇの? もちろん、俺だって吹き飛ばすぜ? 遠慮なくな」
―……肝に銘じておきましょう―
声は静かに告げる。
しばし沈黙がその場を支配するが、俄かに後方が騒がしくなり始めた。
何人か複数の人間が、こちらへ向かってやってきているようだ。
気配のする方へと首を回し、少年が訝しげにつぶやいた。
「あぁ? んだよ急に……」
―おそらく先ほどの爆発でしょう。さすがに、下部を爆破されて気付かないはずもないでしょうし―
「あ、そっかー……そりゃ気付かなかったぜ!」
「気づかない方がおかしいよ……」
何故か得意げな顔で頷く少年。
そんな少年を呆れた眼差しで睨みつける少女。
少女はため息をひとつ突き、声の主の方へと振り向いた。
「もう行くね……。手があるっていうなら、少しは待つけど……私も、気が長い方じゃないから……」
強風吹きすさぶ中、少女が手に持った本を広げる。
「あんまり、待たせるなら……飛ばしちゃうよ……?」
―……はい、わかりました―
少女が開いた本から、文字が躍り出す。
木の葉か何かのように舞い踊った文字は三人の姿を覆い隠し、そして消してしまう。
やがてそこにタカアマノハラ警備隊の者たちが駆け付けたが、その場に誰かいたという証拠は、結局見つけることはできなかったという……。
暗躍する者たちの宴……。
そしてしばしの平穏の中、何か起こるのか?
以下、次回ー。




