Scene.58「私の研究の全てを否定するものだ」
タカアマノハラ、中央塔、最上階。
そこに鎮座する理事長室の中で、異世研三は一本の電話を受けていた。
「――ああ、いつもすまない。面倒をかける、西岡君」
『いえ、これが我々の仕事ですから……』
相手はタカアマノハラ警備隊の隊長を務める西岡。
その内容は、商店街に突如現れた謎の異能者に関する報告だ。
椅子に背中を預けながら、研三は天井を見上げ、残念そうにつぶやく。
「……しかし、まだ諸君らの装備ではある程度以上の異能者に対応できないか……」
『……申し訳ありません』
研三の言葉に、西岡は無念そうに謝罪した。
『結局、ご子息のお手を煩わせてしまいました。これでは、何のための警備隊なのか……』
「いや、こちらこそすまない。本来であれば、諸君らには実弾を装備させるべきなのだがな」
西岡の謝罪に対し、研三はそう返す。
子供を預かる異界学園、その学園長でもある立場の人間の言葉とは思えない。だが、現状において一定以上の……例えば今回商店街に現れたような異能者に対しては、実弾による制圧が最も効果的な対処法であると言われている。平たく言えば、射殺も辞さないというわけだ。
西岡が、少し焦ったように研三を窘める。
『異世さん! あまりそう言う発言は……!』
「何がいかんね、西岡君。おそらく、警備隊の誰もが思っていることだろう」
だが研三は、平然とそんなことまで言い出す始末。
『……それは』
だが、西岡はそれを否定しなかった。おそらく、実際に隊員たちにそう言われたことがあるのだろう。
もちろん、法治国家である日本でそのような事態は早々許されるものではない。だが、異能者は一般人を傷つけてはならないという法律からわかるように、異能者という存在が社会に、そして異能を持たない者たちに異端視されているのも事実。
特に、駿や光葉のような第一世代は人間とは別の存在として認識されていると言ってもいい。彼らの力の大きさは、その存在を直接知りえない一般人には畏怖と共に伝えられているのだ。
そう言った力の強い異能者は、国家によって保護されるのと同時に、監視されていると言ってもいい。いつ、その力が暴走したとしても国を守ることができるように。
日本にとってタカアマノハラが、英国にとっては異能騎士団が。それぞれの有する第一世代異能者たちの檻と言ってもよいのだ。
檻の中で異能者たちを監視する立場でもある西岡は、苦しそうに言葉を絞り出した。
『……すべては、我々の力不足によるものです。本当に申し訳ありません……』
「……ああ、すまない。余計なことを口にした」
その声に含まれた強い悔恨の情を感じた研三は、瞑目する。
彼にとって、タカアマノハラで暮らす異能者たちは監視する者ではなく、守る者……。学び、遊び、そして育つ子供たちなのだ。
そんな子供に対して、銃を向けろなどと、理にかなっていようともいうべき言葉ではない。
研三は西岡にそう謝罪し、ゆっくりと息を吐く。
「諸君らの装備の強化案に関しては、現在検討中だ。いずれ、試験運用をお願いすることになるだろう。それまでは、現状の装備での対処を頼む」
『了解しました。商店街に開いた穴の補修工事の方は、いつごろ?』
「一週間以内に業者を派遣するようにする。それまで、穴に不用意に学生が近寄らないようにしてくれ」
『了解しました』
研三と西岡はその後、事務的に会話をつづけ、商店街の事件の事後処理を進めてゆく。
商店街に空いた穴、そして異界学園への伝達事項など……。
ある程度、事後処理を進めたところで、研三は不意に問いかけた。
「時に西岡君」
『はい、なんでしょう?』
「君の目から見て、今回現れた異能者、どう見えた?」
『………』
しばし沈黙。
電話の向こうから伝わってくる不機嫌な気配に、研三はタイミングを間違えたかと今更気が付くが、西岡は律儀に答えてくれた。
『……どう、と言われても、測りかねます。強力な力を持った異能者、としか……』
「ふむ、そうか」
当たり障りのない答え。
とはいえ、異能科学に長じているわけではない西岡にとって、異能者は強いか弱いかがはっきりしていれば、それ以上の情報は不要だろう。彼の答えは当然と言える。
研三はそんな西岡の答えに対し、自分の手元にある二つの資料を見下ろしながら、また質問をした。
「では、仮にその異能者が突然現れたとしたら……どう思う?」
『……? それは、どういう意味です?』
謎かけか何かのような研三の言葉に、怪訝そうな声を出す西岡。
意味が解らないのも当然だ。あまりにも、唐突に過ぎる。
現代において異能者というものは、ある日突然現れるものではない。ある程度、異能のための教育を経て、初めて生まれるものだ。
もちろん、第一世代という例外は存在するだろうが、だからと言ってあの男が第一世代と言えるほど強力だったわけではない。……もちろん、人知を超えた力をもってはいたが。
『異能は、一朝一夕に得られるものではない。あなたも……いや、あなたが一番よくご存じでしょう?』
いささか呆れたような西岡の声。
だが、研三はそんな彼の声にも揺らぐことなく、唐突に話題を変えた。
「実は東京のとある病院から一人の少年が失踪したと知らせがあった」
『は?』
少年の失踪、などという話を急に聞かされ、西岡が間の抜けた声を上げる。
研三は手元にあるとある少年の失踪届を手に取りながら、その少年のことを口にする。
「つい先日、暁君によって負傷させられた少年だな。失踪直前の背格好が、諸君らの目撃した異能者によく似ている」
『彼ですか……いえ、待ってください。それはおかしい』
西岡は暁のことを出されてその少年のことを思い出すが、すぐに研三を制止する。
『彼は異能者じゃない。ただの一般人のはずだ。あんな強力な異能を、彼が身に付けたというのですか?』
そう。あの日暁に顔面整形させられた少年は、ただの一般人だった。そもそも、あれだけの異能を持つなら、わざわざ武器を持つ必要もない。自分の異能こそが、最も強力な武器だからだ。
だが、西岡の疑問を放置し、研三はまた話題を変えた。
「それから……昨日、諸君らに回収してもらったディスクに関して結果が分かった」
『? あ、ああ、オラクル・ミラージュ制圧の際のですか?』
研三は手元にある資料の一つ……ディスクの大量の分析結果を記したレポートをめくりながら、西岡にそのディスクの正体を明かした。
「あのディスクの中身は、強制的に異能者を覚醒させるための映像記録だ」
『……は?』
研三の言葉に、西岡は呆けたような声を上げる。
それに構わず、研三は言葉を続けた。
「私は異能の覚醒に、音の刺激とその内容を利用して、自然に覚醒できるように誘導する“誘導方式”を採用している。これは、覚醒者に対する負担が少ない代わり、異能の覚醒に個人差が出るのが欠点だ」
『は、はぁ……』
突然始まった異能の覚醒の仕方の話に、西岡は戸惑うように頷いた。
「そして今回発見されたディスクは、対象者の視覚を利用することで、脳を直接刺激し、異能の覚醒を促すためのものだ。これは異能の覚醒に個人差がないのが特徴だ。しかも刺激が強ければ強いほど、強い異能者が覚醒しやすくなる。こちらの方法は、“刺激方式”と呼ばれる」
『そんな方法があったのですか?』
少し驚いたような声を上げる西岡。
現代の異能覚醒のための教育は、研三の提唱した誘導方式しか存在しない。
いや、それ以外の方法を研三が提唱しなかったというべきか。
異能科学の父である研三の言葉に世界中の人々は疑いを持たず、今日の異能科学は基本的にすべて誘導方式で進められてきた。
だが、研三はあっさり別の方法があると口にした。しかも、もっと確実に素早く覚醒できる方法を。
西岡はそのことに驚きながらも、慎重に研三に問いかけた。
『……では、何故その方法を提唱なさらなかったのですか? 早く、確実に、しかも強い異能者が生まれるとあれば、もっと世界中で異能科学が注目されたでしょう?』
西岡の言うことももっともである。
異能科学が提唱され始めてから、早三十年。実際に異能者が認知されるようになってから十数年といったところか。
これだけ異能科学が広まるのに時間がかかったのは、ひとえに異能者へと覚醒する者がなかなか現れなかったからだ。
西岡も知っている、誘導方式。これは一定時間、研三が異能科学を元に作成した音楽を聞き、自然と異能に目覚めるのを待つという方式だ。正式名称は催眠誘導方式であり、聞いた人間の意識を異能が覚醒する状態へと持っていくことで、異能の覚醒を促すという方法だ。
現在はその音楽が流れる間に異能に関する歴史や、実際に発現した異能の例などを聞くことで、より一層、異能の覚醒へと意識を向けられるようになっているが、研三が提唱した当時は彼が作り出した音楽だけが異能覚醒への頼りだった。だが、ただでさえ胡散臭いとされていた当時の異能科学論の、胡散臭い科学者が流すただの音楽。そんなものに、真面目に耳を傾ける者はほとんどいなかった。
そのため、異能が本当に覚醒する者は現れず、研三の異能科学論は眉唾学問と一笑に付されていたのだ。
だが、研三の元にあるディスクを使えば、そんなことはなかったはずだ。
だが、それを使わなかったということは……。
西岡は、研三の答えを半ば予想しながら待った。
「単純な話だ。刺激方式による急激な変化。それに人間の脳が耐えられないと予想がついたからだ」
『やはり……』
研三の言葉は、西岡の想像通りだった。
「突然異能に目覚めるほどに強烈な変化だ。脳細胞に与える影響はもとより、それによって変異するであろう精神構造、そして人格……それらを加味して考えても、刺激方式は危険だったと言わざるを得ない。……個人的な思想の違いもあったが、故に私は刺激方式による異能の覚醒をあきらめ、誘導方式の開発へと着手したのだ」
『……そうですか』
小さく頷き同意しながらも、西岡は研三の良識に感謝していた。
仮に研三が刺激方式を強行に広めて異能科学論を広めるような人間であれば、異能者は今以上におそれられる存在になっていたかもしれない。
そんなことになっては、あるいは異能者とそれ以外の者の間で争いが……もっと言えば戦争が起きていた可能性すらある。
研三の良識は、その可能性を未然に防いだのだ。
だが。
『……いや、待ってください』
西岡は、すぐに思い出す。
研三の手元にあるディスク。
それは……刺激方式による異能の目覚めを促す物であることを。
『ならば、何故そのディスクがそこにあるのです? あなたが刺激方式の研究を止めたのであれば、それはこの世に存在しないはずの物では!?』
激高したかのような西岡の声を聞きながら、研三はゆっくりと答えた。
「もう一人いるからだよ、西岡君」
『……もう、一人?』
「そう。もう一人いるのだ。異能科学論を研究していた者が」
研三は答えながら、ゆっくりと窓から外を見下ろす。
すっかり夜陰に浸った、タカアマノハラを。
「私が危険だと判断した刺激方式も、彼が編み出したものだ。より確実に、異能に目覚めるために」
『………』
「彼は何よりも、神の存在を証明したがっていた。そのために、何よりも強い異能の力を欲した。私が誘導方式へと転換した辺りで袂を分かち、その後の行方は知れなかったが……どうやら異国の地で己の研究を完成させていたようだ」
『……その男の、名は?』
刺激方式を完成し、オラクル・ミラージュにそのディスクを提供したであろうその男。
その、名は。
「アルマ・ディジーオ。私の、かつての同胞であり、我が生涯のライバルでもある」
『……その男が、主犯なのでしょうか?』
今回の事件の。
西岡の言葉に、研三は首を横に振った。
「それはどうだろうな。彼がやったとしてそのメリットがわからない。彼はなによりも神の証明に力を注いでいた。わざわざ病院に搬送された少年にディスクを与えて、異能を目覚めさせるメリットはないだろう。何か目的があって、主犯に協力している可能性はあるが」
『その男……アルマ・ディジーオのことは、公開されるのですか?』
「しないわけにはいくまい。こうして、刺激方式のディスクが出回ってしまっているのだ」
机の上に転がっているディスクを指ではじき、研三は微かに語気を強める。
「決して、許せんよ。魂は、人の心の中にあるものだ。決して、人の脳に宿るものではない。このディスクは、私の研究の全てを否定するものだ」
そう語る研三の瞳には、強い輝きを宿していた。
強い憤怒の輝きを。
明かされるディスクの秘密。そして、それを生み出した存在。
そんな連中と戦った啓太君は今?
以下、次回ー。




