Scene.53「……何してるんですか、先輩?」
「うぃーっす」
オラクル・ミラージュの強制捜査に付き合って翌日。
暁がいつものように生徒会室を訪れると、そこにいたのは男衆だけだった。
「おん? なんか人がすくねぇな?」
「女の子たちはみんなで買い物に行きましたよ。まだ、マリル君が本調子じゃないとのことで」
「ほー、さよか。ところで会長」
「なんでしょう?」
「その顔の傷はどうした?」
「触れないでください……」
会長の顔には、斜め一直線につけられた爪痕のような傷ができていた。
綺麗にまっすぐ引かれた傷跡を隠すように扇子を広げながら、会長は暁から顔を隠した。
「少し、その、触れてはいけない話題に触れてしまいまして」
「ふーん。まあ、いいや」
元々興味も薄かったのか、暁は早々に会長の傷跡の話題から離れ、窓際で何だか黄昏ている啓太の方へと近づいた。
「よう古金。なに黄昏てんだ? かっこいい系から渋い系にクラスチェンジか?」
「もうそこから離れてくださいよ……」
背中にかけられた暁の言葉にがっくりうなだれながら、啓太は振り返った。
「いえ、その……リリィと話をしようとしたんですけれど、やっぱり避けられて……」
「まあ、あんなことがあった後だ。当然だわな」
暁はうなじきながら、適当に椅子に腰かける。
「昨日も言ったと思うが、少し間ぁ空けた方がいいと思うぞ。少なくとも、リリィがここに顔を出せるくらいには」
「それって結構時間かかる気がするんですけど……大丈夫ですかね?」
顔を引くつかせながら何とか笑おうとする啓太に、暁は首を振って見せた。
「いやぁ、多分遅いんじゃねぇの? 傷がふさがった頃には、新しい関係を築けるようになるといいな」
「それじゃ駄目ですー。せめて、前程とは言わずに、少しでも関係修復をー」
無慈悲な暁の言葉に泣きそうになりながら、啓太は暁へと縋りつく。
足元にしがみ付く啓太を鬱陶しそうな眼差しで見つめながら、暁は鞄の中から教科書とノートを取り出す。
「俺が知るかよそんなもん。どうしてもなんとかしたけりゃ自分でどうにかしろよ」
「そんな殺生な……いや、まあ、自業自得なんですけれど」
啓太はがっくりとうなだれながら、暁の隣に座り直す。
実際、リリィとの間が離れた原因は啓太自身の無謀にあるのだ。
リリィとの関係をどうにかしたければ、自分で動くしかないだろう。
ため息をつき、顔を伏せる啓太。その隣で、暁は教科書を広げてノートの中に何事かを綴り始めた。
クルリと首を回して、啓太は暁を見上げながら質問する。
「……何してるんですか、先輩?」
「宿題。明日、授業中に答えろとよ」
「はあ」
見れば、啓太にはノートにはわからない数式が並んでおり、それを元に暁は教科書の中にある問題を解いているようだ。
「……解けるんですか、先輩?」
「バカにすんなよお前。家に何もなくて、学校で授業の復習くらいしかすることのねぇ俺の成績は学年でもトップクラスなんだぞ」
「嘘のようでホントの話です。新上君は、異能の成績だけではなく、学問の成績もよいのですよ」
「そ、そうだったんですか……ごめんなさい、すごい意外です」
「ほっとけ」
暁の新たな一面を知り、啓太は慄くように謝罪する。
暁が勉強できるとは意外すぎる。むしろ、テストは赤点で潜り抜けていそうなイメージが強いのだが。
「意外と言えば、久遠君もですかねぇ」
「え? 久遠?」
ポツリと会長の溢した言葉に啓太は一瞬誰のことかと考えるが、すぐに美咲のことであると気が付く。
ついこの間などは、リリィとの関係を盛大に弄ってくれたのを覚えている。
……リリィのことを思い出し、胸が微かに痛む。啓太は頭を振ってその痛みを誤魔化し、会長へと問いかけた。
「……美咲先輩がどうしたんですか?」
「いえ、割と率先してマリル君を連れ出したものですから。彼女は傍観者スタイルが基本だと思っていましたので、意外だなーと」
「そうかぁ? あの女、自分の思い通りの場面を撮るためなら、心血惜しまず努力する奴だぞ?」
ノートに次々と問いの答えを掻きながら、暁は小さく鼻を鳴らす。
「どうせ、表面上は優しくとも、古金とのベストショットを撮りたいがために、リリィに元気になってほしいだけさ」
「彼女も好きですねぇ。恋愛話にすごい勢いで食い付きますものねぇ」
「何も知らねぇ時期に、駿と光葉にも突っ込んでいったからな」
「それはなんというか、勇気がありますねぇ」
「だなー」
「……あの、聞いてもいいですか?」
横で黙って先輩たちの話を聞いていた啓太は、少し気になって横から口を挟んだ。
「はい? なんですか?」
「……いえ、その……。駿先輩と光葉先輩って、結局どういう関係なんでしょうか……?」
啓太のその言葉に、暁のペン先が止まった。
「……あの二人の関係、か?」
「はい……あ、恋人同士っていうのは分かるんですけれど……」
啓太は慌ててそう言いながら、少し口ごもる。
「……ただ、そう言い切るには、なんていうかその、二人とも態度がおかしい気がして」
「……まあ、恋人という表現は正しくない気がするわな」
宿題を中断し、ペンを指で回し始める暁。
「兄妹……っつーとなんか生々しいな。夫婦……というにも違う。そうだなぁ……」
しばらく唸り、そして暁はこう答えた。
「……欠けたパズルのピース。うん、これだな」
「えぇ? パズルのピースですか……?」
「ああ。たぶん、あの二人の関係を表すならこれが正しい」
うんうんと自分の出した答えに満足げに頷く暁。
しかし啓太はそうはいかない。パズルのピースなど、人の関係性を示す言葉ではないと思うのだが。
「……それって、どういう過程で導き出した答えなのか、聞いてもいいですか?」
「過程っていうか、まんま? あの二人には、互いがなくてはならないっていうか。どっちかがいないとどっちかが成り立たないっていうか」
くるくるとペンを回し、暁は啓太を見下ろす。
「パズルは組み合わせないと絵にはならないだろ? そんな感じで、あの二人はお互いに存在しないと人として自我を保てないと言っていい」
「そんな大げさな……」
「いや、大げさでもねぇぞ? 少なくとも光葉に関しては間違いなく、駿がいなけりゃ制御できねぇ」
「………」
暁の言葉に、啓太は黙り込む。
彼女の噂は、彼も聞き及んでいる。
例えば、光葉が異界学園の中学一年生であった頃。公私混同は良くないと、当時の学年主任が駿と光葉を別のクラスに分けてしまったのだという。
研三はそのことに関して注意を呼びかけたが、学年主任はそれを無視。研三が我が子可愛さに甘やかしているのだろうと考えたのだという。
そして迎えた始業式の日。光葉のクラスに同席した生徒たちは、始業式を迎える前に、闇に飲まれたのだという。
駿が傍におらず情緒不安定になっていた光葉が暴走したため、彼女が駿を探して広げた闇から逃げ遅れたのだという。
その時の光葉のクラスメイト達は皆無事に救出されたが、皆一様に影や黒いものに対して恐怖するようになってしまったという。今でも特に深い場所に沈み込んでしまったものは、病院の中で暮らしているとも言われている。
こんな話を筆頭に、彼女は一つの里を滅ぼしただの、ビル一棟を闇で飲み込んだだの、その中に飲まれた人間は向こう側に連れて行かれて二度と戻ってこれないだの、彼女に関するうわさは一事が万事この調子である。
もちろんこの手の噂に付き物の「いちばんヤバいうわさは、これらの噂全てが本物である」という噂もくっついてくる。
そんな彼女と共にある異世駿という少年……。自ら主張することが少ないため、啓太もその性質を掴み損ねているのだが、彼がいれば光葉が安定するのは事実なのだ。
だからこそ、解せない。駿は、光葉のどこを見て彼女と一緒に居るのだろうか、と。
暁の言葉を借りれば、光葉が駿の傍にいることで安定するように、駿もまた光葉の存在に安定している。だが、駿にそのような一面が在るとは啓太には思えなかった。
「……光葉さんに関してはそうでも、駿さんはどうなんですか? あの人も、光葉さんがいなければ暴走するんですか?」
啓太は納得がいかずに、そう問うてみた。
それに暁は、静かに答えた。
「まあ、冷静さは失うな。自分が持ってる異能を制御できなくなるくらいに」
「……それって、かなりまずいですよね?」
暁の言葉に、啓太は一粒の汗を流した。
彼の異能、カグツチの暴走。
それはそのままタカアマノハラの壊滅を意味する言葉だ。
カグツチは森羅万象の一切合財を灰へと還す異能。それは異能とて例外ではなく、あの力を防ぐ手立ては現状存在しない。
そうならないために、駿は日々感情制御という形で異能をコントロールしているわけだが……。
その制御を失うほどに、狼狽するということなのだろうか? 啓太はブルリと身震いした。
「……それだけ、光葉さんは駿さんにとって大切な存在っていうわけなのですね」
「そう言うことだわな」
暁は一つ頷いてペン回しを止め、ビシリと啓太に突きつけながらこう聞いた。
「で? なんか参考にはなったか?」
「え?」
「なんだよ? あの二人の関係を聞いて、自分とリリィのことに関する参考にするんじゃねぇのか?」
「あ、いえ、まあ、そうなんですけど……よくわかりますね、先輩……」
そのものずばりと内心を言い当てられ、啓太が恥ずかしそうに見上げると暁はフフンと鼻を鳴らしてみせた。
「わからいでか、その程度。つうか、お前の場合は分かりやすすぎ。顔に出てる」
「え、ええ? そうですか……?」
暁にそう言われ、啓太は思わずペタペタと自分の顔を触る。
「そんなにわかりやすい顔してますか、僕……」
「ああ、一目瞭然って奴だ。今日も授業中、リリィのことで頭がいっぱいだったろ?」
「そ、そこまで顔に出てましたか!?」
そこまで言い当てられ、啓太は驚愕する。
まさかそんなことまで顔に出ていたとは……。
「まあ、今のはブラフだが」
「……先輩?」
しかしすぐにそう言われ、半目で暁を睨みつける啓太。
いたいけな後輩いじめて何が楽しいんですかあなたは、と言わんばかりの眼差しである。
暁はそんな啓太の表情を笑うわけでもなく、ペン先で扉の外を指し示しながら、啓太に言った。
「そんなに気になるなら会いに行けばいいじゃねぇか。別に減るもんじゃなし」
「減るかもしれないじゃないですか……」
「そんなもんは知らん。というか、傍でうじうじされる方が鬱陶しい」
「ですよねー……」
そうはっきり言われ、啓太はがっくり肩を落としながら、とぼとぼと生徒会室を出ていく。
ため息をつきながら扉を閉じる啓太の背中には、濃い哀愁が漂っていた。
……そんな先輩後輩の会話を黙って聞いていた会長は、暁を見て苦笑する。
「なんというか……炊き付けるのが下手だね、新上君は」
「ほっとけ。こういうのは苦手なんだよ」
そう言って、暁は宿題の残りへととりかかっていった。
とりあえず、会わねば話は始まりませんよ?
以下次回ー。




