Scene.44「僕は……褒めてほしかった」
「いや。そもそも、誰が昔何をしていた、なんて話、興味もねぇしな」
「先輩ならそう言いますよね」
ハハハ、と啓太は乾いた笑い声を上げる。
だが、すぐに真剣な表情で自分の話を始めた。
「僕の家……っていうか父の仕事なんですけれど、手品師なんですよ」
「このご時世に手品師、ね。さぞや苦労してるんだろうな」
「ええ、そりゃあ、もう」
かつて、ハンドパワーや超魔術と呼ばれ、お茶の間のテレビを席巻したこともある、手品。
だが、現在においてその地位は極めて低いものであると言わざるを得ない。
誰にも読み解かれない、絶品のネタを仕込んだとしても、それを身一つ種なしで実行できてしまう人間がたくさんいるからだ。
テレポーター一人いれば、脱出ネタを安全にやってのけることができる。サイコメトリーであれば、相手が持ったカードの中身なんて読み放題だ。空間を操るハコニワ系の異能者がいれば、切断系の手品さえ再現可能だ。
いかな熟練な手品師でさえ、やってのけることのできない領域を、年端もいかない子供が再現してみせる。それが、今の時代なのだ。
「僕の父はトランプ手品を得意としていたんですけれど、異能者が現れるようになってからは日に日に依頼が減って、家にいる時間が多くなっていったんです」
啓太が体を動かすと、胸ポケットにしまわれたトランプが小さな音を立てる。
「初めこそ、新しい手品のタネを考えたり、舞台の演出を考えたりしてたんですけれど、年月が経つにつれ、お酒を飲む時間の方が伸びていったんです。そりゃ、お酒にも逃げたくなりますよね。どんな手品を披露しても、自分より小さな子供の方がずっと上手にやってのけちゃうんですもん」
苦笑する啓太。
ゆっくりと、体を起こした。
「仕事は戻らず、手品師であるという誇りを傷つけられて、酒におぼれる毎日……。母はそんな父に愛想を尽かして出ていっちゃうし、そのうち契約していた芸能事務所からも契約を切られちゃって。お酒どころか、その日の食事代にも窮する日が続いたんです」
啓太は胸ポケットからトランプを取出し、シャッフルし始める。
「そんなある日のことでした。僕は、この力に目覚めたんです」
そう言って、トランプを中空に浮かべる啓太。
切られた札。古金啓太の持つ、ゲンショウ型の異能。
トランプを宙に浮くという現象をサイコキネシスで発動するものである。
「学校で、異能科学に触れる機会が増えたからですね。トランプを操るという異能が珍しかったのか、父が契約していた芸能事務所から簡単な依頼が来ました。その異能を使って、何か面白いことをして見せてくれって」
啓太の手の中から飛び出したトランプは、宙を舞い、まるで鳥か何かのように啓太を中心に旋回をし始めた。
「僕は言われたとおりに、いろんなことをして見せました。そのたびに、歓声が上がって、いろんな人が笑顔になりました。今でも、こう言う形の異能は知りませんから、きっと珍しかったんですね」
くるくると渦を巻くトランプの群れ。それを眺めながら、啓太は話を続ける。
「家にお金が入るようになって、僕は喜びましたよ。きっと父も喜んでる。きっと褒めてくれる、って」
くるくると回り続けるトランプたち。だが、急にトランプは力を失ったように、まっすぐに屋上へと落下した。
「……でも、そうはならなかった。家に戻った僕を出迎える父は、僕を誉めたりはしませんでした」
バラバラと、音を立てて落ちるトランプ。それを、啓太は落ちくぼんだ眼差しで見つめた。
「むしろ、逆ですね。父は僕のやったことに激しく憎悪していたんだと思います。余計なことをするな、と何度も怒鳴られましたよ」
最後の一枚……ジョーカーの札が落ちる前に、啓太はそれを手のひらで受け止める。
「トランプを媒介にしているというのも、父にとっては気に入らない部分だったんだと思います。あの人は、トランプ手品以外に手品のタネを持っていなかったと思いますし」
掌の中にあるジョーカー。啓太はそれを見つめ、そして握りつぶした。
「どれだけ頑張っても、どんなにお金を稼いでも、父は僕に笑顔を見せてくれることはありませんでした。むしろ、日に日に僕を罵る言葉が汚くなり、罵声も大きくなったんです。……今にして思えば、よく殴られなかったもんだと思いますよ」
啓太の方が、小さく震える。
それは、幼き日に見た父の幻影におびえているのか、あるいは別の感情からだろうか。
「結局、僕は家を出ざるを得ませんでした……。今もお世話になってるプロダクションの社長さんの勧めだったんですけれど、僕はこれでいいと思ってます。父に余計なことをさせずに済んだと思ってますから」
啓太は握りしめたジョーカーを地面に放る。
途端、散らばっていたトランプがそのジョーカーに群がり、押しつぶしていく。
「その後、父とは会っていません。この学園に来る前に、一度連絡してみたんですけれど……もう、元々の住所には住んでいないって言われました」
やがて集まったトランプの束を拾い、啓太は振り返る。
今にも泣きだしそうな、そんな笑顔で暁に顔を向けた。
「……これが、この学園に来る前の僕の話です」
「ふーん」
対する暁は、さほど興味を引かれなかった、とでもいうように呟き、それからこう言った。
「で? そん時のことと、今回のリリィのセリフが重なったか?」
「……そんな気が、します」
啓太はそう言って俯いた。
リリィの罵声と、父から受けた罵声。その二つが重なって、より大きな衝撃となって胸を貫いた。
……父のことを暁に話したから、そう感じるようになったのかもしれない。
それでも、啓太にとっては大事なことだった。
「僕は……褒めてほしかった。認めてほしかっただけなんです……。僕にも、父みたいなすごい力があるんだよ、って……。わがままだって言われてもいい。一言だけ……父に、すごいね、って言ってほしかっただけなんです」
「一言だけでいいとは殊勝だな」
啓太の告白に暁はそう返し、しかし厳しく言い放った。
「だが、現実は厳しい。肉親である父にさえ、お前はその言葉をもらえなかった」
「それは……」
確かに、そうだ。そう口にするのは憚られ、啓太は押し黙る。
そんな啓太を見て、暁はこういった。
「まあ、落ち込むこたぁねぇさ。リリィと違って、親が生きてるだけまだましだ。いつの日にかは、酒でも飲みかわしながら笑い話ができるようになる……といいな」
「他人事だと思って……」
さすがの物言いに、啓太の顔に険が宿る。
まるで心の籠らない励ましに、啓太は思わず問いただした。
「そう言う先輩はどうなんですか? 親御さんとは仲がいいんですか?」
もし違うというのであれば、人のことは言えないじゃないか、と鼻で笑ってやるつもりだ。
だが、暁の答えは啓太の思っていたものとは違っていた。
「俺か? 親父が一人いるが、今病院で寝たきりなんでよくわからん」
「寝たきり……?」
「もっと言えば植物人間状態。かれこれ……七年くらいか? 病院で寝っぱなしだな」
「え……」
指折り数えての暁の言葉に、啓太は絶句する。
あるいは、死んでいるよりもつらい状態だ。七年も、目を覚まさないだなんて。
「な……なんでですか?」
「これもさっぱりでな。頭に煉瓦か何かぶつけられたらしいんだが、今んとこ犯人も見つかってない。警察も、半分あきらめてんじゃねぇかね? なんせ、ほら、俺の親父で、今は異能なんてあるし」
「そんな悠長な……」
平然とそんなことを言ってしまう暁を、信じられないものを見る目で啓太は見つめる。
親父が一人、ということはたった一人の肉親のはずだ。
それが目を覚まさないという状況に、悲観している様子さえない、というのが信じられなかった。
だが、暁は啓太の表情から何かを読んだのか、今まで見たことがないくらい柔らかく微笑んで見せた。
「――お前も知ってるだろうが、俺には敵が多いからなぁ。そう言う類に狙われたってんなら、命があるだけ儲けもんだろ」
「それは、そうかもしれません……けど……」
尻すぼみになっていく啓太の言葉。実際、タカアマノハラにいる間だけでも、生徒からの敵襲が絶えないのだ。これが、外に出て普通に生活するとなれば、どれだけの人間に狙われることとなるのだろうか。
しかも、物理的な強襲だけではない。あるいは社会的に殺しに来る可能性だって否定できない。
第一世代を倒した第二世代……。そんな彼の持つ異能は、ただのサイコキネシスではないと考えているものもいるくらいだ。例え死体であったとしても、その価値は計り知れないものとなるだろう。
そんな暁の現状を思い、黙り込む啓太。
暁は、そんな啓太を見て、また笑った。
「それにな。お前にゃ悪いが、俺は幸せもんだからな」
「幸せ、って……」
とても、そうとは思えない。
そう言外に呟く啓太に、暁ははっきりと口にした。
「幸せだよ。どれだけ暴れても、親父は俺を見放さなかった」
暁は、どこか遠くを見つめながら、笑った。
「親父はいつまでたっても、俺を息子だと呼んでくれた。好き放題やらかしても、苦笑して、叱ってくれた。俺が異能を身に付けて、その力をつけるたび、笑って、喜んでくれた。親父は最後まで、俺の傍にいてくれたんだ」
暁はそう言って、小さく息をついた。
「世界中誰が敵にまわろうとも、俺には親父がいてくれた。だからこそ、俺は今日まで、俺でいられた。親父がいなけりゃ……ただ力が強いだけの、サイコキネシス小僧で終わってたな、俺は」
「……すごい、人だったんですね。先輩の、お父さん」
まばゆいものを見る眼差しで、父のことを語る暁を見つめる啓太。
心の底から羨む彼の視線を受け、暁は手を振って見せた。
「いや、これが全然すごくなくてな。頭はバーコード剥げだし、小太りだし、中年だし、顔はさえねぇし、中途半端にいい人だから貯金はねぇしで、人としてはろくでなしだぞ?」
「そ、そこまで言いますか!? 今のさっきで!?」
てっきり尊敬する父親なのかと思えばこの言いぐさである。
これも愛情の裏返しなのだろうか。だとすれば理解できない。
暁の言葉にめまいを感じる啓太。
そんな彼の様子を見て、暁はまた一つ笑った。
「ただまあ、そんな男でも……俺の味方でいてくれた、って話さ」
「味方……ですか?」
「ああ、そうだ。あの人が味方でいてくれたから、俺は俺を貫き通した」
そう言って、暁はまっすぐに啓太を見つめた。
「案外、お前らに必要なのもそれかもな。世界中を敵に回しても……自分の傍にいてくれる、そんな味方」
「味方……」
啓太は自分の手のひらを見下ろして考える。
確かに……そうかもしれない。
リリィの話を聞いて、彼女を幸せにしたいと思ったのは事実だけれど、その一方で自分も幸せになりたいと思わなかったわけではない。
リリィを守り、彼女に感謝されたいという下心だって、あった。
「僕は、リリィの味方になりたい……なら、僕は……」
小さく呟きながら、手を握りしめる啓太。
「リリィに……味方になってほしい……」
その瞳に、光が宿り始める。
強い意志の力がこもった、光が。
そんな啓太を見て、暁がニヤリと笑った。
「なんぞ、やりたいことができたか?」
「――はい。リリィに、味方になってほしいです」
啓太は暁をまっすぐに見つめ、そう言った。
それを受けて、暁は頷き、立ち上がる。
「そいつは重畳。……と言いたいところだが、さすがに昨日の今日だ。いきなりリリィのところに行ったりするのはやめた方がいいな」
「そう、ですね。少し、間を置かないと、ですよね」
啓太は少しだけ残念そうにつぶやきながら、立ち上がる。
暁がその横をすり抜けながら、屋上の出入り口に向かう。
「なので、少しゴミ掃除しとこう」
「ゴミ掃除、ですか?」
「おう」
扉に手をかけ、振り返りながら暁は凶悪に笑った。
「タカアマノハラの、ゴミ掃除だ。いい運動になるぜ?」
啓太の過去と、暁の今。やりたいことを決めて、啓太が動き出す!
その頃一方、リリィはと言えば……?
以下、次回ー。