Scene.43「なにを、したいか……?」
眩しいほどに爽快な青空を天井に、啓太は異界学園の屋上で体を横に倒していた。
両手も足も広げ、大の字になって何をするわけでもなく空を見上げ続ける。
場所は、屋上に設置された給水塔の上。放課後ともなると、さすがに誰かが現れる気配もない。
グランドの方では、元気な掛け声と異能の炸裂音が響き渡る。
「ぁー……」
それを聞くともなしに聞き、啓太は絞り出すように声を出す。
あの後、逃げるように走りながら大声で泣いた。
あれだけ泣いたのは久しぶりだった。タカアマノハラに来る直前以来だろうか。
「……結構泣いてるな、僕……」
ややしゃがれた声でそう呟く。年数としては、ざっと一年ほど前程度か。大声で泣くこと自体が珍しいだろうから、結構な頻度と言えるかもしれない。
けれど、啓太にとってはそれだけ衝撃的だった。
リリィに、はっきりとした拒絶の言葉を投げつけられるのは。
「……はぁ」
ため息をつく。
あれは自業自得だ、全部自分が悪いんだ……そう考え、忘れてしまおうとしているが、脳裏にこびり付いたリリィの悲鳴は今でも胸の奥をじくじくと痛めつけている。
結局あれから、リリィの顔をまともに見ることができないでいる。
朝はリリィよりもはるかに早く学校へ向かい、席が離れていることをいいことに彼女へ声をかけることもせず、放課後は逃げるようにここまで来た。
級友たちも、昨日と一変した啓太とリリィの様子に異常を覚え、声をかけようとしてくれたけれど、啓太はそれすらも無視してここへと逃げた。
今は、誰とも話をできるような状態ではなかったから。
「………」
きっと皆心配してくれているだろう。リリィだって、落ち込んでいるように見えた。あるいは、彼女の方に関心が向かってくれたかもしれない。
そうなれば、落ち込んだ彼女を慰めてくれるはずだ。
今、自分は彼女に近づかない方がいい……。リリィを傷つけただけの、バカな男は彼女に近づかない方が……。
「……ッ」
自分のしでかしたことを再認識するたびに、一際強く胸の奥がいたむ。
異能を身に付け、暁に学び、今まで以上に強くなり。
だからこそ、あの場は大丈夫だと思っていた。リリィを守って、切り抜けられると信じていた。
けれど、結果はどうだ。
リリィの古傷を抉り、塩を塗り込み、彼女を一段と傷つけてしまった。
心の傷は、そう簡単には治らない。それは、わかっていたはずなのに。
「……くそっ!」
苛立ち紛れに、給水塔に拳を叩き付ける。
ゴォン、と大きな音を立てて給水塔が揺れ。
ブシャァァァ!!
「えええぇぇぇぇ!!??」
突然中から水が吹き上げて、啓太は死ぬほどビビった。叩いたタイミングと完全に一致していたのだ。そんなつもりはなかったはずなのに。
給水塔の上部ハッチがいきなり開き、中から大量の水が吹き上げたのだ。
降り注ぐ水は容赦なく啓太の体を濡らしてゆく。それから逃げるように、啓太は給水塔の上から転がり落ちる。
「なになになに何事なの!?」
トランプで足場を作りながら給水塔の放水から逃げ惑う啓太。
そんな彼の目の前に、一人の男が現れた。
「ッ!? 先輩!?」
「よう、古金」
全身びしょ濡れの啓太の前に立ちはだかった暁は、傲岸不遜に啓太を見下ろし。
「駆けつけ一枚パシャー」
取り出したインスタントカメラで啓太の姿を撮った。
ハッとなった啓太が見下ろすと、べったりと地肌にYシャツが張り付き、何とも扇情的な自分の姿が目に移った。
「ちと熱くなって来たもんな。ブレザーも脱ぎたくなるわな」
「いやー! こんなあられもない僕の姿取らないでくださいー!」
「だが撮る。大人しく俺の晩飯のおかず代となるがよい」
「いやぁー!?」
パシャパシャと容赦なくシャッターを切る暁から逃れようと啓太はバタバタと屋上を逃げ惑う。
が、そもそもサイコキネシス持ちの暁の射程範囲から逃れられる方法があるわけもなく。
「フゥハハーハー。逃げ惑うたびに、なんかエロくなっていくな、古金よ」
「だめぇ! こんな姿取らないでぇー!?」
結局、臨時撮影会から解放されたのは、暁がきっちりインスタントカメラのフィルムを使い切ってからだった。
「うむ。良きかな良きかな」
「ううぅ……」
満足げに頷く暁の前に、へたり込む啓太。
横座りで、さらに胸を隠すように腕を交差させているせいで、何も知らない人にいらん誤解を与えてしまいそうだった。
そんな啓太を見て、暁はあっけらかんにこういった。
「さて、悩める若人よ。先輩が相談に乗ってやろう。何でも言うがよい」
「今しがたその若人の悩みそのものになった人が何言ってんですかぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
堂々と言ってのける暁に、啓太はあらん限りの声でそう叫び返した。
ゼハーゼハーと荒く息をつく啓太を見て、暁はおかしそうに首を傾げた。
「んん? ずいぶん元気じゃねぇか。もっと落ち込んでるもんかと思ったんだが」
「だから誰のせいですか、誰のぉ!!」
「そこは御蔭にしとけよ。空元気だろうと、いつもの調子に戻してやったんだから」
「なんですかそれぇ……」
もうここまで開き直られるとあっぱれと言えるかもしれない。
いつもと変わらない、いやいつも以上に傍若無人な暁に、啓太は深いため息を一つ突く。
それから、ちらりと暁の姿を見上げ、小さく呟く。
「……何も言わないんですね。リリィとのこと」
「説教は会長が済ませたと聞いたんでな。俺から言うこたぁ、特にねぇよ」
大切そうにインスタントカメラを鞄の中にしまいながら、暁はどっかり啓太の前に腰かける。
そこに髭があるかのように顎を撫ぜ、深く何かを考えるように唸る。
「それでもあえて言葉を探すなら……」
「探すなら……?」
暁の次の言葉を、啓太は待った。
しばらくして、暁はゆっくりと口を開いた。
「“お前は何がしたいのか?”だな」
その言葉に、啓太は息を詰まらせる。
まるで目の前に鋭い刃物を突き付けられたかのように狼狽え、後ずさりさえしてしまった。
「なにを、したいか……?」
「リリィに拒絶され、ドスンと落ち込んで、こんなとこまで逃げ出して……で? そっから先はなにをしたい?」
啓太を追い詰めるような、暁の言葉。
彼の目に、啓太を責めるような色は見えない。いや、むしろ何をしようとか、どうさせようという気配も感じられない。
ただただじっと啓太を見つめ、暁は口を開いた。
「“何もしない”……それがお前のやりたいことだったのか?」
「…………僕は」
暁の言葉に、啓太は拳を握りしめる。
確かに、彼の言うとおり。ここにいたところで何か進展があるわけでもないし、啓太が何かに変われるわけではない。
ここに居続けることは、逃避に他ならない。何もしないことで、目の前に横たわった問題から逃げているだけだ。
逃げた先に、何かあるわけではない。
「………」
けれど、それでも。体は拒絶する。リリィの元へ進むのを。
口は開こうとしない。彼女へ声をかけたがらないかのように。
心は、折れている。彼女を幸せにしたいと、願った心は。
しばし、空にかかった雲と共に沈黙が流れていく。
「……せん、ぱい」
しばらくして、啓太は口を開く。
泣く寸前の、子供のような表情で、暁を見つめながら。
「僕は……どうしたらいいんですかね……?」
目の前の先輩に縋るように、啓太はそう呟いた。
質問に対して、質問で返す。失礼ともいえる、啓太の言葉。
暁はそんな啓太の言葉を受けて、少し押し黙る。
「………」
啓太はじっと、茫洋とした眼差しで暁を見つめる。
再び、沈黙が流れる。
そして、暁が口を開いた。
「いっちょ、リリィの心でも救ってみるか?」
冗談にしてもひどすぎる。
暁の言葉に、啓太は苦笑した。
「それに失敗したから、こうして落ち込んでるんですよ……」
「なぁに、たかがしくじって落ち込む程度ならまだましよ。こちとら、しくじったら死ぬだけと言われた状況を幾度となく超えてきてんだよ。小娘一人の心を救うくらい簡単簡単」
「言ってくれますよねぇ……」
啓太は苦笑を深め、そのまま前のめりに倒れ込む。
こつりとコンクリートでできた屋上の地面に、額を当てた。
全身濡れてひんやりとした体に、日に照らされたコンクリートが温かい。
「やりたかったそれが、できなくてこうなってるのになぁ……」
恨み節か何かを吐くような啓太の様子を前にしても、暁の様子は崩れない。
「仮にも男がたった一度の失敗でぐちぐち泣き事言ってんじゃねぇよ。それとも、普段は男だ男だ喚いておいて、都合のいい時だけ女になろうとでもしてんのか?」
「そういうわけじゃ、ありませんよ……」
ふてくされたように言いながら、ごろりと体を仰向ける。
さっき給水塔の上でやっていた体勢だ。
突き抜けるような青空を目にして、啓太は目を細めた。
「………」
「………」
また、沈黙が落ちる。
どちらもしゃべることなく、じっとしている。
暁は啓太を。啓太は空を。互いに見つめて動かない。
ただただ時間だけがゆっくりと流れていく二人の様子は、彫刻家何かのようにも見える。
そのまま、日が沈むまで二人は動かない……と思われていた。
「……ねぇ、先輩」
だが、啓太が動く。
じっと空を見上げたまま、暁に向けて声を上げる。
「……なんだよ」
暁はその声を受けて、小さく眉を動かす。
眉間にしわを寄せるように、ほんのわずかに。
そんな暁の様子を知ってか知らずか、啓太はそのままの態勢で言葉を続けた。
「……僕のこと、話したことありましたっけ?」
学校の屋上で、啓太と暁が二人きり……。
美咲辺りが見たら、興奮しそうなシュチュエーションですな。
以下、次回ー。




