Scene.41「リリィの事……?」
ここぞとばかりに弄り倒してくる暁を何とか制し、フレイヤは書斎へと移動していた。
普段は捌き切れなかった騎士団の仕事などを処理する場として使われており、ここにはスピーカー機能もついている一般的な電話も据え付けられていた。
やかましく鳴り響く電話を取り、スピーカースイッチを押す。
そしてため息一つ付き、椅子に深く腰掛けながらフレイヤは口を開いた。
「……少々性急に過ぎるのではなくて? 淑女をこんな時間に起こすだなんて」
『バカ野郎、こちとら昼休みが無限にあるわけじゃねぇんだ。飯食う時間も惜しんでフーフー電話かけてやってんフーフーだありがたく思えズルズル』
「音。隠しきれてませんわよ」
『幻聴だ』
おそらくラーメンか何かを平然と食べているらしい暁にため息をもう一つ聞かせてやる。
とはいえ、さすがの暁も嫌味を言うためだけに電話をかけてくることはない。
基本的に実利がなければ動かない男だ。電話をかけてきたということは、何か暁のとって利のある行動なのだろう。
……もっとも、かけてきた時間に関しては擁護のしようがないが。
「それで? 何がありましたの?」
『まあ、色々だな。とりあえず、送った資料を見てくれや』
「送った資料?」
「こちらを」
暁の言葉に眉根を寄せるフレイヤの目の前に、レディがまとまった紙束を差し出す。
とりあえず目を落としたフレイヤは、その資料の内容に驚愕することとなる。
「これは……!?」
それは、今タカアマノハラを騒がせている侵入者事件の情報であった。
ここ最近で確認されている、警報装置の誤報や、盗まれたと思しいタカアマノハラに存在するデータ類……そして、現地時間の昨日に起きた最新の侵入者事件の情報まで盛り込まれていた。
いずれも日本国外に公開されておらず、英国政府としても自国内の宗教団体とのかかわりがあるだけにやきもきしていた情報を前に、フレイヤは一瞬興奮しかけ……。
「お嬢様」
ポン、とかたにおかれたレディの片手に我を取り戻し、大きく深呼吸を繰り返す。
一回。二回。三回。フレイヤが深呼吸を繰り返す中、暁がラーメンを啜る音だけが響き渡る。
しばらくして、少し落ち着いたフレイヤが電話の向こうの暁に、慎重に問いかけた。
「……アラガミ・アカツキ。あなた、何を望んでいるの? これほどの情報を、私に流すなど……」
この情報がもたらされたことは、フレイヤ達異能騎士団にとっては大きなプラスだ。タカアマノハラで起きている侵入者事件と関連性が疑われている宗教団体の調査が、少しでも前進するかもしれないからだ。
日本政府は今のところ、英国に対して侵入者事件の情報を渡す様子はない。まあ、生き馬の目を抜く国際社会において、へたに下手に出てしまえばどうなるかなど火を見るより明らかだ。骨の髄までしゃぶられてしまう可能性が出てくる。
異能科学論の生みの親にして、日本における異能科学の長でもある異世研三はむしろ技術を放出すべきである考えているのも手伝っているかもしれない。だが、そんなことをしてしまえば日本の国際社会における日本の立場がなくなってしまう。
故に、日本政府は江戸時代の鎖国状態を思わせるほど、情報を国際社会に流出しなくなっている。出ていく情報に関しては、政府の検閲が必須となっているくらいだ。
そんな政府が、この侵入者事件の情報の流出を許すとは思えない。そもそも、どうやってこれをこちらに送り付けたのか? FAXか何か使ったとしても、政府の監視網を抜けられるとも思えない。
警戒を露わにするフレイヤに対し、暁は満足そうにげっぷをしながら答えた。
『ゲフゥ。……何を望んでいるかと聞かれれば、この間の続きだな』
「この間……? 一体、なんのことよ?」
暁の言葉に、フレイヤは眉根を寄せる。
暁の言葉に心当たりがないからだ。この間も何も、暁とやりとりがあった機会など、ここ数日にはないのだが。
少し考えて、フレイヤは眉根を寄せたまま聞いてみた。
「……もしや道路標識の事を言っているの? また欲しいのであれば、投擲してあげないこともないけれど……」
『まだ半ボケかクソアマ。そんなわけがねぇだろうが』
フレイヤの言葉に暁は罵声を投げかけ、ようやく本題を口にした。
『リリィの事だ。リリィに関して、何か知ってることがあったら洗いざらい話せ』
「? リリィの事……?」
思いもかけず、かわいい妹分の名前が暁の口から上り、フレイヤはさらに眉根を顰めた。
そして一つの可能性に思い至り、半目で電話の向こう側にいるはずの暁を睨みつけた。
「……アラガミ・アカツキ。本気でそちらの趣味があるなら、脳天に道路標識が降ることになるわよ?」
『今度の夏休み覚えてろテメェ。そうじゃねぇよ、ちとめんどくさいことになってな……』
暁はため息を一つつき、事のあらましを説明し始めた。
昨日の侵入者騒ぎの警備に、生徒会が参加していたこと。
啓太が先走り、負傷してしまったこと。それがリリィのトラウマを刺激してしまったこと。
その後、半狂乱になったリリィを光葉が静めたこと。
そして、目を覚ましたリリィが啓太を拒絶したこと。
簡潔にそこまで口にし、暁はもう一度ため息をついた。
『啓太の奴、リリィの話を聞いてか妙に張り切っててな。それだけに余計傷ついてな。今朝とか見る影もないくらいに落ち込んでてよぉ……』
「それはなんというか……ご愁傷様ね」
フレイヤはそう口にしながら、訝しげな表情をする。
「けれど、それとリリィのことを聞くのと、何か関係があるのかしら? 啓太君とリリィが仲違いしたというのであれば、それは当人同士の問題でしょう?」
『まあな』
フレイヤの言葉を肯定する暁。
実際、この手の問題の場合、他者が変な具合に介入して余計に仲が拗れてしまうのは良くある話だ。
今回の場合で言えば、啓太の方に非があると言える。少し時間を置いてから、啓太が一心に謝罪すれば何とかなる可能性もあるだろう。
だが、暁が考えているのは別の事であった。
『……さっき光葉がリリィを静めたって言ったろう』
「ええ。あの光葉さんが他人のことを気にかけるなんて、珍しいこともあるものね」
『他人ならな……光葉の奴に、そのことに関して聞いてみたんだが……』
暁はしばし、言葉を探すように迷い、結局そのまま口にすることにした。
『なんでも光葉の奴、自分を静めたんだとよ』
「……はい?」
『だから自分を。自分が自分を静めるなんて、おかしな話でもねぇわなぁ』
「……前提がおかしいことには気づいて?」
残念な子を見るような眼差しで電話の向こう側を見やる。
そんな視線に気が付いているのかいないのか、何やら包装を破るような音を響かせながら暁が答える。
『そもそも光葉に対して一般的な常識を当てはめること自体が無意味だろう。あいつにゃ、この世界は汚物まみれに見えるんだろうからな』
「……まあ、その通りでしょうけれど」
フレイヤは、言葉を濁す。
フレイヤも、光葉の事情は知っている。彼女が、この世のほとんどに対して憎悪を向けているのも、彼女にとってこの世界が美しくないものに見えていることも。
それ故に、彼女には一般的な常識や解釈は通用しない。普通の人間と同じであると考えて彼女のことを考えると、大抵無駄になる。
だが、彼女の言うことに意味がないわけではない。彼女には彼女なりの常識や解釈が存在するのだ。
「じゃあ、自分を静めたってどういうことよ?」
『それを解明するためにお前に電話したんだよ。研三のおっさんにこのことを話したら、光葉とリリィの二人になんか共通点がある可能性があるんだとよ』
ぱりぱりと何か乾いた何かを食む音を立てながら、暁が話を続ける。
『異能か精神構造かが問題らしいんだが、なんか知らんか? リリィに関して』
「そう言われても……」
暁がなぜ電話をかけてきたのかは理解したフレイヤ。
だが、彼女は暁が望んでいそうな解答を出せなかった。
少しだけ申し訳なさそうに首を振りながら、暁へ答える。
「申し訳ないけれど、この前話したことで全部よ。あの子におかしいところなんて……」
フレイヤは、リリィと過ごした日々を思い出す。
自身のことをフレイヤ様と呼び慕い、そして背中を忙しそうについてきていた小さな少女。それが、フレイヤにとってのリリィ・マリルという少女だ。
異能騎士団に保護された当初こそその顔は暗いものだったが、日が経ち年が経つにつれ、彼女の顔に笑顔は戻っていった。
そんな彼女が、光葉と何らかの共通点を持つというのは、俄かには信じられない話だった。
だが、あれだけの情報をもらってそのまま電話を切るというのも、英国淑女の名折れ。フレイヤは懸命に自身の記憶を探る。
秒針がたっぷり五回ほど回った頃、フレイヤの脳裏にようやく一つ気にかかることが浮かび上がってきた。
「そういえば……」
『んあ? なんだ、なんかあったのか?』
電話を繋いでおきながらも、すでにフレイヤの話への興味がなくなっていたのか、また別の包装を破き始める暁。
そんな彼にはかまわず、フレイヤはかつて見たリリィの姿を思い出す。
「……あの子、時折一人でボーっとしていることがあるんだけれど……その姿が、なんというか異様だったことがあったわ」
『異様?』
「ええ……近づきがたいというのかしら」
その時のリリィの様子を懸命に思い出しながら、フレイヤは暁に感じたことを伝える。
「拒絶とか、こちらに壁を作ってるとか、そう言うのではなくて……まるで、世界で自分が一人きりであるかのような顔をしていて……」
『………………』
「けど、私が見ているのに気が付いたら、すぐいつものリリィに戻ったわ。さっきまでの様子が嘘だったみたいに……」
『そうか。わかった』
暁は短く応える。
何らかの確信を得たような声だ。
フレイヤは彼の声を聞き、小さく微笑んだ。
「お役にたてたかしら?」
『十全に。お前にしては珍しいことだ』
「それは良かった。あなたはいつものように優秀だわ。――いただいた資料、有効に活用させていただくわね」
『好きにしろ。それじゃあな』
暁はそう言って、電話を切った。
唐突にかけてきたと思ったら、一方的に話を終える。
相変わらずの身勝手さだ。フレイヤは嘆息する。
「はぁ……。この情報、もらったはいいけれど、さっきの話の対価としては頂き過ぎね……。レディ。あとで、こちらに存在する宗教団体の情報を見繕って、ケンゾウ様宛に送っておいてちょうだい。くれぐれも、日本、英国両政府に悟られないようにね」
「かしこまりました」
フレイヤは、改めて資料を見やる。
そして苦々しく顔を歪めながら、呟いた。
「どうやら、例の宗教団体……向こうでの関与が確定したようだしね」
そこに記されているのは、妙な図が描かれたペンダント。
そのペンダントは……英国で活動している、例の宗教団体のシンボルマークとして目されているものだった。
一方的な暁の電話。それがもたらしてくれたものは、思いのほか多かったようです。
以下、次回ー。