Scene.37「なんなんだマジで……」
「それでは西岡さん。僕らはこれで」
「うむ。啓太君たちによろしく行っておいてくれ」
「何かあったら知らせてあげるからねー」
「またな、おっさん」
「失礼します」
西岡たちに別れを告げて警備室を出ていく会長に続き、暁とメアリーも警備室を後にする。
啓太たちがいる医務室へと向かいながら、会長は手元の通信機を使って医務室とのやりとりを始めた。
「僕です、会長です。そちらの様子はどうですか?」
『はーい、美咲です。二人とも、ぐっすり眠ってますよ。啓太君は傷の痛みのせいか、たまに呻き声上げてますけど』
「自業自得だ」
「辛辣ですね、アカツキさん……」
舌打ちを隠さない暁を宥めるように、メアリーがその背中を叩いた。
「ケイタ君だって、悪気があったわけじゃないんですから……。ただ、ちょっとだけ、リリィにいいところを見せたかっただけなんですから……ね?」
「それならまだましだろう」
「と、いうと?」
医務室との通信の途中で、会長が振り返る。
彼も、何故暁がここまで苛立っているのか知りたいのだろう。
会長とメアリーの二人に見つめられ、暁は苛立たしげに頭を掻き毟る。
言うべきか、言わざるべきか。それを悩んで、結局いうことにする。
「……実は啓太の奴なんだがな」
『え!? ちょ、リリィさん! 落ち着いて!』
だが、暁が啓太のことを口にしようとした瞬間、通信機の向こうから美咲の焦ったような声が聞こえてきた。
会長が、通信機の向こう側に問いかける。
「どうしました? 何がありました?」
『リ、リリィさんが起きたと思ったら、急に悲鳴を……!』
それだけ聞いて、三人は駆けだした。
三人の顔には、それぞれ焦燥が浮かび上がっていた。
「しまったな、リリィ君がまだ夢中とは想定しなかった……」
「俺だって思わなかったよ。頭ゆすってもまだ目が覚めねぇとはな」
「それだけ、リリィの傷が深いということですよ……」
三人とも、この一件は終わっているものと思っていた。
だが、終わっていなかったのだ。少なくとも、リリィの中では。
彼女の心は、いまだ悪夢の中にとらわれているのだ。
医務室へと近づくにつれ、少女の悲鳴が耳に聞こえてくる。
痛々しい金切声だ。その声は、確かに彼らの知る少女のものだった。
会長が医務室の扉に手をかけ、勢いよく開く。
「マリル君!」
「リリィ!」
「アアアアァァァァァァァァァ!!!!!」
途端、聞こえてくる悲鳴が一際強く彼らの頭を揺さぶった。
ベッドの上に座り込んだリリィが、顔を覆い、その喉からあらんかぎりの力を持って悲鳴を上げているのだ。
「づっ……!」
「これは……!」
思わず耳を押さえる暁。会長が隣で戦慄しているが、それに構うだけの余裕はなかった。
見れば美咲とつぼみもリリィのベッドの傍で耳を押さえてうずくまっていた。
傍で彼女のこんな声を聞かされて、無事なわけもないだろう。
一方の啓太はリリィのベッドの隣で、ぐっすりと眠っていた。
時折苦しそうにうめき声を上げるだけだが、さすがに異常だ。この声の中、意識を失い続けるというのは。
(痛み止めに、麻酔でも打たれたか……? なんにしろ、今すぐどうにかしねぇと……)
暁は耳を押さえながら、何とかリリィの傍へと駈け寄る。
「おい、リリィ! しっかりしろ!!」
「イヤアアアアァァァァァァァァァ!!!!!」
肩を掴んで力強く揺さぶるが、リリィは答えない。
それどころか、暁の手を乱暴に振りほどき、さらにサイコキネシスで暁の体を吹き飛ばした。
「ぐぉっ!?」
隣にあった空きベッドごと吹き飛ばされてしまう暁。
なんとか自身のサイコキネシスで反動を消すが、直撃を受けた胴体が軋みを上げる。
「ぐ……! 骨はいってねぇか……!」
「アアアアァァァァァァァァァ!!!!!」
何とか自らの体が無事なのを確認して、暁は立ち上がる。
リリィがサイコキネシスを放ったのはその一撃だけだが、いつ周りに暴発させるかわからない。
リリィを鎮めるのは早いうちが良いが、暁がもう一度やってもリリィを鎮めきれるかわからない。
ここは精神を焼き払える駿にやらせる方が確実か。
「おい、駿! いるか!?」
そう判断し、リリィの悲鳴に負けない大声で暁が叫ぶ。
医務室の中を見回せば、リリィの反対側に光葉と二人で座っていた。
こんな状況でも平静を保てる駿の存在はある意味頼もしいが、今は苛立ちしか抱かない。
舌打ちしながら、暁はもう一度叫んだ。
「御霊鎮めだ! とっとと寝かせちまえ! 御霊鎮めなら、起きたら全部忘れてるってこともあり得る!」
「わかった、すぐに――」
そう言って立ち上がろうとする駿。
しかし、そんな彼よりも早く動いた人間がいた。
「………」
駿の隣に座っていた、光葉である。
光葉は立ち上がり、滑るようにリリィの傍へと移動する。
「ん!? 光葉!?」
突然の光葉の行動に、暁は度肝を抜かれる。
光葉は暁以上に他人に興味を示さない人間のはずだが……。
光葉はリリィの悲鳴など物ともせずに彼女の傍へと近づき、リリィをじっと見下ろす。
「アアアアァァァァァァァァァ!!!!!」
「………」
「み、光葉さん……? な、なにを……?」
美咲が耳を押さえながら光葉を見上げるが、彼女はそれもにも気をやらない。
そして、じっとリリィを見下ろしていたかと思うと、突然リリィの影から影の触手を呼び出し、リリィの全身を縛り上げた。
「あ、ぐっ!? んんーー!!」
「っ! おい、光葉!!」
口には猿轡をかまされ、さらに目隠しまでされ、突然の出来事にリリィの体が一段と激しく震える。
それを見て暁は臨戦態勢を取る。
光葉がこういう行動をとるときは、影の中に人間を取り込む時なのだ。
一度影の中に取り込まれてしまうと、光葉が自分の意志で吐き出さない限り外部から救出することは不可能となる。
外に体の一部が出ている限りは、暁のようなサイコキネシストが無理やり引きずりだすことができるが、飲みこむときはほぼ一瞬で飲み込まれてしまう。
即座に光葉からリリィを取り返そうと、暁が念を発するが……。
「………」
光葉は暁の発する念を気にすることなく、即座にリリィを開放した。
「…………あ?」
あまりにもあっさりと光葉がリリィを開放したため、暁は呆然と光葉の背中を見つめる。
光葉はそんな暁の視線を受けながら、また滑るように移動し、立ち上がったまま固まっている駿の隣へと腰かける。
「……おい、光葉?」
暁は怪訝そうに問いかけるが、光葉は答えず駿に自分の体をこすりつける。
駿はしばし光葉の動きに固まっていたが、やがてその頭をゆっくり撫ではじめた。……動きは、いささかぎこちなかったが。
「なんなんだマジで……」
「暁さん……暁さん!」
光葉の行動の意図が読み切れず困惑する暁の服の裾を、美咲が引っ張った。
そして信じられないというような声で、こう言った。
「リリィさんが……落ち着いています!」
「あ?」
美咲の言葉の意味が解らず、暁はリリィを見やる。
そこにいたのは、ぼんやりとした眼差しでどこかを見つめるリリィの姿だった。
瞳の中に意志は感じられず、文字通り夢の中といった様子だ。
もう、叫び声は上げていなかった。
「光葉さんが影を離したときにはもうこうなってました……! どういうことですか!?」
「知らねぇよ……光葉がなんかしたんじゃねぇか? ……限りなくありえんが」
美咲の声にそう返しながら、自分でそれを否定する暁。
光葉が他人に興味を示さないのは、興味を抱く以上に他の存在を憎んでいるからだ。
過去に何があったか……彼女は語らない。語れない、といってもいいかもしれない。
だが、暁が研三から聞いた限りの話でも、相当陰惨な仕打ちを受けているはずだ。
それが彼女の憎しみの元であり、もう取り戻せない何かである以上、彼女の憎悪が晴れたわけではなかろう。
(光葉のことは理解しきれんが……それでも今日の行動はもっとわからん)
ちらりと駿の方を見てみるが、彼も光葉の突然の行動に困惑してるのが見て取れる。
光葉を撫でる手の動きはぎこちないし、顔の表情もいつも以上に固い。光葉はそんな彼の様子も特に気にしていないようだが。
(そう言えば、会長がこの間似たようなことがあったと言ってたか……)
リリィが収まったのを確認してからこちらに近づき、つぼみを助け起こしている会長を見ながら、そんなことを思いだす暁。
確認のために会長に問いかけた。
「……前に言ってた光葉の変な行動って、こんな感じだったか?」
「……ああ。ちょうど、こんな感じだったよ」
リリィの体をそっと押してベッドの上に横たえてやりながら、会長は首を横に振った。
「マリル君の様子がおかしいのを見てか、あるいは別の何かに反応したのか……光葉君が動いた。今回のように、直接的な行動に出たわけでは、ないけれどね」
「そうか」
会長の言葉に頷きながら、暁は考える。
(光葉が自立的に動く……ね。リリィの中にあるトラウマに反応したって考えるのが自然だろうが……)
だとすれば、何に反応したのか。なぜ、反応したのか……。
そして、リリィに何をしたのか。
暁は彼女の枕元に立ち、その眼を覗き込む。
先ほどと変わらず、茫洋とした眼差しだ。まるで意志が感じられない。
もし仮に光葉が何かをしたというのであれば、それは彼女との同調を意味するわけだが……。
普通の人間では彼女の精神に耐えられない。次に起きたとき、リリィが喩えようもなく壊れていたとしてもおかしくはないだろう。
「チッ。問題増やしてくれおってからに……」
「みなさん、すいません! 遅くなりました!!」
舌打ちしながら光葉を睨んでいると、息を荒げながらメアリーが医務室へと駆け込んできた。
引きずるように白衣の男を連れているメアリーが、大きく息を吸いながら顔を上げた。
「り……リリィの様子が尋常ではなかったので、お医者様を、げほっ、連れてきました……!」
「ああ、いねぇと思ったらそんなことしてたのか」
「いや、すまない……! ちょっと所用で席を外していたんだが……」
眼鏡をかけた中年男性は引っ張られた白衣の裾を直しながら、ベッドへと近づいてくる。
「……しかし、聞いていた話とずいぶん違うな。こっちの女の子が発狂していると聞いたんだが……」
「とりあえずは収まった。起きたとき、どうなってるかは知らんがな」
「何をやったんだ一体……」
暁の言葉に怪訝そうな顔になりながらも、男はリリィの様子を確認する。
目を覗き込んだり、その眼にライトを当てたりしながら男は小さく頷いた。
「……ふむ、大分深く眠っているな。こっちの子には不要かと思って麻酔はかけなかったんだが……何か薬でも使ったのかね?」
「いえ、精神干渉系の異能者がいたので、そちらを使いました」
皆を代表して会長がそう口にする。
まあ、嘘ではない。光葉の異能は、精神にも干渉できる。
彼自身も精神干渉系の異能者で、さらに有名であったのも手伝い男は納得したように頷いた。
「ああ、そう言うことか。なら、自然に起きるまで待った方がいいだろうね。君たちはどうするかね?」
「今日一日で色々ありましたが……帰るまでが依頼です。彼らが起きるまで、待たせていただきますよ」
「そうか。私はまだ仕事が終わってないので、ここを離れさせてもらうが、中にあるものは好きに使って構わないからね」
「ええ、ありがとうございます」
男はそう言って、そのまま医務室を出ていく。今日の予報会が中止になってしまった煽りを喰らっているのだろう。その動作はどことなく忙しない。
そんな男の背中を見送りながら、暁は手近なパイプ椅子に腰かける。
「さて、いつになったら目覚めるかね……」
未だ夢の中にある、二人の後輩を見つめながら、小さくため息をついた。
光葉の行動の意味とは? はたしてリリィは無事なのか?
次回、その答えが明らかに!
以下次回ー。