Scene.24「……そろいもそろって馬鹿ばかり、か」
午後三時から午後六時までの三時間。
これが、タカアマノハラの商店街区域の顧客ピークの時間帯といっていい。
熱心なものは、それこそ日が暮れるまで学園で異能の訓練に明け暮れるが、大抵のものは一時間か二時間も訓練を行えば満足し、それぞれの部活に赴いたり帰宅を行ったりする。
部活を行うものはそのまま学園に残り、そして帰宅するものはそれぞれの寮へと赴く。
そして通学路の途中に存在する商店街区域で、思い思いの時間を過ごしていくのだ。
そして商店街区域の中で一番広い大通り。そこに、啓太とリリィは訪れていた。
「朝来たときはさほど賑わってませんでしたけれど……今はすごい人がたくさんいますね……!」
「でしょ? 商店街は、このくらいの時間が一番賑わってるんだよ」
たくさんの学生たちがたむろし、にぎやかに華やかに、そして楽しそうに過ごしているのを見て、リリィは目を輝かせた。
啓太はそんなリリィの隣で嬉しそうに微笑んだ。
生徒会室を出て引きずっていた時はずいぶん意気消沈していたものだが、ここに来て生徒会室で聞いた言葉をすっかり忘れてしまったようだ。
(よかった、元気になってくれて……)
あちらこちらを見て、どこへ向かうか迷っているリリィの姿に微笑ましいものを感じている啓太に、声をかける者たちがいた。
「カーノジョ! ひょっとして、この町は初めてかなぁ?」
「え?」
啓太が振り返ると、なんというか軽薄そうな男たちがそこに立っていた。
着ている服は学生服ではなく、カジュアルな装いで、体のあちこちに銀色のアクセサリーをジャラつかせている。
学園の生徒が私服に着替えただけかもしれないが、おそらくは外の人間だろう。異界学園において、啓太の顔はそれなりに売れている。主に美咲がばらまく生徒会広報誌の一面「本日の男の娘」のせいで。
交通の便がそれなりに良いタカアマノハラには、観光客や都心の人間が毎日それなりに出入りする。
もちろん、研究街は関係者以外立ち入り禁止なので入ることはできないが、一般の学生が出入りする居住街には、身分証明証なしですんなり立ち入ることができる。タカアマノハラの主な目玉は実はこの居住街であり、異能科学の研究成果を生活に応用したり、あるいは調子に乗った学生たちが異能を振るっている姿を生で見れるということでそこそこ人気がある場所なのである。
ただ、そのせいで生徒に対する勧誘行為や、こうしたナンパ行為が絶えない場所でもあるのだが。
「もしよかったら、俺たちと一緒に回らない? 俺たち、結構この町出入りするから、きちんと案内できるよぉ?」
「あ、いえ、僕は……」
馴れ馴れしく手を差し伸べてくる男たちから体ごと引きながら、啓太は男たちの様子を観察する。
学生服を着ている啓太に、町を案内すると言っている時点で下心が見え見えである。異界学園の生徒にタカアマノハラの案内をするなど、釈迦に説法だ。
問題は、この男たちが啓太に何を求めているのか、である。
(……パッと見一般人みたいに見えるけど、本当にそうかどうかはわからないよね……)
ただの観光客なら良いが、一般人の振りをした企業人、あるいは裏社会の人間だったりしたらことである。知らない人についていってはいけない。これは、現代においても常識なのだ。
じりじりと間合いを詰めてくる男たち。後退する光太。
男たちは啓太の気を引くためか、ちらりとリリィの方にも顔を向ける。
「もしよかったら、そっちの君も一緒にどう?」
「え、へ?」
リリィは声を向けられてようやく男たちの姿に気が付いたのか、一瞬驚いたような顔になった。
そして汚らわしいものを見る顔つきで男たちを睨み、はっきりとこう言った。
「……なんですか、あなたたち。うっとうしいので、消えてくれませんか」
吐き捨てるようなその言葉に、男の一人がわざとらしく口笛を吹いた。
「おぉ、怖い怖い。もしかして、異能者だったりするの?」
「ええ、そうですが。お望みなら、見せて差し上げますよ」
そう言って、リリィが傘を構えようとするが。
「リリィ、ダメっ!」
啓太が慌ててリリィの手を押さえる。
「ちょ、ケイタさん!?」
「ダメだよリリィ! 日本じゃ、異能者が一般人を傷つけるのは禁止されてるんだ!」
啓太が、リリィの耳元で必死に囁く。
啓太が言っているのは、近年可決された異能者関連法案の一つだ。
異能科学は、人々に大きな力をもたらした。だが、同時に力を持たぬ者への恐怖ももたらした。
そのため、未だ異能を身に付けていないものを守るための方法として、法律で異能で一般人を傷つけることを禁じたのだ。
「場合によっては、禁固刑もあり得るんだ! ここは我慢して!」
ここで啓太は男たちの目的を悟る。
おそらく、この男たちはただの一般人。そして、異能を身に付けていない人間だ。
「あれぇ? どうしたの? ほら、見せてよ、異能」
ニヤニヤと笑いながら、男たちがゆっくりと啓太たちに近づいてくる。
声はリリィを挑発するような、カンの触る猫なで声だ。
こうして、啓太たちが手を出せないのをいいことに、優越感に浸ったり、あるいは自分勝手なお願いをするつもりだろう。
仮にリリィが我慢しきれずに手を出せば、逆にしめたものだ。傷でも負ったふりをして、示談を迫り、なし崩しに何らかの関係を持とうとするはずだ。
(うう、うかつだった……! この時間だから、こういう人たちもいるってわかってたはずなのに……!)
啓太は自身の軽率さを呪う。普段であれば、大通りのど真ん中で立ち止まることはしない。さっと人ごみの中に身を隠し、目的地まで一直線に進む。
それが、この手の人種と関わらないためのコツなのだ。だが、今回はリリィと一緒に来ていたため、彼女に商店街をよく見せようと動きを止めてしまった。
(く、せめてリリィだけでも……!)
「ねぇねぇ? ねぇってばぁ。黙ってちゃわからないよぉ?」
ニヤニヤ笑いながら、男が啓太に手を伸ばす。
それを見て、リリィが眉尻を上げて傘を振り上げようとした。
その時だ。
「……何してんのお前ら」
啓太たちの背後から、呆れたような暁の声がかけられた。
「! 先輩!」
「アァ?」
啓太は顔をぱっと輝かせ、男たちは露骨に凄んでみせる。
暁は手に持っていた缶コーヒーを飲み干し、見せつけるように念力で潰してゴミ箱に放る。
「ダメだぞ、啓太。変な人についていったら。親御さんが泣くぞ。そんな不実な娘に育てた覚えはないって」
「誰が娘ですか! じゃなくて、先輩……!」
暁の言葉にツッコミを入れつつも、助けを求めようとする啓太。
そんな啓太を遮るように、ナンパ男たちが動いた。
「邪魔だよあんた? 何急に先輩風ふかせてんの?」
「いるいるぅ、こういう空気の読めないバカって」
「だよなぁ。ヒーロー気取って、かっこいい姿見せようとねぇ」
「必死だよねぇ」
口々に言いながら、暁を取り囲んでいくナンパ男改めごろつきたち。
剣呑な雰囲気を察し、商店街を行く人たちが彼らを避けて通り始めた。輪の中心には暁とごろつきたち、そして取り残された啓太とリリィの姿が現れる。
人数は五人程か。全員、自らの優位を確信してかその表情は余裕そのものだ。
暁はそんな男たちの行動にため息をつく。
「……そろいもそろって馬鹿ばかり、か」
「あ? なに調子づいて」
にやけ面で暁を挑発しようとした男の言葉は、そこで途切れた。
握り固めた暁の拳を顔面に喰らい、そのまま三メートルほど吹っ飛んだからだ。
「!? テメェ!」
「おら。これがやりたかったんだろ?」
至って涼しい顔で言いながら、暁は自分の方へごろつきたちを招いた。
「来いよ、三下。お前らの流儀に則って相手してやる」
「っ調子づいてんじゃねぇぞ、ごらぁ!!」
一人のごろつきが吠え、それを皮切りに、一斉にごろつきたちが暁へと殺到した。
「っだらぁ!!」
暁は大振りな拳をスウェーで躱し、腹部に肘鉄を喰らわせる。鳩尾に一撃を喰らい、そのまま吹き飛ぶ男の背後から、違う男が殴りかかってくる。
続く一撃は屈みこみ、ちょうど目の前にあった股間を、拳でまっすぐに打ち抜く。
「うわ……」
それを見ていたやじ馬のうち、男たちがそんな声を上げながら自分の股間を隠す。
声もなく悶絶し、崩れ落ちる男を尻目に立ち上がろうとした暁の上から、男が覆いかぶさる。
「おっらぁぁぁぁ! 潰れろやぁぁぁぁぁぁ!!」
そのまま抑え込む気か、気勢を発しながら、全体重をかける。
だが、暁は少しぐらついただけで、そのまま男を担ぎ上げてしまった。
「だっ、らっ、あぁぁぁぁ!?」
そのまま頭から真っ逆さまに落とされる男。ゴシャァ、と嫌な音がするが、首をひねった程度で済んだようだ。
最後に残された男が、まっすぐに暁を睨みつけ、突進。
「おおおぉぉぉぉ!!!」
掛け声も勇ましく殴りかかる。が、暁はやや下に体重を移動させながら、男の駆け足を掬い上げる。
「おおお、おお、おおおお!!??」
男はそのままの勢いで、地面へと殴りかかり、手首から嫌な音を発した。
「……他愛ねぇ」
言いながら、暁は制服の裾を整える。
ごろつき対暁が開始され、僅か数十秒の間での出来事であった。
この間、暁は異能を一切使用していない。少なくとも、そう見える。
実に驚嘆すべき実力だった。素手で、数に勝る男たちを制圧してしまったのだ。
「……すごい」
リリィが暁の実力に感嘆の言葉を漏らしていると、バタバタと何かが垂れる音がした。
リリィが首を回してその音源を探すと、真っ先に殴り飛ばされた男が血を流しながら立ち上がっていた。
「ぐ、くそぉ!!」
前歯が折れたのかすでに一本かけており、鼻からも大量の出血をしている。
そしてその手には銀色にきらめく一本のナイフを構えていた。
「を? まだやるか?」
「殺してやる……!!」
男がナイフを構えると、群衆の中から悲鳴が上がる。
まだ一度も使用されていないと思しきナイフは、汚れなき刃を白日の下に照らし出す。
「殺してやる……!!」
「フン、やる気じゃねぇか……少しは面白くなってきたな」
殺意に瞳をぎらつかせる男を前に、暁は不敵を崩さず自らの心臓を示してみせた。
「ほら。よぉくねらえ……。これからお前が突き刺す心臓だぞ?」
「殺してやる……!!」
果たして暁の声が聞こえたかどうか、男はギリギリと音がするほどナイフを握りしめ、そして駆けだす。
「ぶっ殺してやるぁぁぁぁぁぁ!!!」
「先輩!!」
さすがの事態に、啓太がトランプを取り出すが、間に合わない。
「イヤッ!!」
惨劇の予感に、リリィが目を伏せて悲鳴を上げる。
瞬間、真っ赤な鮮血が暁の顔面に舞った。
「がっ!? あ、あ……!?」
呆けたような声はナイフを握った男の物。
「ちょ、先輩!?」
慌てた悲鳴は、啓太の物。
「……いてぇなぁ」
そして、のんきな呟きは、男のナイフに手のひらをまっすぐに貫かれた暁の物。
男の握ったナイフはまっすぐに暁の心臓へと向かい、しかし直前で差し出された暁の手のひらを貫いて止まった。
銀のナイフは血に染まり、暁の手を完全に貫通してしまっている。
「あ、あ、ああ!?」
加害者であるはずの男が悲鳴を上げる。男は心の中で、自分の持っているナイフが、人に刺さるはずはないと思っていた。
そう、ナイフはただの脅し用。持っていれば、威嚇にも使えるし、いざというときはリンゴの皮もむける。女に向ければ大抵は怯み、言うことを聞く。そんな便利な道具だった。
だが、現実は違う。鋭いナイフは人の皮を突き破り、肉を裂き、鮮血を撒き散らす。そんな恐ろしい道具だったのだ。
ナイフを伝い、紅い血が男の手に滴る。
まだ温かい、生きた人間の血液が。
「あ、あ、あ」
呆けたように、男は首を振る。
これは夢だと自分に言い聞かせるように。
そんな男の手のひらを、貫かれたままの暁の手がギリィ……と握りしめた。
「……これはいてぇなあ」
そんな男を見て、暁は笑う。実におかしそうに。実に愉快そうに。
そんな暁を見て、男も笑う。自分が今見ているものは夢だと確信して。
「あ、あ、あ」
「こんなにいてぇんじゃぁ……」
にやりと牙をむき、暁は笑う。これから行うことを思いながら。
ぎりぎりと拳を握りしめながら。
「正当防衛もやむなしだわなぁ?」
現実を夢見る男は思う。こんなこと、あるわけない。
獲物を目の前にした肉食獣に、自分が襲われるわけはない、と……。
その後、男の顔面整形に勤しむ暁を止めに西岡が現場に駆け付けたのは、暁が刺されてから三十分ほど後だったことだけを追記しておく。
リアルファイト上等! 暁君、異能抜きでも強いです。少なくとも、刺された程度じゃ動じません。最悪、内臓の位置を念力で変えればいいわけだし。
西岡さんの説教から、次回はスタートとなります。
以下、次回ー。