Scene.1「ふむ。今日も俺様絶好調、だな」
異界学園二年生、新上暁の朝は割と早い。
築五十年、一部屋が四畳一間。それが三部屋のみ。風呂トイレ共同。月の家賃は一万円きっかり。
そんな昭和初期時代からタイムスリップしてきたようなみすぼらしいアパートが暁の住む自宅だ。
「んがっ……」
鳴り響く目覚まし時計を叩くように停止させ、暁は目を瞬かせながら時計の文字面を見つめる。
時刻は六時。朝日も昇りかけの、そんな時間にたたき起こされながらも、暁は満足そうにうなずいた。
暁は身を起こすと、四畳一間の殺風景な部屋の中にある数少ない家具である箪笥の扉を開き、中から学校の制服と下着を取り出して手早く着替えた。
そして部屋の隅に唯一存在する二つのコンセントのうち一つを占有している携帯電話の充電器から携帯を引き抜き、部屋を出た。
一応鍵をかけ、外に出ると、一人の老婆がアパートの前の道路を掃き掃除しているところに鉢合わせる。
彼女がこのアパートの大家である。暁は軽く手をあげながらあいさつした。
「オッスばあちゃん」
「おんやぁ、暁ちゃん。今日も早いねぇ」
皺だらけの顔をさらにくしゃくしゃにしながら微笑む大家に、暁も笑顔で答えた。
「おう。早く行かねぇと、飯食う時間が無くなるからな」
「あらあら。そんなことなら、言ってくれればご飯作ってあげるよぉ」
「へっへっへっ。ばあちゃんの作る味噌汁も悪くねぇけど、研三のおっさんにも頼まれてるんでね。また今度だ」
「はい、行ってらっしゃい。今度、お友達と一緒にご飯を食べにいらっしゃいな」
「ああ。時間ができたら、必ずな」
暁は、大家の言葉に顔をほころばせながら、軽快な足取りで歩きはじめる。
朝日で暖まりきらない道路の風が暁の体を冷やすが、それでも暁の笑みは崩れない。
「へっへっへっ。ばあちゃんの飯はうめぇからな……」
いつ来るかもわからない、大家との約束を果たす日を思いながら、卑しい笑みを浮かべる暁。
迷いなく歩を進める彼は、住宅地の中をしばらく歩き、そして目的の場所につく。
アパートから、暁の足で徒歩十分程度。さほど離れているわけではない、一つの住宅。
表札には「異世」と記されたそこは、画一的に作られたはずの住宅街の中において、一種異様な雰囲気を醸し出していた。
「………」
その屋敷の扉、窓、ありとあらゆる出入り口には、全て板で封がしてあったのだ。
玄関や、今から庭に出るガラス戸はもちろん、小さな通風孔や、鍵穴に至るまで……。すべての穴という穴に長板と釘で封がされていた。まるで、一切の光を通さぬように。
まるで怨念が形作った異様な家屋の雰囲気を前に、暁は顔を手のひらで覆って肩を落とした。
「あのアホ、またか……」
一目で異常と見て取れる家の様子を前に、まったくひるんでいなかった。
それどころか、この異常を生み出した何者かに対して、呆れてすらいるようだった。
暁は玄関前の小さな鉄門を開いて敷地の中へと足を踏み入れ、厳重に封が為された玄関の前に立つ。
と、その瞬間、玄関に打ち付けられたすべての釘が、飛びだした。
スバン!と大きな音を立てた釘を前にしても、暁の表情は揺らがない。
釘はそのまま空中に停止すると、板が落下するのに合わせて玄関前に落下した。
無造作にそれを蹴り飛ばして退かせた暁は、ドアノブに手をかけた。
ガチャン。
扉には鍵がかかっている。
暁は少し眉根を顰めたが、もう一度ドアノブを回す。
同時に、カギがひとりでに外れる音が聞こえる。
暁は満足そうな表情になると、勢いよく扉を開いた。
扉の中もまた、異様な雰囲気であった。
あらゆる明かりを灯す道具に、黒い紙がべたべたと貼ってあったのだ。
暁が一つ明りのスイッチを入れても、その黒い紙のせいで光が十分に家の中を照らさない。
……この状態を招いた者は、よほど明かりをこの家の中に入れたくないらしい。
「チッ」
暁は、舌打ちを一つ打ち、靴を脱いでそのままずかずか中へと踏み込んでいく。
執念さえ感じられる、家の中の様子を見ても、怯む様子はほとんどない。
居間へと踏み込み、一際厳重にガムテープを張られた戸棚に手をかけ、力任せに封を破る。
そしてその中にある一本のろうそくを手に持ち、マッチでそのろうそくに明かりをつける。
辺りが、ろうそくの明かりに照らされ、明るくなる。
と、その時、闇の中に何かの気配がする。
ざざっ、と音を立てて何かが闇の中へと逃げ込んでいく。
暁が視線をやると、細長い何かが、家の二階へと逃げ込んでいくのが見えた。
「ふん……起きてはいるか」
暁は一つ鼻を鳴らすと、ろうそくを燭台につきさし、二階へと向かう。
二階へと向かうための階段も、異様であった。
階段の隅々を埋め尽くすように、黒い何かが浸食しているのがわかる。
近くで見た者は、それをこう感じるだろう。
長い、長い、髪の毛である、と。
だが暁はそんなもん知ったことかと言わんばかりに、階段を覆い尽くしているその黒い何かを踏みにじりながら上へと進んでいく。
ろうそくの明かりに照らされるたび、黒い何かはその明かりから逃れようと動き出すが、それより早く暁の足が黒い何かを踏みにじる。
暁が階段を上りきるのと同時に、一つの部屋の扉から、再び釘と板が勝手に引きはがされる。
暁が見つめるその部屋の扉には、一つのネームプレートがひっかけられている。
そこに記されたのは“駿”と言う人物の名前。生真面目……というより機械的な雰囲気を受けるそのネームプレートを一瞥し、暁は部屋の扉をノックなしに開く。
その扉の向こうに広がっていたのは……ひときわ濃い、闇。
光を一切通さない、昏い、昏い闇。暁が掲げ上げたろうそくの光すらものともしない、その闇の中から、一組の双眸が暁をじっと見つめていた。
「………」
無明の闇の中から暁を睨むその輝きは、紅い。
血を紅の様に塗りたくったと表現できる、その紅い瞳は暁を感情の見えない眼差しでじっと見つめ。
「光葉、オラァ!! テメェ、また駿の部屋ん中に潜り込みやがって!!」
……そんな眼差しすらガン無視して、暁は大股で部屋の中へと踏み込み、一つの方向へと近づいていく。
闇の中をうごめく髪のような何かをぶっちぎり、暁は窓のカーテンを勢いよく開く。
同時に窓の鍵が開き、勢いよく窓が勝手に開き、ついでとばかりに窓に打ち付けられていた釘と板がけたたましい音と共に吹っ飛んでいく。
部屋の中へと、朝日が差し込む。
暁はその眩さに目を眇めながら、部屋の中を振り返る。
先ほどまで、漆黒の闇に満ち満ちていた部屋の中は、朝日に照らされてその様が一変していた。
部屋の中は、あるいは病的なまできっちり整えられていた。
机や拵えた棚の角度は当然として、その中に納められた本に至るまで、全て整然と並べられていた。
一度も、それらを動かしたことがないのではないか、と見るものに思わせるその部屋の中で、唯一もぞもぞと動く物体があった。
一人の少年が、すやすやと眠るベッド……その上に、乗っかる黒いマリモのような物体。
先ほどまで部屋を席巻した、髪の毛の集合体のような姿をした、一人の少女が、黒マリモから顔だけ出して、暁を睨みつけていた。
少女の頭上辺りには、自己主張を繰り返すように、髪の毛のような物体でひたすら一文字だけ大量に描かれている。
『呪呪呪呪呪………』
「何が呪うだテメェこんちくしょう。テメェがベタ張りに張った板、誰が剥がすと思ってやがる」
恨みがましく睨んでくる少女の視線を逆に睨み返しつつ、暁は手元のろうそくの火を消し、少年を見下ろす。
こんな状況になってもすやすや眠り続ける少年の姿に不信を覚え、暁はベッドのすぐそばに備えられているはずの目覚まし時計に目をやる。
目覚まし時計には黒い髪の毛のような何かが絡み、その針が六時寸前から動かないようにがっちり固定されていた。
「いつまでたっても起きねぇと思ったら……」
『剥がすの、だめ、絶対』
「ざけんな」
目覚まし時計に張り付く何かがそう文字を書くのを無視して、暁は素手で黒く絡まっている物体を引きはがす。
それと同時に、今まで焦らされ続けた時計の針がかちりと動き、大きな音で鳴り響き始める。
その音に暁が顔をしかめていると、ベッドで眠っていた少年がぱちりと瞳を開いた。
「……おはようございます。光葉、暁」
「おう、おはようさん」
『おはよう、駿』
ベッドに体を横たえたまま朝の挨拶を始める少年……異世駿を見下ろしながら、暁は挨拶を返す。
暁を睨みつけていた少女……異世光葉も、駿が起きた途端、全てを忘れたように駿へとしな垂れかかりながら、あいさつする。
瞬間、光葉の体を覆っていた黒い塊がほどけ、暁は光葉が一切何も身に着けていないことに気が付いた。
「………」
暁が無言で指を鳴らすと、駿の体を温めていた掛布団がぶわっと起き上がり、光葉の体を包み込んでしまう。
あっさりと掛布団に飲み込まれてしまった光葉はしばらくもごもご動いていたが、光葉がそれ以上何かするより前に、掛布団はボヨンボヨンと飛び跳ねながら部屋を出ていく。
それを追いながら、暁はゆっくりと体を起こす駿へと振り返り、声をかける。
「すぐ飯にするからな。さっさと着替えて、降りてこいよ」
「わかりました。毎朝すいません」
「気にすんな。研三のおっさんにも言われてることだ」
暁は駿の言葉に笑いながら、部屋の扉を閉じ。
「――で、テメェもだ光葉。とっとと着替えて降りてこい」
『暁のバカ。アホ。間抜け。乙女心知らず』
「いいから服着ろスタイリッシュ痴女がぁ!!」
布団の表面に張り付いた黒い何かが書く文字を見てそう叫びながら、暁は駿の部屋の対面にある部屋の扉を開いて、妖怪ふとん玉をその中に放り込む。
暁が荒々しく閉じた扉の表面にかかったネームプレートに記されている名は「光葉」であった。
「ったぁく……」
暁はガシガシと頭を掻き毟りながら、下階へと降りていく。
先ほどまで階段を席巻していた黒い髪の毛のような何かはもうすでになく、一般的な階段へと戻っていた。
暁は一階に降り、台所に向かう途中で、ふとまだ家の中が真っ暗なことに気が付く。
「……っと、忘れてたな」
暁はそう呟き、また指を鳴らす。
それと同時に、家中に張り付けられていた板が大きな音を立ててすべて外れ、さらに家の中の明かりに張り付けられていた黒い紙も音を立てて外れる。
さらにカーテンやブラインドといった遮光物も開き、家の中に太陽の光が入り込み、温かみのある明かりが辺りを覆い尽くした。
「ふむ。今日も俺様絶好調、だな」
その結果に満足そうにつぶやきながら、暁は改めて台所の中へと入っていく。
そうして暁が三人分の朝食を拵え終えるころには、駿と光葉がそれぞれ、暁が着ているものと同じデザインの制服を纏って現れた。
「おーぅ、飯はできてる。さっさと食って学校行くぞ」
「わかりました」
『呪呪呪呪呪………』
「テメェはいい加減呪うのを止めろ、光葉」
三人はそれぞれにテーブルにつき、食事を始める。
「……で、今日は学校でなんかあったっけか?」
「確か、転入生が来る予定だったはずです」
暁の疑問に駿が応える。
その隣に座った、光葉が餌をねだる小鳥のように口を開けながら、駿の目の前に何やら文字を出現させた。
『駿、あーん、して』
「無理やり口ん中に飯突っ込むぞ、光葉。……しかし、この時期に転入生ね。ほぼ年中行事とはいえ、また妙なタイミングだな」
光葉を睨む暁の言葉に、駿は頷きながら朝食のベーコンを切り分ける。
「まだ、新学期が始まって一ヶ月ほどです。学園の事情で言えば、許容範囲内でしょう」
「まあな」
『あーん、あーん』
そして切り分けたベーコンを、暁の言葉にもめげずにあーんを主張する光葉の口の中へと運んでやる。
「はい、あーん」
「おい、あんま甘やかすな駿。そいつどうせ」
『じゃあ、次は口移しで』
「ほら見ろ調子のったぁ!! そしてテメェもそのリクエストに応えるべく、口ん中でしっかり咀嚼始めてんじゃねぇよ駿!!」
光葉のリクエストに対して、口の中でベーコンを咀嚼し始める駿を腕ずくで暁が止めつつ、何とか朝食を終える三人。
歯磨きや最後の身支度を整え、三人は家の外へと出た。
「おっし、行くかね」
「はい。時に、家の周辺に散らばっているこの板と釘はなんなのでしょうか」
「お宅の甘えん坊の仕業だよ」
「そうですか」
駿は暁の返答になんていうこともなさそうに頷きつつ、家に鍵をかける。
背中にべったりくっつく光葉の存在を受け入れつつ、駿は暁へと向き直った。
「それじゃあ行きましょうか」
「それはいいけど、光葉は剥がしとけ。目立つ」
『絶対に、いや』
「お前に言ってねぇよ」
学校へと向かう道中、光葉を駿から剥がすべく悪戦苦闘する暁。
これが、異界学園二年生、新上暁の毎朝であった。
異能力者たちの日常を描く、ハートフルコメディを目指します!
三人とも能力者ですが、どんな能力かはそのうちに。暁は、ある程度予測できると思いますが。
以下、次回!