Scene.15「お見事です、フレイヤお嬢様」
緩やかに太陽は天頂へと向かい始め、日を浴びた小鳥たちは目をさまし、空を舞い始める。
今でも煉瓦造りの建物が立ち並ぶ中を縦横無尽に伸びるコンクリート道路。その上を、出勤に向かう人々の車が行き交っている。
英国、ロンドン。世界に誇る英国最高の都市は、今日もまた緩やかに動き始める。
「……ふぅ」
そんなロンドンの一角。古風な外見ながらも、新しさを感じる一軒の建造物があった。
イングランドに存在する、ウィンザー城を思わせるチューダー様式の建物。そのテラスで、一人の少女が静かに朝のティータイムを楽しんでいた。
年の頃で言えば、十五、六ほどだろうか。落ち着いた雰囲気の中に幼さのようなものがわずかに見え隠れしている。
張り出したテラスから、ロンドンの街並みを眺め、少女はたおやかに微笑んだ。
「今日もまた、ロンドンの素敵な一日が始まるのね……」
そう呟きながら掻き上げた髪の毛は、一本一本がまるで絹糸のよう。
露わになった白い肌は白磁のごとく。
ロンドンを見つめる瞳はエメラルドそのもの。
さらに体系はスマートながら、出るところはしっかりと主張していた。
誰か一人に「金髪碧眼の美少女」を連想しろ、と命じれば、九割の人間が彼女を思い浮かべるだろう。それだけの美しさが、彼女にはあった。
テラスの下を行きかう人々の中には、顔を上げて彼女の姿を見つめている者もいた。
彼女はそんな人たちに気が付くと、柔らかく微笑み小さく手を振った。
何人かは、笑顔で彼女に手を振りかえす。そして何人かは、彼女の笑顔を見つめて顔を赤らめ、慌てて俯いた。
いつもと変わらない、素敵な朝。それを感じて、少女はまた一段と華やかに微笑んだ。
トン、トン。
そんな少女の耳に、柔らかなノックの音が聞こえてきた。
「はい、どうぞ。お入りなさい」
「失礼いたします」
少女の返答を受け、扉が開く。
現れたのは、執事服を身に纏った……女性だった。
女性は扉から一歩前へと進み、その場で深々と頭を下げる。
「朝のティータイムをお邪魔してしまい、申し訳ございませんフレイヤお嬢様」
「気にしないで、レディ。いつも私を助けてくれるあなたを、どうして私が拒むことができるというの?」
「もったいないお言葉です、フレイヤお嬢様」
フレイヤ、と呼ばれた少女は、微笑みを崩さぬまま、女性に答えた。
レディ、と呼ばれた女性は、頭を上げぬまま、少女の信頼の言葉に応える。
二人にとっては、毎朝の儀礼の様なものだ。
フレイヤには、毎日のように英国から依頼が舞い降りる。それこそフレイヤの都合などお構いなしに。朝の静かなティータイムに、仕事の話が舞い降りることなど、いつものことだ。
そう。世界最強のサイコキネシストにして、異能騎士団現団長、フレイヤ・レッドグレイブにとっては。
「それで……今朝は何があったのかしら」
「はい」
先を促すフレイヤの言葉に、レディはようやく顔を上げ、小脇に抱えていたボードを持ってテラスの方へと歩み寄る。
だがしかし決して外には……特にフレイヤの影は踏まぬように立ち、ボードにクリップしておいた書類に目を通していく。
「まずは、簡単に解決しそうな案件から……政府よりの依頼です。昨夜未明、英国上空に、未確認の人工衛星を確認。速やかに撃墜してほしいとのことです」
朝するべきではない、穏やかならざる話題がレディの口から放たれる。
人工衛星の撃墜。常識で考えれば、一個人に依頼するような内容ではない。簡単という言葉からもかけ離れている。普通の人間に向かって言えば、頭の具合を心配されそうな内容である。
だが。
「ええ、わかったわ」
フレイヤは紅茶をゆっくりと嗜みながら、レディの言葉に頷く。
しばらくして、小さく眉をしかめた。
「……たぶんこれのことね。一昨日はこんなものなかったわ」
「もう捕捉されましたか」
フレイヤの言葉に、レディは室内から空を見上げる。
夜の黒から青色を取り戻している最中の空をいくら見上げても、レディの目には鮮やかな空の色しか映らない。
しかし、フレイヤはティーカップをソーサーの上に置きながら、小さくため息をついた。
「どこの国の物かは知らないけれど……呆れたこと。このフレイヤ・レッドグレイブが、気が付かないと思っているのかしら」
そう呟きながら、フレイヤは指を小さく鳴らした。
同時に、レディの見上げる空が、わずかに瞬いたように見える。
さながら、閃光か何かの様に。何かが爆発したようにも見える。
「……これでいいでしょう。砕いた衛星を回収すべきなんでしょうけれど……少し脆かったわね。残った破片は、大気圏突入の摩擦熱で燃え尽きるはずよ」
「お見事です、フレイヤお嬢様」
満足げに紅茶を啜るフレイヤの姿を、レディは惜しみなく称賛する。
人工衛星をあっさり撃墜するという、常人には計り知れない出来事をあっさりこなしてしまった、フレイヤ。だが、彼女の表情に変化はない。そのまま、朝のティータイムを楽しみ続ける。
彼女にとって、人工衛星を撃墜するなど朝飯前……いや、彼女の今の行動を考えれば、ティータイムを楽しんでいる間に片が付いてしまう程度の仕事なのだ。
「次の案件ですが……日本での活動も確認された、例の教団の続報です」
レディの言葉に、フレイヤの顔に微かに真剣みが帯びる。
レディが口にする教団とは、いわゆる新興宗教の類であった。
キリスト教徒が国民の八割を占める英国においても、他宗教を信仰するものはそれなりに存在する。信仰の自由とは、何物にも犯されるべきではないのだ。
そんな中で微かに顔を見せ始めた教団、その信仰内容とは……。
「確か……異能信仰、だったかしら? その教団の信仰内容は」
「はい。万物の長たる霊長類……すなわち、人類に目覚めた異能こそ神の御業である、と」
異能信仰。これは特別珍しい話ではない。異能科学が発展する以前でも、ごく少数存在していた……いわゆる“奇跡の御業”という奴である。
いわゆる特殊なカリスマを備えた人間が、自らは神の代理人だと語り、多くの人間からの信仰を集める。異能科学が存在しなかった過去においては、簡単なイカサマで人の心を手玉に取る悪質な手法とされていたものだ。
異能科学が発達した今においては、イカサマを操る神の代理人の数も自然と減り、そう言った宗教も滅亡したかに思えた……。
だが、怪しい新興宗教は滅亡しなかった。手を変え、品を替え、その実態を変質させながらも……新興宗教というのは生き残り続けた。その姿を、異能信仰という形に変えて。
「今では誰もが手に入る異能……それを崇めて、果たしてありがたみがあるのかしら?」
「さて、私には彼らの心意を測りかねますが……実在する以上、何らかのありがたみがあるのでしょう」
「そう。私にも理解できそうにないわね」
主従は呆れた様子で肩を竦める。
彼女たちにとっては、異能とは身近な存在であり、自らの手足のようにごく当たり前の存在だ。そんなものを崇める者たちの気がしれないのも、仕方ないのかもしれない。
だが、いまだ未開分野の大きい異能科学……異能は一般社会に浸透しても、その本質はいまだに一般人に理解を得ているとは言い難いのも事実。
異能信仰とは、そう言った部分につけ込むことで、人々からの信仰を集め、力を得ているのだ。
そうした実情を理解できないフレイヤは、紅茶を口に含みながらレディに先を促した。
「それで……続報、だったわね? 何か動きがあったの?」
「ええ。近日、ロンドン郊外で、教団の大規模な集会が行われるようであるという未確認情報が、ロンドン市警へと入りました」
「なるほどね……」
教団の集会が行われるというのであれば、それは大きな動きだろう。
ロンドンの、ひいては英国の治安を守るために組織された異能騎士団としては、それを機に教団連中の一斉検挙と行きたいものであるが。
苛立たしげに眉根を顰め、フレイヤは小さく、しかしはっきりと怒りを露わにする。
「けれど、手は出せない……のよね」
「残念ながら、現状では」
レディの淡々とした返答に、フレイヤはため息をついた。
そう。現状では、教団の違法行為に対する証拠が不十分で、彼らを検挙することは不可能なのだ。
フレイヤは額を押さえながら、レディへと問いかける。
「タカアマノハラで捕まった、例の泥棒……あれは結局教団の関係者だったのかしら?」
フレイヤが口にしたのは、タカアマノハラで発生した泥棒騒ぎの現行犯たちの事だ。
事前に犯行が発覚し、異能騎士団に対しても詳細の問い合わせがあった。
その後、現地で捕縛を依頼された学生が現行犯で取り押さえ、その身柄は日本政府へと引き渡されたはずだ。
その後の進展如何では、教団検挙への足掛かりにできるかもしれないが……。
フレイヤの問いに対し、レディは首を横に振った。
「残念ながら、それも不明です。英国政府が引き渡しを要求いたしましたが、日本政府はそれを拒否。現地のサイコメトリー能力者の協力で、事実関係を洗い出しているようですが……うまくはいっていないようです」
「そう……」
レディの言葉に、フレイヤは残念そうに頷いた。
それからレディにお代わりを要求しながら、腕を組む。
「まあ……仕方ないわね。完璧なサイコメトリー能力者はまだ生まれていないし……それに近い能力者だって方々で活躍しているのだもの。無理を言うわけにはいかないわよね」
人の頭の中をのぞく、サイコメトリー能力者。
多くの人間は、覗いた精神を言葉のように聞き取る能力であると考えられているが、それは誤りである。多くのサイコメトリー能力者は、相手の精神を何らかのイメージとして読み取る。それは色であり、風景であり、形であり……そして言葉である時もある。必ずしも、言葉として読み取れるわけではない。言葉ならまだいいが、それ以外であったときには、それらの意味を解読する作業が要求される。
そして言葉であったとしても、必ずしも読み取りたい部分が読み取れるわけではないし、そもそも暗号文か何かのように表現されることもある。
このような事情から、研究解明が急がれる分野であるが、そもそも絶対数も多くない。
そのため、サイコメトリーは需要に対して供給が全く追いついていない状況なのである。
フレイヤはそのことを踏まえ、今できることを考える。ないものをねだるのも、無理を言って他人を傷つけるのも、フレイヤの流儀にはない言葉だ。
「……現状、教団に手出しはできない。なら、監視を密にすべきね。少なくとも、関連を疑われる者たちが違法行為を行っている……。すぐに動くことはないでしょうけれど、警戒するに越したことはないわ」
「かしこまりました。ロンドン市警と協力し、教団の集会を見張ることといたします」
「ええ、お願いね」
紅茶のお代わりに礼を言いながら、フレイヤは残った案件を処理していく。残りは、騎士団運営に関する事務的な処理だった。
すべての処理を終え、レディはフレイヤに一礼を行う。
「それではフレイヤお嬢様。本日の朝の案件は以上となります」
「ええ、ありがとう、レディ。下がってちょうだい」
「はい。それでは、失礼いたします」
フレイヤの言葉に、レディは頭を下げたまま下がり、そして部屋から退出する。
残されたフレイヤは、紅茶の香りを楽しみながら、小さく微笑んだ。
「……そう言えば、リリィが向こうに留学を初めて、もう一週間だったかしら?」
可愛い後輩の存在を思い出し……そしてフレイヤは不敵に微笑んだ。
「アラガミ・アカツキ……あの男のいる学校に」
それは獰猛な微笑みだった。親の仇を目の前にしたような。自らの力を誇るにふさわしい相手を目の前にしたかのような。
不敵な笑みを浮かべるフレイヤ。彼女の一日は、まだ始まったばかりである――。
教団の怪しい動きを、現地からお送りいたします。
さしあたって、人工衛星くらいは撃墜するのがこのフレイヤの力です。人間業じゃないですね。
それでは以下次回ー。