Scene.14「いつものことではあるが、臆病なことだ」
タカアマノハラという街は、複数の区画に分かれている。
まず、異能科学研究のメインとなる研究街。複数の研究機関、あるいは工場などが乱立し、場所や研究内容によっては昼夜を問わずに動き続けている。
それら研究機関や、タカアマノハラ全体の物資を補完する倉庫街。ここは同時に商業区も兼ねており、委員会の認可を得て、外部企業がタカアマノハラ支社を設置していたりする。
続いて、異界学園や、学園で学ぶ学生たちが暮らす居住街。タカアマノハラの研究者もこの居住区で暮らしており、タカアマノハラで暮らす者に何ら不自由がないよう、あらゆるものが集まってくる。
そして、それらの区画を管理、統制するための中央塔。タカアマノハラをコントロールするための委員会の拠点にして、タカアマノハラのシンボルとして、タカアマノハラの中央に鎮座する、実に三十階建ての巨大ビルである。ここには、行政関係の機能が集中しており、タカアマノハラに何か異常があったとしてもここだけは独立して機能するようになっており、いざという時の避難塔も兼ねている。
そして中央塔、最上階。タカアマノハラを一望できる展望室の様になっている執務室。そこが、タカアマノハラ管轄委員会理事長兼異界学園学長である、異世研三の職場となっている。
太陽もそろそろ天頂へといたろうかという頃、研三は己の執務机につき、何枚かの書類を睨みつけていた。
「………」
険しく眉根を寄せて、手に持った書類、そして机の上に広げられた資料と思しき紙の山を睨みつけている。
しばし唸り、別の資料を手に取り、また唸り。
そんな作業を繰り返す研三の元へ、一人の女性が現れた。
数回のノックの後、返事を待つことなく、女性は執務室の扉を開けて中へと入る。
ピシッとスーツとタイトスカートをを着こなした、いかにも秘書といった風体の女性だ。
女性は研三の執務机まで近づき、脇に抱えたボードを手に持ち直した。
「理事長、昨日の侵入騒ぎに関する報告に参りました」
「ああ」
研三は曖昧に頷き返すが、資料から顔を上げることはない。
女性は研三が顔を上げるのを待つことなく、手元のボードに視線を下す。
「昨日、研究街に侵入し、第三研究所へと侵入を試みた賊は、その後の逃走を幇助したものも含めると二十人前後に及びましたが、全て捕縛。現在取り調べの最中ですが、やはり英国で活動している新興組織との関連性が疑われています」
「そうか……」
研三が、資料をおろし、女性へと顔を向ける。
「その組織に関して、英国はなんと?」
「こちらの問い合わせに関し、調査中であるとの返答がありましたが、おそらく一両日中には引き渡しを要求してくるものと思われます」
「ふむ」
研三が小さく頷く。
元々英国で活動している犯罪組織のメンバーであるならば、英国へと引き渡すのが筋というものだろう。どうせなら、この引き渡しをきっかけに、その犯罪組織を一網打尽にしてくれればよい。
だがしかし。一筋縄ではいかないのが世の中というものである。
「……それで、政府はなんといっている?」
「はっ。犯人の事実関係を確認し、それから英国の判断を仰ぐと」
「やはりそうか」
今回の犯人は、タカアマノハラの研究所に侵入し、そこにあった資料を盗み出した。
その資料自体は、すでに犯人の手を離れ、元あった場所へと戻っているはずである。
だが、犯人たちがその内容を把握、あるいは記憶していないとは言い切れない。
そのことを確認しない限り、日本政府は犯人たちを英国へは引き渡さないと言っているわけである。
「いつものことではあるが、臆病なことだ」
呆れるように研三は呟き、ちらりと窓の外へと視線を向ける。
政府が恐れているのは、すなわち情報の流出。今や先進国の資源ともいえる、異能科学の研究データの流出を、恐れているのだ。
今回の犯人たちを即座に英国へと引渡し、そこからの情報流出が起こらないかどうかを懸念しているわけだ。
もちろん、英国とて表立って犯人たちから情報を得ようなどとはしないだろう。そんなことをすれば、国際社会における信頼を失うことになるだろう。
だが、司法取引というものは存在する。犯人たちが、その脳内にタカアマノハラの研究データが治められているのであれば……英国が何らかの条件を提示し、そのデータと引き換えにする可能性は否定できない。
異能科学の最先端である、タカアマノハラの研究データ。例え裏取引を行ったとしても、得る価値のあるものだろう。
「その関係で、政府からサイコメトリーの異能者を貸し出してほしいとの依頼がありました」
「だろうな」
女性の言葉に研三は仕方なさそうに頷き、そして机の上に据えられたパソコンを軽く操作する。
しばらくして人員名簿らしいものを呼び出し、それを眺めはじめる。
「……やはり予定が詰まっているな。日本政府ばかりでなく、各国の政府からの依頼もある。政府は完全な読心術者を要求するだろうが、それだけの能力を持つ学生を派遣するには一ヶ月はかかるぞ」
「そのように申しあげましたが、どうしても至急人員を回してほしいと……」
「待たせておけ」
研三は冷然と言い放ち、名簿を閉じる。
感情を感じさせない彼の表情からは、不退転の強い意志を感じられた。
「学生たちには普通に暮らす権利がある。そして我々委員会には彼らの生活を守る義務がある。政府の見栄を守るためだけに、彼らの生活を犯させはしないと伝えておけ」
「かしこまりました」
研三の言葉に女性は小さく頷いた。
女性から視線を外しつつ、研三は小さく独り言る。
「……むしろ、研究データが世に流れるというのであれば、その方がよい。学問を秘匿したところで、いったい何の利があるというのだ」
異世研三が真に願うのは、異能科学によって覚醒した異能者たちの行く先であり、その果てに人類がどのような進化を遂げることができるのか、である。
かつては眉唾であると言われていた、異能力。研三は魂の存在証明と共に、この力を現実のものとする法則を打ち立てた。
生きているのであればだれもが持ちうるものを利用し、人類は新たなる力を手に入れるに至った。
だが、今だその能力には格差が存在する。第一世代、そして第二世代という、絶対的な格差が。
その壁を打ち破り得るものはなんなのか? 天賦の才か。生まれか。育ちか。努力か。あるいは何らかの外的要因なのか……。
それを解明できるというのであれば、研三は自身の持ちうるすべての知識を世界中に公表しても構わないと考える。一人で考えてもわからぬのであれば、もっと大勢の人間、視点、思想、文化によって検分すべきなのだ。
だが、研三はそれをしない。否、できない。
政府の助力を得て建設できた、異能者のための学校である異界学園。この運営には、国の援助が必要不可欠だ。自身が勝手をしてしまったことで、異界学園が解体されるような憂目があってはならない。
研三は、口にした自らの言葉を否定するように首を振り、また口を開いた。
「……なんでもない。それで、今回の一件、その情報元に関しては何かわかっただろうか」
「はい、それに関してですが」
研究所への侵入騒ぎ。それは匿名のタレこみがあったために判明したものだ。
匿名ではあったが、英国への確認、そして複数名の予知系の異能者によって事実であると断定され、委員会を通じて最も信頼できるサイコキネシストへの依頼と相成った。
だが、その後も研三は情報元を探り出すように指示を出しておいた。
「……結局、何者が情報をもたらしたのか、それを特定することはできませんでした」
「……そうか」
女性の報告に、研三は腕を組んで唸る。
「……あれほど正確な情報、いったいどのようにしてもたらされたというのだ……」
研三が、情報元を探り出すように指示した理由。それは、もたらされた情報があまりにも正確だったからだ。
いつ、どこへ、どんな連中が侵入するか……といった情報が、ある日突然、委員会へともたらされたのだ。
多生の誤差こそあったが、もたらされた情報は複数名の予知能力者、そして実際の犯人たちの動きとほぼ合致している。
それほどの情報があれば、そもそも委員会に情報をもたらさずとも、そうなる前に犯人たちの動きを止められるはずなのだ。
この情報をもたらした匿名の人間……。その真意が見えず、研三はその後も情報提供者の捜索を命じた。
「犯人たちの主な活動範囲が英国であるならば、英国の者だろうか」
「異能騎士団か、英国政府でしょうか」
「ならば匿名にする意味がない。こういった情報は、交渉のカードにも使えるだろう」
実際の双方の感情はともかくとして、この情報のやりとりだけで恩を売った側と売られた側の図式が生まれる。たとえささやかであっても、このやり取りの積み重ねが、やがて大きな交渉の場で生きてくるのである。
仮にこの情報をもたらしたのが騎士団か英国政府であるならば、自らの正体を隠す意味がない。匿名の者からもたらされたのでは、無償の善意になってしまうのだ。
「……あるいは、犯人たちからのタレこみか?」
「まさか」
研三は、ポツリとそう呟いた。
だが、さすがにそれはおかしいと女性は口にする。
「そうだとして、何故こちらに襲撃予定をリークする必要があるのです? そんなことをして一番困るのは犯人たちです。矛盾しているにもほどがあります」
「……そうだな」
女性の言葉に、研三は同意した。
確かに、その通りだ。
犯人たちがこちらに情報をリークして、損をすることはあっても得することはないのだ。
ため息とともに、研三は思考を切り替える。
この件に関して、もう少し考えるべきだと思うが、こればかりを考えている暇は研三にはないのだ。
「……他に報告は?」
「今のところは、特にありません」
「そうか、ご苦労。下がってよい」
「はい」
研三の言葉に、女性は深く頭を下げてそのまま部屋を後にした。
女性が部屋を出た後、研三は資料を少しずつ片づけながら、小さくつぶやいた。
「何事も、なければよいのだがな……」
不穏な気配を感じさせつつ、時間が少し進みます。
そしてカメラは英国へ!
以下次回ー。