Scene.9「――で、いつごろ、その泥棒は来るんですか、先輩……?」
時刻は午後十時過ぎ。
すでにタカアマノハラからはほとんどの明かりは消え、しんと静まり返っている。
タカアマノハラは完全水上都市……いわゆる住宅区も存在し、二十四時間営業の店もないではない。だが、大抵は仕事帰りの社会人を対象とした店であり、未成年が気軽に入れるような店はほとんど軒並み閉店してしまっている。コンビニもなくはないが、商品補充の関係で、駅前にしか存在しない。
そして学生寮は、駅とは反対側に存在する。門限などが設定されているわけではないが、こんな時間に外を出歩く物好きな学生はほとんどいない。
だが、タカアマノハラに存在する委員会から依頼を受けているというのであれば、別の話だ。
「――で、いつごろ、その泥棒は来るんですか、先輩……?」
すっかり暗闇の中へと落ちたタカアマノハラの雰囲気にのまれ、やや怯えながら啓太は暁に問いかけた。
結局あの後、暁に引きずられるままに依頼人のところまで引きずられ、必要要員として報酬まで支払われる約束をしてしまった。
その時現金かポイントか、などという質問もされたが、とりあえずはいはいと頷いて流しておいた。正直、今晩をいかに切り抜けるかで頭の中が一杯一杯なのだ。
「一応、近衛の予知じゃもうじきだな」
雰囲気に怯える啓太とは正反対に、暁は昼間の商店街を歩くかのような気やすさで啓太の傍をうろうろしている。
場所は、タカアマノハラにいくつも存在する研究所、その一つだ。
詳しい内容は企業秘密ということで聞いていないが、事前に手渡された資料によれば、ゲンショウ型を全般的に研究しているらしい。
研究所を見上げながら、傘を小脇に抱えたリリィが油断なく周囲を睨みつける。
「一応では困ります。泥棒となれば侵入のプロ。どこから侵入するかによって対処が大きく変わってしまいます。場合によっては逃走される可能性もありますよ?」
「まあな」
真剣なリリィに対し、あくまで自然体な暁。
そんな彼の態度に、リリィは怒りを露わにする。
「まじめにやりなさい! そもそも、貴方が受けた依頼でしょう!」
「そうカッカすんな。待ってりゃ来るのは分かってんだ。大人しくしてようぜ」
「ぐぬぬ……!」
のらりくらりと怒りの言葉をかわす暁の態度に、リリィがなお怒りを募らせる。
そんな二人のやりとりをハラハラしながら見守っていた啓太は、話題転換のためになんとか言葉を絞り出す。
「そ……そう言えば、よく泥棒が来るってわかりましたね! 誰か、未来予知系の異能で発見したんですか?」
「んにゃ。ちげぇよ」
暁は啓太の言葉を聞き、首を横に振る。
リリィの相手をするつもりがないのか、怒り心頭の彼女を無視して啓太に向き直った。
「この手の依頼は、大概委員会へのタレこみが元になる」
「その、タレこみの元が異能とかなんじゃ……?」
「それはねぇな。そもそも近衛の奴でも、タカアマノハラに起きる事象の発生を予知することはできない。もし特定の場所で何かをおこる、ってはっきり予知できる奴がいたら、そいつは第一世代の能力者だろう。今ん処、予知系で第一世代ってのは聞いたことねぇな」
「そうですね……」
暁の言葉通り、予知系は希少なのか、現代まで生き残っている第一世代の能力者は存在しない。過去に名を連ねた予言者たちは、第一世代だったのではないかとは言われているのだが。
「……じゃあ、委員会へのタレこみって誰がするんですか?」
「誰でも、さ。政府関係者や先進各国の偉いさんに委員会に恩を売りたい大企業……自称正義の味方なんてのもいるかもな」
冗談めかしたように呟く暁。
「どこの世界にも物好きなやつはいるからな。ついでにガセネタ流し込んで喜ぶアホもな。匿名希望する奴は、大体ガセネタだ」
「そうなんですか……何考えてるんでしょうかね、そういう人って」
「さあな。そう言う情報流して、こっちが狼狽えるのを見て喜ぶんだろ……。ただまあ、今回はきっちり裏が取れてるらしい依頼だがな」
そう言って、暁は封筒を取り出す。
依頼主から改めて渡された、今回の事件の資料が入っているらしい。
だが、暁はそんなもん不要とばかりに手を付けず、封筒も未開封のままとなっている。
「依頼人のおっさんの話じゃ、情報の元は匿名だったらしいが、確認のためにある組織に連絡取ったらビンゴだったらしい」
「それで今回の依頼に……で、どこなんです? その組織って」
「……聞きたいか」
啓太の質問を受け、暁が実に嫌そうな顔になる。
そんな暁の表情を不思議そうに見つめながら、啓太は首をかしげる。
だが、気になるものは気になるのだ。
「? 気になりますよ、そりゃ。どこだったんです?」
「………………………英国」
長い沈黙の後、暁はそう呟いた。まるで苦虫をかみつぶしたような表情で。
暁の言葉の意味が解らず、啓太は首をさらにかしげる。
組織を聞いたのに、まさかの国名である。
その上この不機嫌具合。意味不明と言っても……。
「……ん? まさか」
と、そこで気が付く。
英国と言えば、暁が嫌いな組織が存在していたような。
「……まさか裏取りのために確認した組織の名前って……異能騎士団ですか?」
「………………その通りだ」
「……え、異能騎士団ですか!?」
遠くの方で暁を無視するかのように周囲を警戒していたリリィが、騎士団の名を聞いて駆け寄ってきた。
目を輝かせながら、暁に問いかけた。
「それは本当ですか!? 我が異能騎士団が、このタカアマノハラのお役に立っていると!?」
「正確にゃぁ、こっちが聞いたんだよ……」
「それでもお役に立てたことに違いはありません! どうですか、アラガミ・アカツキ! 我が異能騎士団の力、思い知りましたか!?」
「何このテンション超ウゼェ……」
小さな胸を張り、暁を見下ろすような目線になるリリィ。身長こそ足りないが、意図するところははっきりわかるくらいの態度である。
そんな彼女を見てげんなりとなる暁に微かに同意しつつ、啓太は質問を続けた。
「裏が取れたってことは、どんな相手が来るかって、情報があったってことですよね? どういうのが来るんです?」
「さあ。騎士団って聞いて、確認する気失せたから見てねぇ」
「そこは確認してくださいよ……。つまりその封筒の中身が今回の相手の情報なんですよね?」
「らしいな」
言いながら、暁は未開封の封筒を持ち上げて示して見せる。
ごく一般的な事務封筒だ。表に何か書いてあるというようなこともない。
「送ってもらった資料を、そのまま入れてあるって入ってたぞ。見るか?」
「見ますよそりゃ」
暁から資料を受け取り、啓太は封筒を開く。
中に入っていた資料の束を取出し、携帯のバックライトで中身を読もうとして……。
びっちり書かれた英文を確認し、思わず涙目になる。
「……先輩。この資料、ぜんぶ英文です……」
「まあ、そんなこったろうと思ったわ」
予測はしていたのか、暁は驚いた様子もなくそう言った。
「騎士団の連中はこっちが訳すと思うだろうし、依頼人はそんなめんどくせぇことわざわざしたがらねぇだろうし」
「敵の情報ですよ? がんばって読み込もうとか思わないんですかね……?」
「最低限の事は、直接のやりとりで確認してるんだろ。それだけわかれば、泥棒捕まえるのには十分だろうしな」
「そんなもんですかね……あ、これは日本語になってる」
それでも何とか資料を確認しようと一枚一枚確認していった啓太は、一枚だけ日本語で記された紙を見つける。
いや、向こうが送ってくれた資料ではなく、こちらで翻訳したものらしい。箇条書きでいろいろ書き込まれており、送られた資料を簡易にまとめたという感じだ。おそらく、資料を受け取った担当者辺りが翻訳してくれたものだろう。
きちんと日本語訳が存在していたことに感動し、そして翻訳者に感謝しながら啓太はその資料を読み込んでいく。
「ええっと、なになに……?」
口の中でぶつぶつと資料の中身を読み進める啓太。
資料によれば、今回タカアマノハラへの侵入を試みているのは英国を中心に活動している犯罪組織らしい。組織としての暦は浅く、なおかつ保有戦力も大したことはないという。
ただ、新興宗教の側面を持つらしく、その資金力は侮れないらしい。今回の侵入者が武装しているかもしれないのも、その資金力のおかげだとかなんとか。
そしてこの組織は現在、異能者を組織の独自戦力として取り込むことを画策しているらしかった。
「なるほど……それでタカアマノハラに……」
「なんだ? なんかわかったのか?」
「はい。今回の泥棒、異能者を自分たちの戦力にしようとしてるらしいです」
「ハッ。わかりやすいなぁ」
嘲笑うように鼻を鳴らし、暁はぐるりと首を回した。
「そんなこたぁ、とっくの昔に政府がやってるっつぅの。二番煎じもいいとこだぜ、まったく」
「いやまあ、そうですけど……」
タカアマノハラ。日本が誇る最新の技術を使って建てられた完全水上都市が、実は異界学園のためだけに建てられた物であるというのは、もはや公然の秘密である。そして、どうして政府がそこまでするのかというのもまた、公然の秘密だ。
これは日本に限った話ではないが、各国の政府は強力な異能者を自国の戦力として保有できないかと目論んでいるわけである。
第一世代はもちろん、第二世代でも強力な異能者はちらほらと存在する。いわゆる戦略資源がいらず、人間と理論さえあれば増える異能者は、まさしく最高の戦力となり得るだろう。
もちろん人道的、倫理的問題からそのようなことを公然と口にする政府は存在しないが……日々高まる異能科学関係の研究競争に、民衆は一抹の不安を抱えていると言えた。
「何を言います、アラガミ・アカツキ! 力を持って生まれたのであれば自国防衛のために力を尽くすのが当然! それを犯罪組織と同様にとらえるなど言語道断です!!」
「お前んとこの常識がこの国で通用すると思うなよ」
「フグッ!?」
暁に鼻をつままれ、無様な声を上げるリリィ。
そんな彼女と先輩のやりとりに苦笑する啓太。
資料を読む手を少し止めて、暁を窘める。
「あはは……先輩、リリィ弄りもほどほどに……」
「大丈夫。お前の十分の一くらいにとどめとくから」
「離しなさいコラー!」
「それで十分の一とか……ええっと……」
暁の発言に慄きつつも、啓太は資料を読み進める。
と、そこに衝撃の一文が書かれていた。
「……え? これって……」
「お、どうした? なんか面白いこと書いてあったか」
「離しなさいってば! いた、痛いです!」
リリィの鼻をつまんだまま近づいてくる暁に、啓太は慌てながら資料の一番下の辺りを指差して示した。
「先輩、ここ! ここ見てください!!」
「ああ? 俺は暗視能力ねぇぞ……」
ぼやきつつも、自分の携帯を念で取出し、バックライトで啓太の示す一文を照らす。
そこには、こう書かれていた。
「“この組織の目的は、異能者の誘拐であると推測される”……?」
「そうです! 泥棒がどう動くかはわかりませんけど、組織がそう言う目的を持ってるなら……!」
「……今回の窃盗の目的自体も変わってくるな」
「ふぎゃ!? いたた……どういう意味ですか?」
暁と啓太の言葉の意味が解らず、そう問いかけるリリィ。
彼女に、啓太は思い出させる。会長の言葉を。
「会長が言ってたでしょ? こういう研究機関には、異界学園の生徒の個人情報が納められてる場合があるって……!」
「……だから?」
「お前頭悪いな」
リリィの察しの悪さに顔をひきつらせつつ、暁はちらりと研究所の方を見やった。
「つまりだ。……異能科学の研究データじゃなくて、生徒の情報を盗みに来てる可能性の方が強いってことだ」
「そうすれば、標的が技術じゃなくて生徒の方になる……。異界学園の生徒が、狙われてるかもしれないんだ……!」
「あ……!?」
ようやくそのことに思い至り、口を手のひらで覆うリリィ。
同時に、研究所の中からけたたましいサイレンが鳴り響いた。
「!? 先輩!」
「おいでなすったか」
研究所はそこそこ広い。研究所が入れている警備システムだけでは、完全に守りきれないほどに。だからこそ、暁たちの出番となるが、彼らが来たところで侵入のプロを押し止めることはできない。
そのため彼らの仕事は研究所を守るのではなく、資料を盗み出した犯人を水際で捕えることなのだ。
暁は軽く肩を鳴らしながら研究所へと駆け出す。
それを追って、啓太とリリィも走り出した。
というわけで、泥棒さんいらっしゃい。
暁たちは果たして泥棒を捕まえることができるのか?
以下次回ー。