おまけ
遠くから近付いてくる足音が、何故だか掻き消されることもなく耳に届く。
鼓膜の中に残った音と共に無尽に跳ね回るそれは閉じ込める壁を蹴る毎に大きく強く、確かに響く。
ここから聞こえるべくもない音。
聞こえるのは、それが空気の震動とは違うものだからだろうか。
呼ばれた気がして、閉じていた瞼を薄く開ける。
視界に映ったのは変わりばえのない見慣れた天井だった。再びゆっくり虚像を押しやり、けれど間を置かずに迎え映す。
目を開けていることにすら疲労を覚えるのにそれを何度も繰り返しては天井に映写された水と光の戯れを見つめる。
まるで合わせ鏡のようだ。
瞳はその奥の眼窩に映る全てを正し、水はそのまま逆さにそれを投影する。あべこべのようでいてだからなのか妙に心地良い光の悪戯に、もういつぐらいぶりかも忘れてしまった柔らかさが息を還した。
あれはいつのことだっただろうと振り返ってみても正しく思い浮かべることが出来ない。あれから私はまどろんでばかりだ。今日がいつだかとて定かではない。
途切れ、出会ってまた途切れ、繰り返される鏡の逢瀬。
私だけ煩わしい盾の守りに包まれるために途切れてしまうそれが、何故だか妙に口惜しかった。
同じだけど違うもの、それを認めたくなくて逢瀬を断ち切る。
いっそのこと私までもを潔く断ってしまえばいいのに。いつかと同じようなことを考え、けれど今の私は例え出来ても、実行しない自分を知っている。
ざ…と、風が草を薙いで奔る。
煽られて、僅かに開いていた窓から小さな水滴が頬と触れ合う。
冷たい風よりほんの少しだけ温みのあるそれが、縫い合わされた瞼を優しく促した。
同じものだけど違うそれは、今度は断ち切られることなく私と交わる。
視線の先には、以前とは違う笑みをたたえて、それでも変わらず私を映してやや吊った目元を和ませる。
「心配した?」
からかう口調に微笑みながら衰えた腕を彼の頬へとゆっくり伸ばすと、焦れた彼の手が私のそれをギュッと握った。
私はもう一度笑みを刷いて、オカエリナサイとすまして言った。
触れ合った彼の手は温かく、私はまどろみの中でいつまでもその熱を感じ続けた。
(2007/3/27)