戦国地獄戦記 ~ 本能寺より始まる魔王黙示録 ~
天正十年六月二日未明。
京の夜を焦がし、本能寺が燃えていた。
桔梗紋の旗が幾重にも寺を囲む。
天下統一まであと一歩。
織田信長の掲げた天下布武は、今まさに炎の中へ沈もうとしていた。
「是非もなし」
信長は口元を歪め、畳の上へどかりと胡座をかいた。
「無念にございます!」
森蘭丸の悲痛な声が響く。
「ノっブ! どうしてヨ! 逃げるネ!」
ヤスケと名を与えられた南蛮人の従者が叫ぶ。
その顔には焦りが浮かんでいた。
「騒ぐな」
信長は白着物の肩を荒々しく落とした。
炎に照らされた肌には、幾筋もの古傷が刻まれている。
「ハラキリ、ダメダメ!」
ヤスケは目を見開き、信長へ飛びつくように駆け寄った。
「オウッ!?」
だが、燃える天井の梁がヤスケと信長の間を阻む。
火の粉が舞い上がる。
熱風が吹き荒れる。
信長はその向こうで笑っていた。
「ふっ……。天命か」
「ノっブうううううっ!」
炎は燃え盛り、ヤスケは後ずさるしかない。
やがて、ヤスケの姿も炎の向こうへ消えた。
「蘭、首はくれてやれ。
光秀なら、お前を粗末に扱ったりはせん」
万の兵を動かしていた男も、最後に残ったのは一人だけだった。
その忠勤に応えるべく、信長は肩を揺らした。
「何をおっしゃいます! お供させていただきます!」
「……馬鹿な女よ」
男装の少女は首を横に振った。
頬を涙が伝う。
それでも、迷いなく刀を抜く。
主君にその時が訪れたなら、一瞬でも早く苦しみを終わらせるため。
そして、主君が旅立ったなら、すぐにその後を追うため。
「では、参る!」
信長は脇差を腹へ。
切っ先が肉を裂く。
「人間五十年!」
横一文字。
信長の顔が苦悶に歪む。
「下天の内をくらぶれば!」
さらに、下から縦一文字。
おびただしい赤が飛び散る。
「夢幻の如くなり!」
信長は笑い、脇差を放る。
両手を腹に突っ込み、臓腑を引きずり出すと、それを掲げた。
******
「よう、おつかれ」
「ぬっ!?」
そこは、曇天の下に広がる泥沼だった。
炎も。
煙も。
怒号も。
悲鳴も。
すべてが一瞬で消えていた。
「なかなかの見ものだったぜ」
背後から聞こえる拍手。
信長が振り向く。
髑髏の山の上に、一人の男がいた。
金色の双眸。
額には、もう一つの碧眼。
赤銅色の肌を黒衣で包み、あぐらをかいたまま頬杖をついている。
「……何者だ」
「おいおい、困るな」
男は肩を竦めた。
「俺の名を名乗っていたのは、お前だろ?」
男の言葉と奈落のような光景。
信長の眉がぴくりと動く。
「第六天魔王か……。」
「大正解!」
男はぱんっと手を打った。
まるで、出来の良い子どもを褒めるような気軽さだった。
「では、やはり地獄に落ちるというわけか」
信長は笑った。
「望むところよ」
「いいや、駄目だね。地獄なんて、つまんねーよ」
額の碧眼が妖しく細められる。
その視線は、心の内まで見透かしているようだった。
信長は眉間に皺を刻む。
「なに?」
「だが、役目だ。選ばせてやるよ」
男は頬杖を外し、髑髏の山の上で身を乗り出した。
「次に進んで、地獄に行くか」
「それとも、戻って、地獄を作りにいくか」
曇天の下。
泥沼を渡る風が二人の間を吹き抜けた。
信長は一瞬たりとも迷わない。
「愚問……。」
「かっかっかっ! いいね! 実にいい!
お前なら、その道を選ぶと思ったよ!」
男は膝を叩いて笑った。
信長は鼻を鳴らす。
「さっさとしろ」
「よーし、喜べ! 俺の名に恥じない力もやるぞ!」
男は勢いよく立ち上がった。
黒衣が翻る。
髑髏の山がざわめくように崩れ、無数の頭蓋骨が転がり落ちた。
******
「ノっブぅ~~……。」
焼け落ちてゆく本能寺を前に、ヤスケは慟哭をあげる。
だが、次の瞬間には現実が押し戻した。
包囲する明智の軍勢を、突破しなければならない。
信長の首を渡してはならない。
たとえ、敵の手に落ち、三条の河原に晒されようと、奪い返す。
それが今のヤスケの使命になっていた。
涙を腕で拭い、走り出そうとした、その時だった。
「天魔覆滅……。」
もう一度聞きたかった声が届く。
ヤスケが振り返る。
本能寺は、天を焦がす業火の柱に包まれ、一瞬で消えた。
「ふっはっはっはっはっはっ!
これが力! 魔王の力か! 愉快痛快!」
白い炎の中で、信長は悠然と笑っていた。
その右手にぶら下がるのは、忠臣の少女の首だった。
「蘭よ、共に地獄を作ろうぞ」
「はい、お供します」
ヤスケは、ただ膝をつくしかなかった。
「……で、デーモンロード」
その声は、戦場の喧騒に呑まれて消えた。
******
明智光秀の謀反によって、織田信長は本能寺の炎に焼かれた。
天下が桔梗紋に染まりかけた、その時。
「ふっはっはっはっはっはっ!」
第六天魔王が蘇る。
焼け落ちたはずの男が、白い炎の中から新生するように。
その悪道を支えようと、地獄の底から影が這い上がる。
「爆破! 爆破! 平蜘蛛爆破!」
裏切りの梟雄、松永久秀。
「ん~~、もっと苦しんで、甘美な響きを聞かせてください」
毒の美食家、宇喜多直家
「もっとだ! もっと、私に痛みと苦しみを与えろ!」
百倍返しの血だるま、山中幸盛
「一心不乱の闘争が私を呼んでいる!」
狂った義、上杉謙信
もはや、戦国時代をやっている場合ではなかった。
帝の勅は、豊臣秀吉と徳川家康を結びつけ、戦国最大の連合を生み出す。
武者たちは、その旗のもとに続々と集う。
しかし、魔王と死天王の歩みは止まらない。
日本列島は、東北と九州を残し、地獄へと塗り替えられていく。
だが、闇が蘇るならば、光もまた動き出す。
「この目は、真実を見通す!」
開眼した竜、伊達政宗。
「愛染明王の輝きを受け! 今、必殺のっ……。」
愛の伝道師、直江兼続。
「我が槍に、鬼も魔王も斬れぬものなし!」
千槍を従えし武神、本多忠勝。
「その名は、捨てました。今は、南光坊天海と呼んでください」
そして、光を束ねし者、明智光秀。
今、ここに戦国という名の地獄が始まる!




