外伝:皇太子リヒャルトの婚姻(前編)
帝国皇太子リヒャルトは、父皇帝エルヴィン譲りの黒髪と、帝都の夜空に輝くサファイアのような瞳を持つクオーターエルフの貴公子であった。しかし、その端正な顔立ちには、常に払拭しきれない不安の影がさしていた。
リヒャルトの自信を揺るがせるもの――それは、三歳下の異母弟アルヴィンの存在だ。政略結婚の結果生まれた自分とは違い、アルヴィンは、父の最愛の妻である第二妃セシリアの息子であり、父に似た名を与えられたばかりか、エルフの血をより濃く引いた絶世の美男子であった。彼の人々を惹きつける天真爛漫な明るさと、魔法、発明、冒険……あらゆる分野で発揮される天才的な才能。
(自分はただ型通りに帝王教育を受けているだけの、取り立てて優れたところもない皇子なのではないか……) 普段は帝都と領邦国家エルフェンライヒに別れて暮らしているため心穏やかではあるが、眩いばかりの弟に対する引け目は、折に触れてリヒャルトの脳裏をよぎるのであった。
リヒャルトが大人になるまで、父皇帝エルヴィンは二、三年ごとに三ヶ月ほどの長期休暇を取り、エルフェンライヒへ赴くのが常だった。大臣たちの中には、これを「寵姫休暇」と揶揄する者もいた。 リヒャルトも何度かその訪問に同行した。滅多に会えぬ祖母エルナは美しくも気難しいエルフの貴婦人だったが、アルヴィンの母セシリアやその親族の王族は、眩い高位エルフでありながらリヒャルトにとても親切にしてくれた。 エルフの国への訪問に同行しなかった時には、父の留守中、リヒャルトは宰相を手伝って政務を回した。それゆえ執政への理解は早くから深まっており、その意味では皇太子の帝王教育は大成功と言えた。
リヒャルトが18歳で成人し、父の即位に伴い皇太子となった夜。 豪華な舞踏会には、若き皇子の歓心を買おうと、帝国中から着飾った令嬢たちが集まった。 その喧騒の片隅で、リヒャルトは宰相と話すフェリックス侯爵が、西方領地の深刻な干害についてぼやいているのを耳にする。 「用水の確保は死活問題です。しかし、広大な乾地に水を引くのは至難の業……」
フェリックス侯爵夫妻の傍らには二人の娘がいた。 流行の刺繍レースを贅沢に使ったドレスを纏い、自信に満ちた顔で微笑む金髪碧眼の次女エステラ。そして、その鳶色の髪と似た茶褐色の地味なドレスを着た、痩せぎすで背の高い長女ペトラ。 宰相は、長女のペトラが熱心に彼らの話を傾聴していることに気づき、彼女に水を向けた。 「ペトラ嬢だったかな。御息女はこの件、いかが思われるかな?」
「……恐れながら」 ペトラは躊躇いがちに、しかし的確に言葉を紡いだ。 「耕地を分けて一年おきに保水する今のやり方は、土地の限られた西方の領地では非効率かと存じます。ため池を設置し、汚染を防ぐため排水路とは完全に分離した専用の引水路を建設すべきではないでしょうか」 父侯爵は「生意気な口を」と慌てて窘めたが、宰相は目を輝かせた。 「これは随分と聡明なご令嬢だ。フェリックス侯爵、お嬢さんは領地のことを実によく理解されていますな」 称賛を受けたペトラは、驚いてその灰色の瞳を瞬かせた。今年23歳の彼女は、社交界では「行き遅れ」と囁かれる年齢だったが、その瞳には誠実な知性の光が宿っていた。
ホワイトデースペシャルで、四分の一エルフの前皇帝リヒャルトの皇太子時代の話を書きました。前・中・後編の三本になります。リヒャルトはエルヴィンの息子、アルヴィンの異母兄であり、ラインハルトの父親でもあります。




