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勇者ライゼルが死んだわけ  作者: スケ丸


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10/10

赫い残響

私は大剣ごと宙を舞っていた。

魔族。

あの日以来、一度としてその姿を忘れたことはない。だが、目の前の個体は、記憶の中のどの異形とも異なっていた。

 

高さは私の身長の三倍近く。腕の一本一本が古木の幹ほどに太い。しかし、その体格は異様に「人間に近い」均衡を保っていた。肥大化した筋肉の隙間から、冷徹な暴力が、獣臭と共に立ち昇っている。

 

お兄ちゃんは、こんな「絶望」を真正面から受け止め、私を逃がしてくれたのか。

胸の奥で、鉛のような感情が沸騰した。

考えるより先に、身体が跳ねる。


「死ねッ!!」


背負った大剣を抜き放ち、私は重力を味方につけて頭上から急降下した。空気を切り裂く風切り音が、私の絶叫をかき消す。


渾身の力で叩きつけられた刃は、魔族の硬質な胸部へと深く食い込んだ。

黒い、粘り気のある返り血が顔に飛ぶ。だが、こいつは悲鳴すら上げなかった。

 

魔族は、己の胸を裂いた刃を凝視し、それからゆっくりと口角を吊り上げた。


不意打ちを食らった驚きではない。命のやり取りが始まったことへの、生理的な、吐き気のするような笑いのように見えた。

 

魔族が、天を衝くような咆哮を上げる。森の樹々が震え、鳥たちが一斉に飛び立つ。


「……はは、やっぱそうじゃないとな!」


笑いが止まらなかった。頬を伝う返り血を拭うこともせず、狂気を含んだ笑みを魔族に返す。

恐怖はとうに、殺意に焼き殺されていた。

 

魔族の丸太のような拳が、真横から迫る。

私は大剣を盾のように構え、その衝撃を受け止めた。


――重い。

まるで、全力で走る荷馬車が衝突してきたかのような圧力。足元の土が深く抉れ、私の体は数メートル後方へと押し流される。


間髪入れず、私は踏み込んだ。

一撃。二撃。大剣の重みを利用した旋回斬りが、魔族の四肢を狙う。


しかし、硬い。鋼の鎧など比較にならないほどに発達した筋肉が、私の刃を弾き返す。


(両手を使えば…一撃で沈められるのに……!)

 

分かっている。だが、できない。

魔族の執拗な連撃を捌くのに必死で、剣を構え直す余裕がない。片手で防ぎ、片手で牽制する。そんな、ジリ貧の力勝負。

 

私の腕力をもってしても、この暴力の化身には届かないのか。


「ガアアアアアッ!」

 

魔族の重い蹴りが、私の足元を払った。

体勢が崩れる。地面が迫る。

そこへ、山が崩れるような追撃の拳が振り下ろされた。


「……っ!」


私は泥を舐めるようにして転がり、間一髪でその場を逃れた。

轟音。私が一秒前までいた場所が、直径一メートル以上のクレーターと化している。


私は止まらない。背後の木を力一杯に蹴り、反動を利用して瞬発的なスピードで加速した。

 

(もらった……!)

 

魔族の懐に潜り込み、横一閃。

ズブリ、という確かな手応え。魔族の右腕が、肘のあたりからガタンと音を立てて地面に落ちた。

 

勝機。


狂喜に震える手で、私はすぐさま振り返る。咆哮を上げようとする魔族の胸部、最初の傷跡をなぞるように、深く、重く、大剣を叩き込んだ。


「…………勝った」

 

荒い息が白く濁る。

視界は自分の返り血と、魔族の黒血で赤黒く染まり、まともに目を開けることすら難しい。

足元には、切り落とされた巨大な腕が転がっている。


まだ生きてるはずだ。確実に、なぶり殺してやる。指一本、牙一本残さず――。

だが、そこには、何もなかった。

魔族の巨体が、掻き消えるように消え去っている。


「な……!?」


背後に、冷気が走った。

反射的に振り向こうとした私の視界に、あるはずのないものが映る。


切り落としたはずの、あの腕。

それが、魔族の肩に何事もなかったかのように繋がっている。

鈍い音が、私の腹部で響いた。


「が……はっ!!」

 

肺の中の空気がすべて弾き出され、口から鮮血が噴き出す。

私の体は木の葉のように宙を舞い、背後の大樹に激突した。

ベキベキと、自分の骨が折れる音が嫌なほど鮮明に聞こえる。

衝撃で視界が明滅し、大剣が手から滑り落ちた。


「……なんだ……? 何が、起きた……」

立ち上がれない。肋骨が肺を刺しているのか、呼吸をするたびに鋭い痛みが脳を焼く。


正面から。

回避も防御も間に合わない速度。そして、あり得ない再生。

 

魔族は、嘲笑っていた。

無傷のまま、獲物が動けなくなるのを鑑賞するような、残酷な瞳。


ああ。私は、ここで死ぬのか。

お兄ちゃんの仇を取りたかった。

でも……いいのかもしれない。

お兄ちゃんと同じ森で、お兄ちゃんと同じように、化け物に蹂躙されて終わるなら。

ようやく、お兄ちゃんのところへ行ける。


「……なんで、私、泣いてるんだ……」


視界が滲むのは、血のせいだけではなかった。

これでいい。満足だ。最後にこいつと戦える機会があったんだ。

自分にそう言い聞かせる。言い聞かせるたびに、喉の奥からせり上がる「悔しさ」が、私の胸を掻きむしった。


悔しい。

死ぬことが怖いんじゃない。

こんなゴミのような化け物に、一矢報いることもできず、ただ餌として終わることが、死ぬほど、悔しい。


魔族がゆっくりと、止めを刺すために拳を構え、歩み寄ってくる。

死の影が、私を覆う。

私は静かに目を閉じ、あの日からずっと会いたかった人の名前を、最期の息で言った。


「……お兄ちゃん」


「なんだ、お前も涙を流すんだな」

 

不意に、絶望を切り裂くような、場違いに明るい声が響いた。

 

轟音。

私の鼻先数センチのところで、魔族の巨大な拳が止まっていた。

いいえ、止められていた。

一人の男の背中によって。

 

男は、魔族の拳の圧力を流すように受け止めると、その両腕から鮮血が激しく吹き出した。

魔族の規格外の圧力が、受け流しきれなかった衝撃となって、筋肉を内側から引き裂いたのだ。


だが、踊るような足運びでその懐へと滑り込んだ。

銀色の閃光が走り、魔族の肉が流れるように切り裂かれる。


「……間に合って良かったよ。ヴェラ」


逆光の中に立つその姿は、眩しくて、直視できなかった。

あの日、私を守ってくれたお兄ちゃんの姿と、重なって見えた。


だが。

光が落ち着き、見えたその顔は、私が一番嫌っている男の顔だった。

勇者ごっこの、なりきり勇者。

前の勇者の影を病的に追いかける、狂信者。


「なんで……来た。」

「なんでって……パーティだからだろ?ライゼル様も仲間は大切にしていたはずだ。」

 

どこまでも「ライゼル」だ。

人が死に際でも、こいつは変わらない。気持ち悪い。反吐が出る。

私はこいつを信用していないし、今でも生理的に受け付けない。

 

けれど。

差し出されたその手が、あの日、最後にお兄ちゃんと交わした「ハイタッチ」の残響を、どうしようもなく呼び起こすのだ。

 

私は、震える手を伸ばした。

かつて失った光を、もう一度だけ手に入れるように。

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