表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/6

舞踏会の視線と書斎の距離

「セシリア、最近楽しそうだな」

そう声をかけられたのは、まさかの王宮だった。


ある舞踏会に招待され、しぶしぶ出席した私の前に、王太子リオネル殿下が現れたのだ。

――そして、彼の隣には当然のようにリリア嬢がいた。


相変わらず小鳥のようにか弱げな笑みを浮かべ、殿下の腕に寄り添っている。


「……殿下。私と会話をなさる必要はございませんでしょう」


「そうもいかない。お前の噂が、あまりに広まっているからな」

殿下の目が細められる。


その奥には、あの時の断罪の場では見せなかった苛立ちがあった。


「――そんな顔をしても、私には通じない」

心の中でそう呟き、私はゆったりと構える。


苛立ちを隠そうと眉をひそめる殿下の横顔を、冷静な視線で追いながら、微かに笑みを浮かべた。


殿下にとっては、私のこの余裕がさらに苛立ちを募らせるのだろう。

だが、それもまた、舞台の一部に過ぎない――私が望む通りの筋書きだ。


「アルノー侯爵令息と親しくしているそうだな」


「お噂は自由ですわ。事実を確かめるのは、ご自身でどうぞ」

私が涼しく返すと、リリア嬢が慌てて口を挟んだ。


「セシリア様……っ。そんなふうに殿下にお答えしては……。どうか、殿下を挑発しないでくださいませ」

挑発? 私は笑いそうになった。


あの日、殿下が一方的に私を断罪した時――その彼が、今や私の噂ひとつで落ち着きを失っている。


「挑発だなんて。私はただ、自分の時間を楽しんでいるだけです。殿下とリリア様がそうしているように」

殿下の顔がかすかに歪む。


それを見て、私は確信した。


(……あら、これは嫉妬かしら?)


リリア嬢を選んだはずの王太子が、今さら私の笑顔を気にしている。

なんと身勝手なことだろう。


「セシリア。忘れるな。お前はかつて、王太子妃となるはずの身だった。軽率な振る舞いは許されん」


「まあ。殿下に婚約を破棄された女に、まだそんな責任があるとお考え?」

会場のざわめきが大きくなる。


人々は、かつての「断罪の再演」を期待して耳をそばだてている。

――けれど今度は、私がうつむく番ではなかった。


「ご心配なく。私は私の道を歩きますわ。殿下がどなたをお選びになろうと」


そして、横からすっと手が差し出された。

アルノーの手だった。


「失礼。セシリア様をお借りしてもよろしいですかな、殿下?」

王太子の表情が凍りついた。


私は微笑み、アルノーの手を取った。


「ええ、ぜひ。……殿()()()()()()()は残っていませんもの」


その瞬間、私の背後で人々の囁きが渦を巻いた。


舞踏会の主役は、王太子でもリリアでもなく――「笑う悪役令嬢」と、彼女の隣に立つ侯爵令息となったのだ。


私はふと肩の力を抜いた。

舞踏会の煌びやかな装飾も、ざわめきも、今や単なる背景に過ぎない。


「さあ、アルノー。そちらへご案内くださいな」


言葉をかけると、彼は静かに笑いながら私の手を引いた。

その仕草には、押しつけがましい保護も、過剰な配慮もない。

ただ、私を一人の人間として扱う誠実さだけがあった。


会場のざわめきや王太子の苛立ちは、まるで遠い世界のことのように思える。

――ここにいるのは、私と、私を理解してくれる人だけ。


アルノーの腕に寄り添い、新たな物語の始まりを感じながら舞踏会の会場を後にした。


舞踏会の喧騒から離れ、アルノーの屋敷へ行き、静かな書斎に二人で腰を下ろした。

暖炉の火が揺れ、外の街灯もほのかに映る室内は、王宮の煌びやかさとはまるで別世界のようだった。


「……落ち着く場所ですね」

私は小さく息をつき、カップの紅茶を手に取る。

「王宮や舞踏会では、誰かの視線に常に晒され、心を休める暇もありませんでした」


アルノーは私の言葉を静かに受け止め、ゆっくりと語り始める。


「私も、子供の頃は同じようなものでした。侯爵家の跡取りとして、常に『完璧であれ』と求められ、少しでも失敗すれば父に叱責される。友人との遊びも、自由な時間もほとんどありませんでした」


その言葉に、私は思わず視線を上げた。

王太子の威圧的な視線や、社交界の噂に疲れていた私にとって、この告白は不思議な安心感をもたらす。


「……そうだったのね」


「ええ。母は厳しく、父は期待を押し付ける。私はいつも、家族の理想の形に沿うだけの存在でした」

アルノーの瞳が少し陰る。


「だから、セシリア様が舞踏会で毅然として立っていたのを見たとき……あの強さ、冷静さは、誰にも媚びない、真の誇りだと感じました」


アルノーの家族への怒りを感じると同時に、胸の奥がじんわり温かくなる。

――誰かに理解される。

長らく忘れていた感覚が、ゆっくりと戻ってくる。


「……それなら、少しは心を開いてもいいかもしれませんね」

私の自然に零れた言葉に、アルノーは微笑んだ。


「では、もっと近くで話しましょう」

彼は少し身を乗り出し、私と肩が触れる距離に座った。

指先がかすかに触れ、心臓が跳ねる。


「……こうして、隣にいてもよろしいのですか?」

冗談めかす私に、アルノーは真剣な眼差しで答える。


「もちろんです。セシリア様の意志に反しない限り、私はここにいます」


握り返される手の温もりに、胸が軽く震える。

――この距離感、この静かな時間だけで、心の奥の孤独が少しずつほどかれていく。


「あなたの過去を聞いて、少し理解できました。あなたも私と同じように、自由を奪われてきたのですね」


「ええ。だからこそ、今こうして互いを尊重し合える時間が、何よりも貴重に思えます」


暖炉の火が柔らかく揺れる書斎で、二人の距離は言葉と触れ合いによって自然に縮まった。


――このひとときが、私たちの新しい物語の、静かで確かな始まりなのだと、私は実感した。

ここまで読んでいただきありがとうございました


ぜひ評価、感想、ブクマなどをいただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ