孤独と自由、そして――新たな誘い
舞踏会の翌日から、噂は稲妻のように王都を駆け巡った。
「やはり公爵令嬢セシリアは悪役だった」
「リリア嬢を虐げた挙げ句、殿下に見放された」
「断罪の場でも冷笑を浮かべたらしい」
――面白いことに、私は実際には泣きも叫びもしていないのに、人々の話の中で私はすでに「醜態をさらした哀れな女」になっていた。
(噂というのは便利なものね。事実なんて誰も求めていないのだから)
その結果、私のもとを訪れる令嬢はいなくなり、友人と呼べる存在も一人残らず去った。
社交の場に出れば、さりげなく距離を取られ、目を合わせれば扇子で口元を隠して笑われる。
――そう、私は完璧に孤立した。
けれども。
「……静かでいいわね」
皮肉ではなく、心からそう思った。
婚約者という名の鎖に縛られていた頃は、
「王妃にふさわしく」と四六時中、監視されているようだった。
笑顔ひとつにも気を使い、失言を恐れて口を閉ざし、常に正しくあろうとした。
今はどうだろう。
「悪役令嬢」という烙印を押された私は、何をしても悪く言われる。
ならば逆に、気を張る必要などないのだ。
紅茶をどれだけ飲もうが、侍女と世間話で笑おうが、
――もう「王太子の婚約者」として咎められることはない。
(悪評も、自由の対価と思えば安いものだわ)
だが、私の冷静さは周囲にとってはかなり意外だったのだろう。
噂は私の話題で持ちきりだった。
「セシリア様、落ちぶれて泣き暮らしているらしい」
「いいえ、屋敷で笑っているそうよ。不気味だわ」
……侍女によるとどうやら私は今、「泣き崩れる悪役令嬢」から「笑う悪役令嬢」へとアップデートされたらしい。
その頃、屋敷に一通の手紙が届いた。
差出人は――侯爵家の令息、アルノー。
内容は簡潔だった。
『舞踏会でのご対応、見事でした。もしよろしければ、お茶の席を共にいかがでしょう』
……まったく。
婚約破棄から数日で、新しい誘いとは。
(さて、これは私の物語に新しい幕が開いた、ということかしら?)
手紙を受け取った日の午後、私は応接室で紅茶を片手にその文面を読み返していた。
差出人は侯爵家の令息アルノー・ヴァルディエール。
婚約破棄の一件以来、私に接触してくる貴族は皆無だった。
にもかかわらず、彼だけはこう記していたのだ。
『あの日のご対応、見事でした。殿下と令嬢に侮辱されながらも、毅然と振る舞われたその姿に敬意を表します』
(……見事、ですって?)
王都中が私を「笑う悪役令嬢」と呼んでいるのに、彼だけは違う見方をしているらしい。
正直なところ、半分は好奇心に押されて、私は誘いを受けることにした。
――指定された茶会の場は、王都の郊外にある侯爵家の別邸だった。
「ようこそ、セシリア様」
現れたアルノーは、穏やかな微笑を浮かべた青年だった。
殿下のように煌びやかな美貌ではない。だが彼の瞳は真っ直ぐで、相手を品定めするような妙な嫌らしさがない。
私の家族の視線は常に不快なものだった。
父は「公爵家の名に恥じぬように」と私を値踏みし、母は「王妃にふさわしい振る舞いを」と欠点を探し続けた。
笑みを向けられても、それは娘としてではなく、飾り物を磨く眼差しに過ぎなかった。
私が何を好み、何を嫌うのかを尋ねる者はいなかった。
私という人間ではなく、「王太子妃」という役割を形作るための材料としてしか見られていなかったのだ。
だからこそ、真っ直ぐな瞳で私を見た彼の存在は、ひどく眩しく映った。
「お誘いに応じてくださり、光栄です。お噂を耳にしてから、どうしてもお会いしたく思っておりました」
「……私と? 殿下に捨てられた、悪役令嬢と?」
皮肉を込めて言ったつもりだったが、彼は首を横に振った。
「いいえ。殿下に捨てられたのは、セシリア様ではなく、本当は殿下自身なのでしょう」
一瞬、言葉を失った。
私の中にあった小さな棘を、するりと撫でて外すような言葉だったから。
彼は続けた。
「社交界は噂に踊らされます。けれど、あの日のあなたの微笑み――あれは虚勢ではなく、誇りそのものだったと思います。それを理解した者も、少なからずいるのですよ」
(……理解、ですって?)
私の胸の奥で、なにかが小さく揺れた。
侍女の前で無邪気に笑うのとも違う、妙に落ち着かない感覚。
胸の奥がざわつくようで、息を整えなければ落ち着かない。
けれど、それが不快かと問われれば、答えに窮する自分がいる。
こんな感覚……初めて……
「だからこそ、もしよろしければ……少しずつで構いません。あなたの時間を分けていただけませんか」
紅茶の湯気の向こうで、彼の真摯な眼差しが私を射抜く。
私はカップを置き、深呼吸をした。
――婚約破棄で幕を閉じたはずの私の物語は、どうやらまだ続くようだ。
「……面白いお話になりそうですね。よろしいわ、アルノー様」
こうして私は、思いもよらぬ縁へと歩み出したのだった。
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