第1話 幼女から少女、少女から…
1968年、モンゴル、ウランバートル…
少女の持つ音楽プレイヤーから片耳のイヤフォンに繋がりボブ・ディランの『Masters of War』が流れていた。
目の前にはモンゴル特有の平原と山々、そして街が構えていた。
音量が小さくなり、無線から声が聞こえる。
<こちらロングウィットンだ。聞こえるか>
「うん。聞こえる」
無線からはニヴルヘイムのエージェントであるロングウィットンの声が聞こえた。
<よし。今作戦はモンゴルに潜んでいるKGB工作員の暗殺だ。現状、ソ連と中国は対立状態。6年前のキューバ危機とはまた別の危機だが、ソ連は中国、チェコスロバキアと外交問題になり始め、このままでは侵攻しかねない。モンゴルに潜んでいるKGB工作員は中国から秘密兵器を密輸し、モンゴル経由でソ連国内に持ち帰ろうとしているらしい。一応言っておくが、モンゴルはソ連派だ。中国派ではない限り、兵器密輸はグレーゾーンを超えかねる。これ以上、ソ連と中国の傷を深めてはならない。ターゲットは必ず殺せ。死体も処理せよ。今までの中で一番苦労するかもしれない。幸運を祈るぞ、デミヒューマン>
デミヒューマン。異常な浸透力を持つ少女。6年前、先輩のエージェントであるアクリスと共にキューバ危機を乗り越えた。彼女は成長を理由に海外派遣をされまくっているとか…しかし、デミヒューマンは成長と共に能力が弱くなっており、あの能力はあまり使わなくなっていた。
「ロングウィットンはどうするの?」
<私か?常に君が見えない近い所でサポートさせてもらう。アクリスではなくすまないな。あいつが我儘言ってどっか行っちまうもんだからなぁ…>
アクリスとの相性に良さはニヴルヘイム古参のロングウィットンも知っている。
因むが、ロングウィットンは匠のエージェントであり、1947年〜1951年にかけてソ連本土に潜入調査をしていた。ニヴルヘイム創設から1年ほどで潜入したため、彼はニヴルヘイム初のソ連潜入調査員となった。
「大丈夫」
<そうか。本題に移るぞ。ターゲットは現在、中国とモンゴルの国境に向かっている。場所は2択まで絞った。バヤンウルギーかホブト。県名だぞ間違えるな。以上だ>
「…それだけ?」
<そうだ。確実な情報は今のところここで止まっている。君以外に2人エージェントを派遣しているが、ターゲットの足跡は掴めなかった。この2つの地域を調査せよ。何かあったら連絡してくれ>
全く…あまりにも情報がない。エリートエージェントとはいえ、こんなの肩書だし…。
「了解」
通信を終え、ポケベルを取り出す。
ポケベル。それは1968年7月に日本で発売された数字だけでやり取りをする電子機器。小型でまだあまり知れ渡っていない。僕達スパイエージェントにとっては現代のエニグマだ。
とりあえず、国境に向かわなくてはならない。
だけど、既に跡を追われていたようだ。
背後からバイカーが拳銃を取り出し銃口を向ける。
「ミズガルズはしつこいね」
「ニヴルヘイムもな」
バイカーが引き金を引くと、橙色の炎がマズルから放たれ、弾丸を押し出す。弾丸は回転しながら高速で僕に接近した。拳銃を奪い頭に突きつける。
「KGBの男はどこ」
「…ぽ、ポケットの中に…写真が…」
ポケットを漁ると、ソ連将校の写真が出てきた。
「ふーん。お疲れ様」
首をへし折って暗殺する。銃声で警察が来るだろう。急いで逃げなくては。
バイクを盗み急いで国境に向かった。
夕暮れの中、綺麗なモンゴルの草原が綺麗に目に映る。アメリカとは違う、自然に溢れた世界だ。
日もすっかり沈み、宿が合体したバーにたどり着いた。今日はここで寝よう。あまりゆっくりしている時間はないが、ミズガルズから隠れるには致し方ない。
説明し忘れていた。ミズガルズとは、ニヴルヘイムの裏切り者で構成された組織。最近発足したばかりだが、既にニヴルヘイムの任務に支障が出ている。1968年の時点で、数人のエージェントがミズガルズに殺された。そのうちの1人にしようと、僕を追いかけてきているのだ。エリートエージェントの僕を殺せば、いい見せしめにもできるだろう。
「ホルホグとチャチャルガンジュースを頼みます。あと1泊させてください」
「あいよ。10番目の部屋を使いな」
ホルホグ。羊肉を野菜、調味料、香辛料を焼いた石と交互に缶に入れ、蒸し焼きにする肉料理だ。出てきた肉汁はスープとして飲む。モンゴルの伝統料理の1つだ。
チャチャルガンジュースは、モンゴルや中国で育ったチャチャルガンという果物を砂糖や蜂蜜を入れてジュースにしたもの。薬として古来から使われてきたチャチャルガンは、今でもモンゴルで健康食品として人気なのだ。
「はい。ホルホグとチャチャルガンジュース。これは部屋の鍵だ。明日の朝に返してくれ」
美味かった。やはり現地の味というのは最高だ。訓練で蛇やら蛙やら食わされたけど、こういった料理には敵わない。
バコンッと、扉を開けるとソ連兵が5人ほど現れた。店主は迷惑そうに見ている。ソ連兵達はAKMを背負っていた。
…あんまりここで体力使いたくないんだけどなぁ…。