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ずらり。
十三匹の猫が勢ぞろいしていた。大小さまざまな猫の毛皮は一様につやつや輝いて、壮観である。
アンリゼットが厨房に残り物を与えるよう指示し、また自分もよくよく気を付けてあれこれ食べさせたので、皆健康だ。
「ルーカス、ソフィア、オスカー、イザベル……」
と、彼女は順番に名前を呼んで、いくばくかのパンのかけらを食べさせる。猫たちはお行儀よく自分の順番を待っている。
「エミリオ、カトリーナ、レオン、ナターシャ、ベンジャミン……」
猫になる罰を宣告された犯罪者たち。見た目も中身もまるきり猫になってしまった者。習性は猫になっても理性は人間味を残したままの者。
「アメリア、セレスティーヌ、アレクサンダー。それからシーザー」
にゃあおん、とひときわ大きなシーザーがひときわ大きな返事をする。
アンリゼットは腕に抱えたソニアを全員に見えるように掲げた。
「それから、ソニア。みんな私の可愛い猫たちよ」
猫たちはニャアニャア鳴いて答えた。ソニアもまた、嬉しそうにニュウニュウ唱和に加わった。
誰もが人間だった頃のことなど忘れている。幸せな猫たち。
アンリゼットはソニアを床に下ろし、シルヴィンを振り返った。
「これが私の猫たちよ。それ以上でも以下でもありません。秘密は、ないわけじゃないけれど。あなたに言うことはできません」
魔法の力の詳細は、誰にも秘密だ。アンリゼットは片目をつぶった。シルヴィンはゆるく首を振った。
「ええ、ええ。俺には言ってくれないときた」
そう言われると、心のどこかがずきりと痛む。不思議なことだった。
アンリゼットはシルヴィンに隠しごとをしたくない自分に気づいた。どうしてこんな気持ちになるのかわからない――彼がいつでも誠実でいてくれたからだろうか? 同じものを返さないと悪いと思って?
「ま、いいですけどね。それで? 俺を連れてきた理由はなんです?」
場所は湖のほとり。ルベッタ伯爵家からちょうど死角になる、塀と庭園の木陰のあわさるところだった。
アンリゼットは衣擦れの音も滑らかに彼に向き直った。こほん、と咳払いをひとつ。灰色の目でまっすぐに彼を見上げる。褐色の肌の中で黒曜石のようにきらめく黒い目は、夜空に似ていた。
「私は私の猫を殺した犯人を捜そうと思うの。それを手伝ってほしい」
「いいですよ」
「猫なんかのためにと奇妙に思うでしょうけれど……え?」
「だから、いいですよって。困ったことに俺はあなたのお願いなら何でも聞いてしまうらしい。断れないんです。協力しますよ」
アンリゼットはぽかんと口を開けた。
キルケー伯爵家の面々が猫に示す異常な関心について、領民たちは時折噂したものだった。中には大真面目に、旦那様たちは猫の腹から生まれてきたんだと言う者までいた。
両親のいないアンリゼットが後見人の神官の元からルベッタ伯爵家に嫁ぐと決まったとき、真っ先に出した条件が猫を連れてくることだった。ユージミーは鼻で笑い、のちのちにはソニアにも嘲笑われた。執事のテラスさえ渋い顔をした。
ルベッタ伯爵家で落ち着いたら新しいのを飼えばいいのに、と。
アンリゼットが持ち続けた彼らへの愛情について、理解を示してくれた他人ははじめてだったかもしれない。
シルヴィンは生真面目な表情でアンリゼットを見つめている。内心、何か変なことを言っただろうかと気にしているのがわかる。
彼女は自分の顔が赤くなるのを感じた。
「け、健康に何の心配もない猫が急に死ぬはずないの。殺鼠剤を食べたなんて。この子たちが毒を嗅ぎ分けられないはずはない。だから、テラスの言うことは間違っていると思う」
目を逸らしながら早口に言う。猫たちはすでに三々五々好きなことをしている。
「屋敷内の人たちに順番に話を聞こうと思うんだけど、私は『奥様』でしょう? きっと話してくれないこともあると思うの。だからあなたに助けてほしい。私には話してくれないようなことを、私と話したがらない人から聞いてきて」
「俺ならできるって言いたいんですね?」
「そう。うまくやってくれるでしょう? だってあなた、私よりルベッタに来たのが遅いくせ私よりよくこの土地に馴染んでいるわ。それは天性の才能よ。人に好かれるのね」
シルヴィンは大げさに首を傾げ、やれやれと笑った。
「信頼していただけたことを光栄に思います。が、次は剣の腕について同じことを言ってほしいもんですね」
それで、そういうことになった。
アンリゼットは領地を見回りがてら、薬屋や聖堂を回った。いずれもちょっとした不調なら治してくれる薬草や煎じ薬、それから毒を扱っている。
薬屋の店主やそこに幻覚剤をおろしている呪い女などは、案外面白がって話を聞いてくれた。
「猫、ねえ! そんなもののためにここまでなさるなんて、奥方様も熱心だねえ」
「ははあ、猫が急に死んだ。腐ったものでも食べたんでは?」
「奥様ァ、そんなことよりいい染め液が手に入ったんで買っていかれませんか」
神官はいい顔をしなかった。
「このようなことは貴婦人のなさることとも思えません。滅相もない。だいいち奥様のお仕事は一刻も早く旦那様のお子をお産みになること……行方不明、ええまあそれはそうですが」
「隣の聖堂の奴は何と言っておりましたか。ほほう、あいつめ。俺より位が下のくせにでしゃばりおって」
などなど。
家に戻ったアンリゼットは疲れ切っていた。誰もが猫のことなどろくに見もしていなかった。
まあ、当たり前だ。平民には生活がある。アンリゼットに魔法と矜持があるのと同じに。
お茶を持ってきてくれたメアリーに、アンリゼットは聞いた。
「ねえ、最近変わったことはあって? 夜中に誰かが起き出しているとか」
「ううーん、どうでしょう。私は眠りが深いんです、奥様。いっぺん寝付いたら朝まで起きれないんですよ」
そんな日々を過ごして、半月が経った頃。
午後の執務室で家計の管理簿をめくっていると、キイと音を立てて扉が開いた。
「メアリー?」
顔を上げたアンリゼットは意外な人物を見た。薄くなった編み髪をボンネットで上手に隠した品の良い初老の女。侍女長のレティシアだった。倒れそうなほど青白い顔色をしている。
「まあ、レティシア。珍しいわね。どうしたの?――おかけなさい」
と椅子を指し示す。レティシアは無言で従った。
彼女は聞かれたことに答える以外口を開かない、忠実で有能な使用人だった。元はユージミーの母とともに他家からやってきた侍女で、ユージミーの乳母もつとめたという。骨格が綺麗で、皺にまみれてもその顔はまだ美しかった。
「猫のことをお調べと聞きました」
単刀直入に切り出され、アンリゼットはいささか面食らう。
「猫は、あなた様の魔法に関係があるのですね? ですからそれほど必死になっていらっしゃるんです」
「……どうやらそうみたいね」
自分の家系の魔法について探りを入れられれば身構えるのは、貴族身分の本能である。無意識に肩に力が入るのを、アンリゼットは感じる。
「ああ、奥様。――助けてください」
とレティシアは目を閉じて言った。両手がわななき、白髪の混じった栗色のひっつめ髪をぶるぶる振る。
「お助けください。ではないと私は……殺されてしまいます。あの猫のように!」