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 アンリゼットは肩をすくめたし、テラスもたじろいだ。


「な、何を根拠に――」


「ひとつ、【呪い】と言って土地や空間に魔法の影響力が残ることは、確かにあるよ。だがそうしたものは必ず人の噂になるし、こんな立派なお屋敷がそうなったら尾鰭がついた楽しい怪談話に仕立て上げる奴らが出てくるもんだ。だが俺は、あちこち旅したが、ルベッタ伯爵家の幽霊話なんてひとつも聞いたことがない」


 シルヴィンは一本立てた指に沿って、二本目の中指を立てる。アンリゼットはいつの間にか彼の腕に掴まって立っていた。驚くほど安定して、安心できる立ち位置だった。


「ふたつ、あんたは決してこの屋敷を離れなかった。他の使用人を異常なまでに厳格に行動させた。それは魔法の原則に当てはまるよな。ですよね、奥様?」


 アンリゼットはシルヴィンを見上げ、頷いた。テラスは頭痛をこらえるように足を踏ん張って立っている。老人に向き直り、声が震えないよう腹に力を込めて、彼女は告げる。


「魔法は――使用者が対象者の近くにいなければ発動できない。当たり前のことだわ。私の魔法も、ユージミーの【石の槍】だって、対象者が発動範囲にいなければ意味はないもの。あなたの魔法が精神操作系で、使用人たちを対象にしていたというのなら、あなたが日がな一日屋敷を監督する忠義者であった理由になります」


 でも、とアンリゼットは息継ぎをする。うまく息が吸えない感じがして、だがすぐそこにシルヴィンの体温を感じるから、大丈夫だと言い聞かせる。


「そうまでした理由はわかりません。いったい何故? 使用人たちが怯えて怯えて、会って間もない私に助けを求めるまで追い詰めたのは、何故なのテラス?」


 老人は歯噛みしたまま、答えない。

 シルヴィンは三本目の指を広げた。


「みっつめ、最後の理由。おそらくこれは目的でもある。あんたはその亡き奥様、ユージミーの母親の父親なんだね?」


 アンリゼットは息を呑んだ。ミルドレッドがピュウと口笛を吹き、ぱちぱち手を叩いた。


「驚いたもんだ。そこまで調べがついていたとはね」


「貴族の家ならよくあることだよ。旦那はよその家に愛人を囲ってそっちに入り浸り。寂しい妻はほとんど夫公認の浮気をする。もちろん褒められたことじゃないが、それが現実だ」


 アンリゼットは思わず部屋から逃げ出したい衝動にかられた。彼女は顔を赤らめ、身体が震え出さないよう懸命になる。そんな……あんまりにも直接的だ! もっと言いようがあったはずだ。確かに、確かに、貴族社会とはそんなところだけれど。


「……テラスさん。俺はときどき、国王陛下が気の毒になるんだ。王たる者ひとつの血筋の衰退も見せられないから、少しでも瑕疵のあった子供は認めることさえできない。なのに臣下たる貴族たちの家系図は表に出ないところで入り乱れ、絡み合って、もはや収拾がつかない。おおかた、あんたも貴族と貴族の間に生まれた婚外子なんだろう?」


 シルヴィンは痛まし気だった。自分とテラスを重ねているのかもしれなかった。


「使用人として取り立てられて、どこでどんなロマンスがあったのだかわからないが……ともかくあんたは、亡き自分の娘の思い描いた通りの生活をルベッタ伯爵家に再現したかったんだ。もう娘がいなくたって、どうなったって。彼女が取り仕切っていた頃のようにルベッタ伯爵家を運営すること。それがあんたの存在意義だったんだな」


 低い笑い声がした。それはすぐに疲れ切った連続した笑い声になり、壊れた人形のようにテラスは笑い続けた。


「当たりの部分もあるが、外れの部分もある」


 くっくっく、と老人は喉の奥でうつろに笑う。


「私の血統については正解ですよ。驚きました。まさか流れ者風情がそんなことを知っているとはね。ではお尋ねしますが、動機は? 奥様の猫の死体も私のせいにするつもりですか? レティシアの死は? 何もかも私のせいだとでも?」


 アンリゼットは突然、わかった。ああ、と彼女は目を見開く。キルケー家に仕えていた平民たちは、人を猫にする魔法のことを恐れつつも決して口に出さないまま生きていくことだろう……。


「許せなかったのね?」


 彼女はぽつんと、言葉を放るようにそう口に出した?

 ミルドレッドは立ち上がり、アンリゼットの背後に、彼女を支えるように立つ。かたわらにはシルヴィンがいる。三人の若者は、一人の老人の存在感に気圧されて群れたようにも見えた。


「奥様が忘れられていくのが許せなかった。ユージミー様が……できが悪かったのもどうだってよかったんだわ。ただただ、亡き奥様のために。全部そう。あなたの行動原理はすべて、あの人が生きていた頃のように領地を整えること、それだけにあったんだわ」


 だから、と続ける。呆然としながら。


「だから私に負けたユージミー様を許さなかったのね。奥様の平穏な眠りを乱す存在として断罪したのね」


 アンリゼットの肩から顔を出すようにして、ミルドレッドが後を引き継いだ。


「ご存じの通り、フェンリス侯爵家の魔法は過去の再生だ。お望み通り審問官を呼ぶというのなら、彼らの前でこの屋敷であったことを軒並み再生してもいいんだよ?」


「――そんなことが許されるわけがあるか!」


 テラスの叫びは、血を吐くようである。


「奥様の、奥様が、ユージミー様を産んであんなに弱ってもなお楽し気に整えていらしたこの土地が、屋敷が、決して冒瀆されていいわけがあるか! 何故わからない、何故、誰も何もわからない!?」


 老人はぐったりと膝を折り、床に伏しながらひたすら嘆いた。


「何故誰もわからない、負けることは悪だと、奥様の愛した景色を変えていくのは悪だと、弱音を吐くのは悪だと、何故理解することさえ放棄する!? 私には――私には、それがもう、何一つとしてわからない!」


 

 

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