眠い一人とその相棒
このお話はフィクションです。実在の地名やサービス、人物や団体などとは関係ありません。
「あーまあ、その、なんだ、これからに幸せがあることを祈るよ」
なるべく怖がらせないよう伝えてあげると、脂汗まみれの顔を上げて後ずさる。
「ひっ、ご、ごめ゛んなざい!もう゛、や゛、やめ゛、でくだっ」
距離を詰めて、ずぶりとナイフを首の横を走る頸動脈に突き立ててやる。
「うわ」
思ったよりも出血の勢いが強い。
あいつ、着替え持ってきてくれるかな。
血泡を噴きながら澄んだ瞳孔が、徐々に開いていく。
端正な顔が土気色にサアッと移り変わるのが新月の夜でも分かった。
「じゅ、ん゛ぐ、だず…げ…」
「お〜、その状態で喋るか。まあ知らんけど」
ナイフをそのまま横に引き倒し、完全に動かないのを確認して引き抜く。
仏さんが座ってないと引くのも楽だなぁと考えつつナイフの刃こぼれを確認し、脂を乱雑に拭ってシースに納めた。
相棒に電話をかけるともう着くと返答があったため、適当な場所にあった切り株に腰掛けて到着を待つ。
・・・・
エブリイ特有の騒々しいエンジン音で、徐々に意識を覚醒させられる。
「おう、お疲れさん」
上から降ってくる声で完全に目が覚める。
目をこすっていると、相棒の玄弥は横たわっている兎を一瞥して呆れていた。
「おいおい、ワイヤーと折り畳みシャベル渡してただろ?血抜きしといてくれよ。…この状況で寝てたのか?」
「おぉ、ちょっとウトウトしてたみたいだ」
時間にして15分ほどだろうか。
吸っていた煙草が知らぬ間に手から滑り落ちていた。
周囲の草葉が焦げている。
「ヤニ吸いながら落ちるなんざ、相当だな。でも気をつけてくれよ。血の匂いで熊でも来てたら洒落にならん」
愚痴りつつ煙草の先に火をつける玄弥。
「あぁ、ごめんごめん」
「まあいい、さっさと片付けようぜ。はぁ、誰かさんのせいでモツはもう血が回ってダメだろうからな」
「え、このモツ捌く気だったの。聞いてないよ?」
舌打ち一つ、玄弥は憎々しげに吐き捨てた。
「…個人的に楽しみたかったんだよ」
「ああ、なるほどね。そういや兎のモツが好物だったか」
ニマニマしながら煽ってやると更に舌打ちをもらった。
「うるせえ、さっさとやるぞ」
気恥ずかしそうに言って、玄弥はジャンバーを脱いで道具を揃え始める。
それに倣って俺も作業に加わった。
「そういや、俺の着替えある?」
「んなもん、ねえよ」
・・・
「それにしても、今回もまた綺麗だな。良い柄が取れそうだ」
玄弥の機嫌も直ったようだ。
「ああ、どっちかって言うと、追い込むまでの方が大変だったよ。それに電話掛けようとしててさ、阻止するのに指落としちゃった」
「…おい、それ大丈夫か?あー、指はなんか塗装してくっつけるか」
今気づいたようだ。
「まあ大丈夫でしょ、ここら辺圏外だったし。色々と手間をかけるねぇ」
「まあ、大丈夫か。兎は多少傷物でも高く売れるからな」
その後も暗いうちにモツを燃やしたりと作業を続けていると太陽が顔を出し始めたが、なんとか終えることが出来た。
後部座席に積んで一服していると玄弥が作業後そのままの手で珈琲を淹れてくれた。
一言礼を告げて、ヌルヌルのマグを傾けて一口含む。
うん、不味い。
一息つくとまた眠気が襲ってくる。
「あーマジで眠い。悪いけど今日の朝マックはパスだわ」
「珍しいな。俺は腹減ったから寄るぜ?」
「まずは着替えよう。んで流石に足は変えない?」
「面倒くせえな。Uberでいいか」
最初からそうしろとツッコむ気力もなかった。
・・・
ノロノロとエブリイを走らせていると必死な形相をした若い男が自転車を漕ぎながら叫んでいた。
「凛!どこだ!返事をしてくれ!!」
あちゃーと思いつつも声をかけない訳にはいかない。
すると男の子がこちらに気づいたようで、手を挙げつつ必死に寄ってくる。
窓を開けてやると、焦燥と汗にまみれた顔をぐいと近づけてくる。
「すみません!女の子を見かけませんでしたか⁉︎黒髪のロングで、キャンパーみたいな格好してたと思うんですけど!」
答えようとする玄弥を手で制して応える。
「あー、見てないね。今ここを通りかかったばかりだから。何かあったのかな?」
「すみません!ありがとうございました!」
質問に応えようともせず離れていく。
マズいと思い引き留める。
「ちょっと!何かあったのかい?」
声をかけると、もどかしそうにしつつも応えてくれた。
「その子がこの山に天体観測しに行くって言って、それで助けてって電話がきて、そ、それが途絶えたんです!気づいてすぐ警察には通報したんですけど、救助隊の到着が遅れるみたいで居ても立ってもいられず!見つけたら通報してください!」
テンパりつつも状況を説明してくれた男の子。
玄弥から冷たい殺気がこちらに向けられているのを感じながらも、にこやかに頷いてやる。
「そうか、それは大変だね。おじさん達もそれらしい子を見かけたら連絡するよ。」
「はい!よろしくお願いします!」
そう言って男の子は自転車をまた漕ぎ始めた。
「…おい、兎の指と携帯ってどこで落としたんだ?」
「さあ、この森のどっかじゃないかな…」
玄弥がハンドルに頭突きを叩き込む。
「このクソ野郎が。どうすんだよ」
「うーん、とりあえず牡鹿も追加だね」
顎を擦りながら冗談めかしてやると、玄弥が更に項垂れる。
「はぁ、てめえはいっつも肝心な所が抜けてやがるなぁ」
「そう言うなよ。玄弥も気づかなかったじゃないか。足も変えたいところだったし丁度いいじゃん。とりあえず、ジェフに連絡しよう」
今度は天を仰いでいた玄弥が、また大きなため息をついて跳ね起きる。
「よし、手早く行くぞ。牡鹿は絞めてふん縛っちまえ。1時間後にはヘリと遭難救助の自衛隊も動く。…その前にグローブボックス開けてくれ、1ライン引いていこう」
雑なアウトプットが終わるといつも通り景気付けだ。
「お、やったね。でも、また軟骨が溶けても知らないよ?せっかく整形したのに」
「うるせえ、誰のせいだと思ってやがる!これで貸し借りなしだからな!」
コンプレックスを刺激してやりつつ、
欠伸を噛み殺して目の前のグローブボックスを開けて物を取り出してやる。
「何時になったら寝れるかなあ…」
ラインを引きつつボヤく。
「さあな、立川の超高級無料ホテルは寝心地が良いらしいぜ」
「勘弁してよ…」