厄介ごと
「お前のことだから、何も起こらなくておかしいななどと考えているんだろう。大丈夫だ、ちゃんと問題は起きている。最初からな」
控えの間で待ち構えていたお兄さまは、ため息をつきながら僕を見るなり言い放った。
「お前は、哲学的ゾンビというものを知っているか?学府の賢者どもが魔導理論を突き詰めるために戯れに持ち出した思考実験なのだが」
首を横に振る僕を見て、お兄さまは魔導のイリアスと呼ばれるお前が知らぬこともあるのだなと呟いて説明を続ける。
曰く、見かけ上人間と全く同じ振る舞いをするホムンクルスの存在を仮定し、この存在に心が無いことを魔導は判別可能か?という問いらしい。
これが知的遊戯で済めば良かったものの、中々白熱した愉快な議論だったようて、その様子に興味をそそられた技巧神が余計な手出しをしてくれた。よりにもよって、お父さまとお義母さまに襲撃者への身代わり用にと嘯いて、お父さまとお義母さまの見た目をそっくり写しとった哲学的ホムンクルスを渡してしまったらしい。
何かと物騒な昨今の帝都で手札は多いに越したことはないと、己の手に余るものを受け取ってしまったのが運の尽き。
起動したそのホムンクルスには、なんとホムンクルスであるという自覚が無かったのである。
「お前が両陛下の入れ替わりを分からぬと言ったときは何を言い出すのかと思ったが、実際にはこのザマだ。私もアンドロマケもどちらがホムンクルスかの区別がつかぬ」
いや、僕が言っていたのは、こんなに極端な状況じゃないのだけれども。
どちらが本物でどちらがホムンクルスなのか区別がつかぬので、神事には籤で当たりを引いた方が出席していたらしい。そして表に出ない片割れは帝都にある禁域に身を隠しているとのこと。
「事が事だけに公にはできぬ。技巧神は学府の賢者どもに謎掛けをしているのであろうから、奴らは内密に王宮に呼び寄せ対応に当たらせているが、すぐさま解決するようなものでもあるまい。技巧神はどうせこうなることを見越して両陛下を標的にしたのだろう。答えを出さず放置するわけにはいかぬからな」
困ったことに加護まで写し取られ、お父さまとお義母さまに加護を与えている神の反応では区別がつかぬという。神は特定の人間を気に入り加護を与えるが、加護の対象となる人間が不自然に2人に増えたとして、愛でる対象が増えたと喜びこそすれ、不満を抱くものではないらしい。
神託を求めて思わぬ回答を受けたお兄さまは、こんな形で加護の不具合を知りたくは無かったと呻いたそうな。
神が人の理解が及ばぬ領域にいるのはいつものことなので、僕としては今更のように思うが、日付を聞いてみれば全てが始まった賢者たちの議論は、僕が帝都入りして日に行われていた。
むべなるかな。これぞイリアス。我が呪わしき運命。戦乱に繋がる類いの元凶はいつだって僕の加護だ。
戦神の加護が僕の周りの人間の気を逸らせ、血気盛んにし、戦乱に繋がるありとあらゆる躓きを起こさせ、物事が平和裏に済まないようにさせる。
僕がいると人は新しく戦争の道具を思いつき、新しい陣形を思いつき、新しい侵略先を見つけ出す。
隠されていた敵意は表に現れ、善意は裏に隠される。
「僕もすぐに解決策は思いつきませんし、加護の有無で区別がつかないというのなら、それこそ籤で選んだ片方を殺すしかないのでは?」
投げやりに言う僕に、お兄さまは額に皺を寄せる。
「お前なら即座に殺して解決しかねないと思ったから、神事の前には言えなかったのだ。あれは流血沙汰は法度だろう」
「じゃあ他にどうするつもりなんです」
僕が目を細めてお兄さまを見つめると、お兄さまはため息をつきながら目を閉じた。
「今しばらくは、賢者どもの見立てを待とう。私も己に加護を与えた神に逆らって死のうとは思えぬ。神からの問答に人が答えるという神話的題材を我が美の女神は歓迎しているのだ」
お互いに厄介な神に捕まったものだ。




