第1会 出会い
ある時、楽しい夢を見た。
その時、僕は気付いた。
夢の世界で生活すればいいんじゃないか。
それからネット世界を漁り、明晰夢という単語を知った。
明晰夢を続けると、自分の精神に弊害が出る可能性が高いらしかった。
だが、この世界に未練はない。
迷う事もなく明晰夢の訓練に励んだ。
夢を見るためには眠りを浅くさせなけなければならない。
方法は危険なので詳しくは書かないが、身体的にも精神的にも過度に疲れてはいけないのだ。
始めた頃は夢を見れない日もあった。
訓練を開始して1カ月程経つ頃には次第に夢を見る事にも慣れ、幾つか固定した夢を見るようになった。
3カ月経つ頃には気に入らない夢や展開をやり直すことが出来るまでにコントロールする程になっていた。
ある時に気付いた事があった。
少し暗い空間で、茶色いちょっと堅そうな大きめの椅子に座っている少女の夢を続けて見ていることに。
髪は桃色で僕と同じ11歳か、12歳くらいだろうか。
でも長さが椅子に座ってるにも関わらず地面に伸びている程に、長い。
今日は調子が良かった。
勇気を出してその少女に近づいてみることにした。
殆ど人と話さなくなっていた事もあり、何て声をかけていいか分からなかった。
足取りが徐々に重くなってゆく。
もう目の前、という所まで来たら少女の方からこちらを向いて、口を開いたのだ。
「私に、名前を寄こしなさい。」
「え?」
予想だにしていなかった発言に戸惑う自分。
「随分前から私の部屋に来ていたわね?」
「あ、うん。」
「見ていたわよ。」
「そうなんだ。」
同年代の女の子と話す何てどれくらい振りだろう。
まともに目すら合わせられない。
完全に目が泳いでいる。
「都合、名前が無いと困るの、だから名前を寄こしなさい。
貴方の趣味でいいわ。」
いきなり言われてもこっちも困る。
「次に来るまでに……、考えておきなさい。
今日のところは名無しでも構わないから。」
「はあ。」
状況が呑み込めずに生返事しかしていないと女の子はふくれっ面になる。
「あれ、何かおかしい事言った?」
「貴方、ここに来たくて今まで夢の訓練をしてたんじゃないの?」
「そうだけど。」
「それが叶ったのよ?
少しは喜んだらどう?
それとも私じゃ不満?」
「まさか。」
意思がはっきりしてきた。
そうだ。
僕はここに来るために、自分の居場所を作るために訓練していたんじゃないか。
家にも、学校にも居場所なんて無かったし、勉強しろと口酸っぱく言われて半ば強制的に与えられた通信教育の教材の正答用紙は自分の手に来ることは無く、自身が正答用紙にある回答を出すまで叩かれ、殴られるという勉強。
果たしてこれは勉強なのだろうか。
学校では虐めを受ける日々。
誰も助けてはくれない。
僕が一体何をしたというのだろうか?
耐えるだけ。
ただ、死んでないだけの日常。
眠る時だけが唯一、自分の時間だった。
明晰夢に危険性がある?
関係ない。
それが、例え全てを捨てる事になっても。
「次来るまでには名前、考えておくよ。
……変なのかもしれないけど、真面目には考えるから笑わないでね。」
「あら、笑うものですか。」
ふくれっ面になったかと思うと急に向日葵のように表情を明るくする少女。
あぁ、これが僕の求めていた《《日常》》か。
ふと目を落とすと少女の膝元に見覚えのある生き物が見える。
「……チンチラだ。」
「そうよ、猫じゃない方のね。」
こんなに大人しく丸まって人の膝に眠れるものなのか。
少女に撫でられるとチンチラは薄っすら目を開けて伸びをする。
「やっと私達、生まれられたわね。」
そう語るとチンチラは椅子を、器用に飛び移りながら少女の肩に乗る。
「ちょっと……、重いわよ。」
当のチンチラは嬉しそうな表情をして少女に頬ずりしている。
「全くもう……。」
「生まれられた、とは?」
「うん?
ああそうね。
貴方が夢を見る訓練をしなければ、私達は貴方の夢の世界で生誕することが出来なかった、そう言いたいのよ。」
「僕が、君を生み出した……?」
「そうね。」
そんな大仰な事をした感覚が無いだけに、ちょっと戸惑う。
「ひ、ひとつ聞いていいですか。」
「敬語、いらない。」
「ひとつ、聞いていい?」
「どうぞ。」
「ここって……、うーん……。」
「自分でもバカバカしい事を聞こうと思ってるって顔してるわね。」
「え。」
図星だった。
「いいわ、教えてあげる。
ここでは魔法も使えるし、空も飛べる。
貴方の望むことは何だって出来る。
たった3カ月だったかしら。
よくもまあ、ここまで来れたものだわ。
……苦労したわね。」
「……あれっ?」
不意にぽろっと涙が零れる。
「そっちからは眠らないとこちらへは干渉できないけど、こちらからはいつでもそちらの状況が分かるのよ。
逃げ場のない精神を夢に求めるなんて普通考えつかないと思うけど。」
「ははっ、確かに。」
「でも、その涙が何よりの証拠。
こんな言葉ひとつで心が揺らぐほど貴方の心は追い詰まってる。
……間違っても自死なんてしないでよね。
私達も死んじゃうんだから。」
「大丈夫、居場所は出来た。
僕の心はとっくの昔に壊れているよ。
それに、君に出会って気付いた事があるんだ。」
「なぁに?」
「自分を攻撃する者から逃げるために死を選ぶのは誤りではないかと思うんだ。
だって、僕は何もしてないんだから。」
「上出来。」
「でも精神を侵食するようなことをしてるんじゃ、あまり変わらないかな……。」
「そうでもないわ。」
少女が人差し指を立てる。
「いい?
生きている事と死んでいない事は確かに同一じゃない。
でも貴方は今、生きることを見つけた。
それが例えリスクを伴う事でも私は努力の結晶だと思うわ。
私達が消えることを抜きにしてもね。」
「ありがとう。」
「お紅茶、飲む?」
「いただきます。」
反対の席に座り、紅茶を注ぐ。
口にするとあまり慣れない味に顔をしかめる。
「あら、口に合わなかったかしら。」
「これ、何茶?」
「アッサムだけど……、まぁ特別な所から取り寄せたから変わった味はするかもね。」
「僕の知ってるアッサムじゃない……。」
「……ん、今日はここまでみたいね。」
「ここまで?」
「時間が来たのよ。」
「時間って……。」
突然、フラッシュするように周囲が明るくなる。
何事かと思うと……、ベッドの上で目が覚めていた。
それが彼女との初めての出会いだった。
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