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賑やかな住人達

 寝不足のままふらふらした足取りで廊下を歩いていると、知らない声が聞こえてきた。

「あなたが新入りのつむぎちゃんね」

「そうですが……」

「私はさやかよ。ここに住んでるの」

「初めまして。つむぎです」

 長身の着物姿の女の人はにこやかに挨拶をしてくれた。後ろに隠れていた男の子は、彼女に促されひょこっと顔を出した。目を怪我しているようで片目には眼帯をつけていた。大きな目で見つめられるとなんだか逸らせない。

「つむぎです。よろしくね」

 視線を合わせるようにしゃがむと、顔を隠してしまった。馴れ馴れしかっただろうか。


 子供の扱いはよく分からない。フレンドリーに行こうと思ったが、やはり最初は敬語が良かったと後悔した。

「この子、恥ずかしがり屋なの。熊吉、挨拶の練習したでしょ」

「熊吉です……。つむぎちゃんと仲良くなりたいです」

 さやかの後ろから顔を出したのは熊吉ではなく熊の人形だった。片手を振るような仕草をするのがあまりにも可愛らしくて、つい手を振り返してしまった。

 彼女たちはこの屋敷の住人だそう。ならば、他にも住んでいる人はいるのだろうか。口を開きかけたが、言葉に出来ない。こんなことを聞いてもいいのだろうか。自分で調べればどうにかなるだろう。そう思うと声に出来なかった。


 ちらりとさやかを見ると、柔らかく微笑んだ。その様子に諦めようと閉じた口を開く。

「あの、さやかさん」

「なぁに?」

「ここにはまだ、何人かいるんですか?」

「ええ、あと三人いるわ」

 ここ数日は伯爵と二人静かな時間を過ごしていた。時折騒がしい烏がやってくるのだが。てっきり他には誰もいないものだと思っていたが、ここへ来たには私だけではないようだ。安心したけれど、少しだけ残念な気がした。別に嫌な感じだったわけではない。問題は私にあるのだ。


 人が居れば必然的に気を使ってしまう。家族でもそうだった。だから実家から通える職場でも一人暮らしを選んだし、結婚なんてのも考えたことない。

 誰かと同じ空間で生活していると嫌でも気になる。一人になりたいときがあってもそうはいかない。同じ家に居れば顔を合わせることになるのだから。

 そう思っていたはずなのに、なんだかわくわくしていることに驚く。嫌なはずなのに楽しそうだなんて、私はいったいどうしたのだろう。自分自身の変化に戸惑いを感じながらも、彼らと過ごすことになる日々を想像する。


他にどんな人たちと出会うのか分からないけれど、思い浮かべたのは、雲が穏やかに流れるような場所だった。

「そうだ。もしかして、動物もいたりします?」

「ああ、多分それは獅子舞ね」

 昨日であった影は動物ではなく獅子舞だったようで、安心した。あの獅子舞の人もここの住人だったようだ。そうなら挨拶をしておけばよかった。何とも失礼なことをしてしまった。

 菓子折りでも持って挨拶に行かなければ。ここでの生活を円滑にするためには住人との付き合い方にも気をつけなければならない。追い出されてしまっては行くところが無いのだから。

 それ以前に仲良くなりたいと思った。さやかも熊吉もいい人だ。きっと他の住人達もそうだろう。


 そうは思うが不安は拭えない。この屋敷での生活はうまくやっていけるだろうか。人付き合いは出来る限り避けてきた。だだっ広い屋敷の中では会う機会はそうないかもしれないが、やはり礼儀を欠いた真似はしたくない。そうは思っていたが、私が心配するまでも無かった。

 二人は私を見かけると毎度声を掛けてくれる。熊吉なんかは廊下の端と端にいても、走ってこちらに来てくれる。

「つむぎちゃん、おはよう」

 挨拶を済ませると、彼は手を振り来た道を戻っていく。ただ「おはよう」と言うためだけにここへ来てくれたことが嬉しくて、どこから暖かいものが溢れてきそうだ。しかし走ってこなくてもいいのに。

 この前なんかは盛大に転んでむき出しの膝を擦りむいていた。目に涙をためながら立ち上がる姿に、手を伸ばさずにはいられなかった。


 転がった人形を拾い上げ、熊吉に渡すとぎゅっと握りしめた。

「僕は平気だよ」

 無理をして笑う熊吉を見ていられず、思わず抱きしめた。泣くことを許してもらえなかったのだろうか。私は責めたりしないのに必死で痛みに堪えているような表情。

「私は怒ったりしないよ」

「どうしたの?」

「痛い時は痛いって泣いていいんだよ」

 泣けないのは辛い。痛みをこらえるのは苦しい。よく知っている。だからこそ、その姿を目の前にするといてもたってもいられなくなってしまった。

「つむぎちゃん。ありがとう」

 にこりと笑う目からは涙が消えていた。よれた蝶ネクタイを直すと、傷の痛みも忘れたように駆けて行った。

 

 姿が見えなくなる時、振り返り手を振ってくれた熊吉と熊吉ミニ。二人に手を振り返すと、なんだか少しだけ胸がちくりと疼いた。この痛みの原因は何か考える前に、お呼びがかかった。

 とんとんと窓を叩く音。烏は窓枠に座り手招きする。空の散歩から帰ってきたのだろう。窓を開けると真っ黒な目が見つめてくる。

「どうしたの?」

「あんたはどうしてそんなに……」

 途中まで言って口をつぐむ。何か言いたげな様子だが、ふいっと目を逸らして空を見上げた。

「雲はな、思っている以上に早くは進まないんだ」

 よく分からない言葉と共に、烏は空へと羽ばたいていった。窓枠には置き土産の梨が残されていた。


 最近毎日のように誰かと顔を突き合わせている。伯爵はもちろんのこと、烏もよく会う。というより私をわざわざ探しているようにも思える。見つけては何かと食べ物をくれるのだ。

 この前は胡桃をくれた。違う日には葡萄や柿、トマトなんかもくれた。ここには季節と言うものが無いのだろうかと思うが、そんなことどうでもよくなるほどに驚きの日々だった。


 獅子舞のほかに駒助という人もいるようで、面会の場を設けてくれた。着物を着こなす姿は、立っているだけで様になる。きっちりと着ているわけではないのにだらけた印象がない。

 下駄をはいているのもあって少しだけ大きく見える姿は威圧感があるものの、終始熊吉に手を握られている様子でかき消された。

「つむぎです。よろしくお願いします」

 頭を下げるが返事が無い。熊吉いわく話すのが好きではないようで、黙ったままだった。


 どこかへ行こうとしないあたり嫌われてはいないように思える。「挨拶も出来ないの?」とさやかに言われ、不機嫌そうな声を出す。

「駒助」

「え?」

「駒助だ」

 こんなぶっきらぼうな自己紹介は初めてだ。冷ややかに聞こえた声は、交わった視線に色づけられた。

「駒助」

 彼の名を呟くと、ふいっと視線を逸らされた。居心地が悪そうに髪を触り、襟を直す。落ち着かない様子に私もなんだかそわそわする。何か話題を見つけようと考えるが、彼を笑わせるような話は見つからない。助け舟を求めてさやかに目で合図を送るが、笑っているだけだった。


 何とも言えない時間を過ごしたが、その日以来廊下で会うことが多くなった。見かければ「おう」と言い去って行く。何か話をするわけではないのだが、短い声にどことなく優しさが含まれているように思うのは気のせいではない。駒助とすれ違う時、涼し気な音が小さくなるまで聞いていた。


 ここはずいぶんと居心地がいい。薄暗い空に少し湿った土の匂い。風が木々を揺らす音。こんなにも何も考えないで済む時間は久しぶりだ。ふいに風が戸を叩き、その音にびくりとなるが不快ではなかった。

 見知らぬ人が鳴らすインターフォンの音はいつまでも耳に残り、心の中がかき乱される心配はしなくていい。遠くから聞こえる話し声に責められるような気になることも無い。ここでは私を困惑に陥れるものはまだ見つからなかった。


 ベッドに倒れ、目を閉じ息をつく。十分に眠ったはずなのにもう一度眠れそうだ。明日を考える必要が無いことが、こんなにも楽だなんて知らなかった。ただ今日を生きることが、こんなにも簡単だと思わなかった。


 屋根を打ち付ける雨の音はいつまでも聞いていたくなる。雨の日は昔から好きだった。不快な音をかき消してくれる。そして、私自身の音も消してくれるようで聞き入っていた。

 灰色の空は世界を優しく包み込んでくれる。ずっとその中にいられたらと思うが、そう上手くはいかないもの。気付けばまた眩い太陽に焦がされるような場所に逆戻り。


 上を向けないほどに輝く太陽。遠くから聞こえる冷たい言葉。誰かも知らない人の足音。乾いた風。澱んだ空気の匂い。そのどれもが私を疲弊させていた。けれど、避けることは出来ない。日常生活を送ろうとすれば必ずついて回るのだ。

 見たくないもの、聞きたくないもの、感じたくないもの。その全てが私の中に吸い込まれては溜まる一方。不要な情報で溢れた頭は常に稼働しっぱなしで休む暇などありはしない。眠っている時でさえ休めない。休むとは一体どうするんだったっけ。


 そんな時間を長く過ごしてきたせいか、こんなにも澄んだ世界にいるというのに心はいまだ澱んでいる。心を曇らせるものは突然に襲い掛かてくる。まるで私が油断している隙を狙っているかのように牙を立てた。

 途端に息が苦しくなり、床に崩れ落ちた。伯爵が心配するように駆けつけてくれたが、何の心配もない。時間が経てば収まる。ただの記憶に苦しめられるのはもう慣れている。

「大丈夫です」

 私の顔は歪んでいたに違いない。どんなに笑っても伯爵の顔はいっこうに晴れないままだった。


 人は忘れる生き物だけれど、忘れたいことほど忘れられないもので。忘れようとすればするほど色濃く残ってしまう。小さな瓶に落とされた黒い記憶。最初はどうってことは無い。綺麗な水に吸い込まれ、すぐに薄くなりそれは消える。けれど、次第に染まっていく。

 そしてそれは、気付かぬうちに戻れないほどに黒く染まっているのだ。ここまで来てしまえば戻る術は無い。新しい水には変えられない。だったらこの心ごと捨ててしまえばいい。たいしたものではないのだから。


 誰の迷惑にならないようにと、そっと一人になっても伯爵にだけは見つかってしまう。どこへ隠れても駆けつけてくれる。まるで小さなころに見たヒーローのようだ。まあ彼は元気いっぱいに人を助けるような柄ではないのだが。

 彼の優しさは嬉しくも苦しくもあった。見えぬように、気付かれぬようにと潜めた気持ちが引きずり出されそうになる。だから、本当に弱った時には誰とも会いたくない。 

 どうしようもない姿を晒してしまいそうで怖くなる。彼らにとって有益な存在でいなければと強く思うのだ。そうしなければ私のほんの些細な価値が消えてしまいそうでたまらない。


 泣いてる姿なんてもってのほか。いつでも優しくて真面目ないい人で在らねば。繕ったところで彼らにはばれているような気がする。不自然に笑った日にはみんなからお菓子のおすそ分けがあった。

 無意味に声を明るくした日には、温かい飲み物が数時間おきに渡された。ココアとスープ。コーヒー牛乳、緑茶に紅茶。烏だけは冷たい水を持ってきてくれた。暖かさに火照った心を覚ますにはちょうど良かった。

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