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囚われた屋敷

 今日は珍しく雨が降っていない。けれど、太陽も隠れている。これは絶好の探検日和だ。雨の日も好きではあるが、探検するには少し不都合だ。ぬかるんだ地面では知らぬ場所を歩くのは心細い。

 それに、以前雨の日に足を滑らせ全身泥まみれになった。怒られはしなかったものの、伯爵から注意するようにと言われていたのだ。それから曇りの日を待っていたがここのところ雨ばかり。ようやくこの日がやってきたのだ。


 ここは大きな秘密基地みたいだ。ここに居る間、あの屋敷には訪問者は誰一人いなかった。あまりにも人と会わないものだから、本当に人がいないように感じる。

 伯爵が気を使って人と合わせないようにしてくれているのだろう。呼び鈴がなることは無く、妙な緊張感に怯えずにすんでいた。

 誰にも知られていない、私達だけの居場所。そんな場所があればどんなにいいだろうと思っていた。けれど、この世のどこにもそれは無い。

 人が行きかい、情報が溢れる世界では心も体も休まることは無いと思っていた。けれど、今はこの場所は私を世界から隠してくれているように思えた。


 近くから水の音が聞こえてくる。わくわくしながらその音がする方へ足を向ける。なんとなく水辺は好きだった。流れる川の音を聞いたり、煌めく湖の水面を眺めている時は確かに時間の流れを感じる。

 海は嫌いではないが、夏の間だけは苦手だった。強い日差しに照らされ輝く海は確かに綺麗だ。だが、そこにいる誰もそれを見ていない。何をして楽しむのかはそれぞれぞれの自由なのだが、私には分からなかった。

 けれど、彼らが何を思っているのか知りたくてバーベキュー大会とやらに参加してみたがそれきりになった。私は家の玄関先で自由気ままに食べる焼肉の方が好きだと思ったから。気を利かせることも遠慮することも無いその時間には勝ることは無い。


 懐かしい記憶だ。子供の頃、祖父母の家に行くとよくそうやってくれた。季節関係なく皆が集まると宴会のようになる。自分の好きなものだけ焼いて、お腹が膨れれば居間に帰る。

 好きじゃない野菜を勝手に皿にいれられたり、狙っていたお肉を取られたり。思い起こすと、そこには楽しそうに笑う私がいた。案外いい思い出もあった。だけど、それは暗い記憶に飲まれてどこかに隠れていた。

 少し前なら、こんなこと思い出せなかった。ここに居るうちに少しは前向きになれたということだろうか。ここでの生活は快適だった。いや、そんな言葉では足りないほどだ。


 それでも時々不安になることがある。ここは何もかもが私に合わせているような気がする。心地よい雨が降り、夜は長く日は陰る。嫌な人は一人もいない。それどころか人が見当たらない。

 ここは私の思い描いていた理想の場所と言っていい。だからこそ不安になるのだ。本当に黄泉の国だったりするのではないかと。

 今まで良い行いをした覚えはないが、目立つような悪い行いもしていない。時々ここはどこなのかと質問するが、「君の居場所だよ」と、以前と同じ答えが返ってきた。やはり答えてはくれないようだ。それでも知りたい。もし、ここが生者の国ではないのなら答えは一つしかない。決定的なものは無いけれど、人がいないことが物語っている。


 そうこうしていると、目的地にたどり着いた。しかし、そこには先客がいた。あれは烏だろうか。そんなに大きくない池で羽を広げて水浴びをしている。透き通るような水とは反対に染まりようもないほどに黒い羽は、水滴できらきらしている。

 見照れてしまいそうなほどに、美しいがなにか変だ。遠くからでは分かりにくいが、翼が一つ欠けている。以前見せてもらった時は両方ともあったはず。ならば、あれは烏の分身か。いや、それでも羽の無い分身も見たことが無い。

 まだ、知らない誰かがいたのだろうか。挨拶をしようにもタイミングが悪そうなので、後で聞くことにしよう。その背中が振り返るまえに、その場を後にした。


 あれから黒い翼の後ろ姿が気になって仕方がない。烏と似ている。けれどどこか違う。空を舞っていた烏はひらりと目の前に着地した。

「つむぎー。ちょっと散歩しない?」

 烏からの誘いは珍しい。彼はいつの間にか一緒に居ることが多い。許可を取るなんてことはしない。いつも通りではないことに気付いていながらも、「いいよ」なんて軽い返事をしたことに後悔している最中だ。


 私は今、地面からはるか遠くのところで宙ぶらりん状態。烏に体を抱えられているとはいえ、ここから落ちれらひとたまりもない。「初めての空はどう?」と聞かれるが、景色を見る余裕なんて無い私に空中散歩を楽しむなんてハードルが高すぎる。

「ほら、屋敷があんなに小さいよ」

 反射的に見てしまいそうになるが、ぎゅっと目を瞑った。下なんて見てしまえば、ぎりぎり保っている冷静をかなぐり捨ててしまいそう。かといって近づいた空を見ることも出来ない。

 空を飛べたら何て考えていたが、思っていた以上に恐ろしい。彼の悪戯も相まって、いまだ慣れることは無い。時折急降下をしだす烏はまるで子供のよう。にやりと笑う顔は駒助を思い出す。彼もよくこんな顔をして笑っていたっけ。


 考え事が出来るくらいには余裕が持てたかもしれない。思い切って下を覗いてみようと試みるが、足元から寒気が襲い空を仰いだ。思っていた以上に空は遠いらしい。

 地上で見る時とあまり変わらない。それでも、見渡す限り視界を覆うものが無いのはいいものだ。雲の上にも行ってみたいなんて言いそうになったが、烏に頼めば本当にやってくれそうなので口を閉じた。

 空に近づくことは出来なかったが、走るよりももっと早いスピードで雲を追い抜いていくのはいいものだ。伯爵は空は必要ないといったけれど、気持ちのいいものだと教えてあげよう。きっと彼も好きになるはずだ。

「今度、伯爵も空に連れて行きたいね」

 私の言葉に烏は顔を曇らせた。



 烏との空中散歩の後、私は決心した。

「伯爵、ちょっといいですか?」

「どうしたんだい?」

「私、元の世界に戻ろうと思っています」

 伯爵は手元の本をめくるも、その目は動いていない。私の声は聞こえていたはずなのに、返事をしてくれないのは反対だということだろう。

「この場所に不満でもあるのかい?」

「いえ、そういうわけではないのですが……」

 煮え切らない言葉にため息が聞こえた。本を閉じ、重なった視線は暗い影が見えた。心なしかその姿にも影を落としているよう。

「あの、伯爵」

「すまないが、一人にしてもらえないかな」

 その言葉を言うなり、再び本を開き指をたどらせる。言葉に棘は無いはずのになぜか心に突き刺さるような空気。その姿にもう何も言うことが出来なくなり、部屋をあとにした。


 きっと怒っているのだろう。突然来た人間をもてなし、居場所をくれた。それなのに私は、理由もなしに帰りたいなどと言ったのだから。

 ここに居たくないと言っているようなものだ。伯爵が気を悪くするのは当然のこと。それでも、心のどこかでは笑って見送ってくれると思っていた。

 伯爵の賛成は得られなかったが説得は出来そうにない。勝手に出てきたことを怒っているだろう。それでも私はもう、あの場所にはいられない。

 嫌われてもいい。私を忘れてしまっても構わない。そう覚悟し、屋敷を出てきた。暗い森は前が見えにくいが、道は一つしかない。歩いていれば元の世界に繋がっているだろう。

 いつしか記憶から消えてしまっても心からは消えませんようにと願いながら、屋敷を後にした。


 深い霧の中、何時間歩いただろうか。どれだけ歩いても、屋敷の前に戻ってきてしまう。それにしてもおかしい。来た時は道は一つしかなかったはずだ。それなのに現れる道は時々左右に分かれる。

 分かれ道を右に行き、左に行き時には道なき道を進んできた。けれど、たどり着く場所は決まっている。それはこの森に仕業かそれとも伯爵の意地悪か。もう一度進もうとした時、背後で枯れ木を踏む音がした。静寂に足音が響くも、私は振り返らなかった。

「外は冷える。中に入りなさい」

 その声はいつもの伯爵だった。怒らせてしまったと思っていたが、大丈夫だったようだ。安心して振り返ったが、自分の行動に後悔した。振り返る姿はいつもと違っていた。

「早くこちらにおいで」

 いつものなら差し出された手にためらいながらも、この手を重ねられた。けれど、今はそれが出来なかった。

「あの時の言葉は本気なのか」

「はい」

 嘘をついても仕方がない。もとより言い訳する余地すらないのだ。きっと伯爵は私が森を彷徨っていたことも、部屋を片付けてきたことも知っているだろう。

「人間が助けもなしに、この悪夢から抜け出せるとでも。だとしたら、君はお馬鹿さんだ」

「なんだか今日の伯爵は変です」

 その表情は暗く声は暗く響く。どうも私が知っている彼と重ならない。

「いつもと変わらぬ魔物だよ」

 その魔物は深い影を纏い、私を捕らえようとしている。心なしか空気が冷たい。魔物とは一体何だっただろう。思い出す限りでは、それは心優しい生き物だった。

 やはり人間ではなかったようだ。なんとなくそう思ってはいたから、驚きはしない。それに彼がどれほど優しい心を持っているか知っている。その正体が魔物だと言われても、私の中にある伯爵は何一つ変わらない。

「僕の許可なしに、ここを出ることは出来ないよ」

 その言葉と共に、森への道は木々たちによって閉ざされてゆく。雲が月を覆い隠しその魔物の姿さえも隠してしまいそうだ。私はその場から動けなかった。その姿に恐怖を感じたからではない。

「その翼、私のせいなんですよね」

 眉がぴくりと動いたが、その表情は崩さない。何も話す気は無いようだが、私は知ってしまったのだ。伯爵が帰ってこなかった夜、何があったのかを。なぜ、烏があんなにも心配していたのか。

 あの日、伯爵はこの世界を統べる者たちに呼ばれていたそうだ。詳しいことは教えてくれなかったが、彼は過去に罪を犯したそう。その代償として飛ぶことを禁じる呪いを受けた。それでも彼は罪を償うどころか、繰り返していたという。

 そして、今回片方の翼を失った。あの日見みた不気味な影は、伯爵の本当の姿だったのだろう。絨毯に沁み込んだ錆びた匂いは彼の体から溢れ出した血だったのだ。あれは夢ではなかったのだ。

「烏から聞いたのか」

「ええっと……」

 そうだと答えれば、彼が怒られるだろう。けれど、このことを知っているのは烏だけ。もう、烏だと言っているようなものだ。

「なんにせよここからは出られない。君には術がかかっているからね」

 一方的な物言いに違和感を覚える。まるで伯爵のものではないようなそんな感じ。術とは一体何だろう。そもそも私はいつからそんなものをかけられたのか。不思議なほどにここから出る道は見つからなかったのはそのせいなのだろう。

「君のために言っているんだよ。分かってくれるね」

 この外に出したくない理由があるのだろう。彼は私に何を隠しているのだろうか。

「さあ、おいで。君ために苺のタルトを作ったんだ。一緒に食べよう」

 いつもの伯爵だ。一瞬だけ別人に見えたのは気のせいだったのか。魔物だという面影は残っていない。差し伸べられる手は変わらず待っている。そんなふうにされれば、拒めないことを知っているのだろう。伯爵に手を重ねると、握る手がいつもよりきつく感じた。


 屋敷に着いてからもその手は離されることは無かった。しばらく繋いだままの手のひらは暖まるどころか冷えていた。

 居間に着き、お茶を淹れるといって部屋を出る彼の背中を追った。

「伯爵」

 私は彼になんと言いたくて呼び止めたのだろう。口を開くが言葉が見つからず、閉じる。言いたいことはあるけれど、うまくまとまらない。

「ゆっくりしていなさい。僕が用意するから」

「すみません」

「どうして、君のような人が傷かなければならないのだろうね」

 ぼっそと呟かれた言葉は、烏の陽気な声にかき消された。

「俺も食べていい?」

「ああ」

 伯爵から差し出されたタルトを、瞬く間に口に運ぶ。私が一口食べる間に一切れ平らげる。いつもと同じように見える烏も思う所はあるのだろう。元気に振る舞っているようだが、一瞬だけその横顔が陰った気がした。

「君にあの世界はどう映っている?」

 そう問われても答えようがない。見たままの姿が映っているだけだ。澱み渦巻く世の中。彼はそんな世界に帰りたいのかと聞きたいのだろうか。

 もし、その質問をされても答えられない。だって、私は帰りたくなんかないのだから。けれど、そう言うことも出来ない。だから、黙って苺を食べていた。


 帰りたくないと答えたら、伯爵はどう思うだろう。帰りたいといった私を引き止めたのだ、賛成してくれるに違いない。けれど、それではいけない。私がここにいる限り、伯爵は自由にはなれない。

 それでも、彼は私がここにいることを望む。どちらの選択をするのが正しいのだろう。帰ること、帰らないこと。そのほかに選択肢があればいいのに。

 私は伯爵に喜んでほしいだけなのに、それだけのことがこんなにも難しい。不安げに見つめる彼を出来るだけ安心させようと、精いっぱいの笑顔で「ごちそうさま」と言って居間を出た。


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