書き手なのに字が読めない人が多い件~読者の立場で書くと特大ブーメランで大ダメージだけど書きたかったので書きました~
私は所謂「底辺アマチュア作家」なので人のことなどとやかく言える立場にはありません。何とかして読んで欲しい!と思う気持ちも大変よく分かります。痛いくらい分かります。
こんな私でも、最近よく「作者なのに読めない人が居る」と感じることがあり……つらつらと書いていこうと思います。お付き合いいただけますと幸いです。
ことの発端は読む企画でした。
昨年一年は仕事に振り回されて、ほぼ何もできなかった一年でした。
脳みそも身体も疲れてヘロヘロでほぼ回らず、自作の続きを書くことと他の作品も読まなきゃという焦りで、書くと上手く表現できない・読んでも何も内容が入ってこない、といった日々でした。
今年に入ってから、もう体調がどうにもならず仕事をストップさせたことも幸いし少しずつ体調も戻ってきていますが、身体が働くことを拒否しているのでやる気が起きない状況です。昨年一年、ほぼ寝られなかったこともあり、精神的ダメージが大きすぎたんですね。(今年の正月は仕事で丸二日徹夜みたいな感じでした)
そんな私は、頭を使う事がしんどくなると某SNSに逃げ込むことが増えました。某SNSでは「読みます」企画を目にする機会も多く、そういった企画を見つけたら拡散を良くしていました。自分以外の誰かに届き、素敵なご縁が出来ると良いなと思って意図的に拡散していたのですが、念のため応募が終わっているかどうか確認するためツリーを覗き、気になることがありました。
「条件や希望をよく読まずに応募している人が多い」と。ダメージ大な精神状態でも思うわけです。
なぜ、読まないのか。
読むという行為は何も「文字を読む」ことだけを指しません。
勿論、文字を正しく読めるのは当たり前です。文字制限があり全てを書ききれない行間や見たときの相手の気持ちを読むことです。
先着5名様、と書かれていたら先着5名なんです。
リプを覗いてみて5名応募されていたらそれまでなのに、ワンチャン目指して参加している人が居ます。勿論、同時だったりするかもしれないので多少のオーバーは分かりますが、二桁を越えればそんな偶然起きませんよね。
短編でお願いします!と書かれていたら短編なんです。
少なくとも四万字以内(原稿用紙百枚程度)の作品ですよね。なのに五万字を超える作品で参加するのは、読んでいない以外の何なのでしょうか。
例題はイメージです。挙げたのは例なので実際に目にしたのものとは若干違います。
ですが、本当にこういった行為を目にすることが多数あります。
実際に、書いてある条件をクリアしないと読みません!と書かれているのに、条件を読まずに参加して注意を受けている場面を何度か目にしました。
注意をしてくれるのは善意です。注意されても「条件は何処に書かれているのですか?」などと企画主に聞いている姿も目撃したことがあります。他の人は出来ているのだから、探しましょう?
作者側は読者の企画に参加させていただいている身です。コンテストの募集要項を何も読まずに参加しますか? どこにあるの?と聞く前に、そんなに多くない文字数ですから、まずは隅々まで確認してどうしても分からない場合だけ確認すればいいのです。
仲のいい人ならコミュニケーションの範囲内ですが、知らない相手であれば最低限読むことが礼儀だと思います。
作者であるなら、読者を楽しませるという努力が必要ではないでしょうか。それは小さくても大きくても必ず必要であると思うスキルです。読まれたいと思うなら尚更です。自分で好きに書きなぐって、誰にも読まれなくていいやの作品なら最初からこういった条件のある企画に参加しない方が良いように思います。
勿論、明確な要望が無ければ参加しても良いと思います。自分の書きたいことを書いて、それが素晴らしい!と認められたら最高に気持ちいいし、天にのぼるような気持ちになることは十分に理解できます。私だってそうだったら最高に嬉しいです。
しかし、お客様はメインディッシュはステーキでデザートはバニラアイスクリームを要望されているのです。それなのに、
「俺の料理は最高だから、肉じゃなくてキノコのオイルパスタだ! バニラアイス? 合わねーよ、この料理にはガトーショコラなんだ!」
という料理店があるでしょうか? あったとして入りたいですか? また来ようと思いますか?
お客様はガトーショコラが食べられないかもしれませんよね? だから最初に要望を出しているわけです。これが食べたい、と。
パスタ料理が食べたい客は、沢山あるメニューの中からパスタを選びます。また、何でもいいからシェフのおススメ頂戴!と最初に言うでしょう。
【リクエストから外れても、唸らせるだけの腕があれば次もある! だが、出された内容が平凡であればもう訪れない!】
というのが大半の意見でしょうし、私もそう思います。違う料理が出てきても、想像以上に美味しければ次も来ようと思いますが、普通以下なら二度と来ないでしょう。逆にハードルが高くなるだけです。
小説も同じです。自分の好みから外れていても面白ければ評価もするしフォローもします。しかし大半が「私の欲しいものでは無いものを読まされたという落胆」を超えられる作品ではない場合が多いです。客のオーダーを無視した結果、得られるものは不信だけ。
何となく空見とニュアンスだけで「こういうことでしょ」で理解したつもりになり、自己満足の拡大解釈で本当に良いのでしょうか。
こういう人の「読んだ」は「見てる」だけだと思います。
それよりも書いている人の中でこれが起きているのが信じられません。自分の作品は人に読み込んで欲しいのに、募集要項は読まないで「すげえだろ、ドヤ!」と送り付けて良いでしょうか。
本当に読まれたいなら、要望がある相手の好みを汲み取って提供することが大事ですよね。
別に読まれたいと思っていないなら好きに書いたら良いです。ですが、読者の希望を無視して良い理由にはならないですよね。
少し話は逸れますが、書籍化されている作家さん(以下プロ作家)が「研究して好みを分析し文章に反映することが大切」という発言をされると、それに噛みつく人を毎回目撃します。この発言については「読者に向いているか」で受け取り方が変わるものだと思います。読者に重きを置いているからこそ、プロ作家の発言はもっともで納得のいくものです。
プロは売らなければいけない。書くことが職業ですから、読者の求める物を追う必要があります。だから、テンプレだろうが何だろうがしっかり研究をして自分に落とし込み、ただのテンプレでない作品を生み出し、実際に読者に読まれているからオファーが来るんです。
繰り返しますが、ただ自分の好きを追い求めて自分の性癖をゴリゴリに詰め込んで書くだけなら、好きに書いて良いと思います。ただ、それで読まれなくても仕方ないです。(ごく一部の天才の話は別として)趣味で書いている人は好きに書けばいいし、エタろうが五十万字を越える超大作を何年もかけて書こうが良いと思いますが、そう言う人はプロ作家に噛みついちゃいけないと思います。
意見をするなということではなく、不快なワードをわざわざ利用して煽るのは違いますよね、ということです。議論を戦わせることは生産性がありますが、向いている方向が違うのに同じ場所からの議論には元からなり得ないものだと思いませんか? 多くの噛みつく人は、内容だけでなく背景や立場まで読んでいないから理解できないのだと思います。
自作品に対して「読まれたい」「大なり小なりプロを目指したい」と言う要素が絡んでくるなら、プロ作家の言われる通りに読者を向き研究していく必要があると思います。
勿論、内容はテンプレである必要はないです。多くの読者が求める物を追う気概があるかどうかの話です。
プロは勝負している場所が違います。売る側の立場で作品を生み出す必要があり、それを理解できないうちはアマチュアからは脱却できないのではないでしょうか。
オマエはどうなんだ!と指摘されたら、はい。私も何も言えません。二番煎じ・三番煎じと言われたらその通りだし、まだ自分の好きから脱却できていないです。私の好きは読者の好きになり得なかったので、研究して次また頑張るしかありません。(あれ、目から生暖かい汁が……)
少なくとも、読者の欲しいを提供できなかったのに、評価されないのを読者のせいにしている間は、多くの人に読まれるのは難しいと思います。
だから同じ嗜好の人と見せ合い……となってしまうんですよね。自分にブーメラン刺さりまくりですが、これは読者の立場として言っておかなきゃならない大事なことなのでェッ……エッ……(号泣&もうすぐライフゼロ……)。
読者としては……
評価入れるから、欲しいものを読ませてくれよ!!!
感想を書くからちゃんと要望を考慮してくれよ!!!
読まれたい承認欲求を満たすと言っているんだから、それ相応の作品を提供してくれよ!!!
なんですね。だからわざわざ募集要項として書いてくれているわけです。
私が読む場合となりますが、文章が崩れていようがお作法がなってなかろうが、自分の要望通りの作品であればテンション爆上げで嬉々として読みます。
でも、そうじゃない物ばかり集まってしまったら……苦手な作品や要望通りでない作品で胸やけを起こしサイトを開くのも億劫になってくると思います。
作者の「募集要項を読まない」ことで生まれた独りよがりが、読者を失う事に繋がる可能性があるわけです。
まずはよく読み考えることから始めませんか?
作家なのだから、最低限書いてあることを理解できるはずです。書いてある内容は難しくない日本語で書かれているはずです。
反射で飛びつくのではなく、少しだけ手を止めて書かれている事を読んでみませんか?
“読めない作家”がこれ以上増えない事を心より祈ります。