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スウィートカース(Ⅲ):二挺拳銃・染夜名琴の混沌蘇生  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第四話「戸口」
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「戸口」(5)

 夕方になると、ナコトはいったんスグハに別れを告げた。


 もちろん、またあした、かならず会いにくると約束して。


 公園通りの並木道を歩くナコトは、無言だった。


 ぶあつい雲に覆われた空は、刻々と灰色を濃くしている。


 ナコトの肩にかかった通学カバンが、ふいに蠢いたのはそのときだった。ひとりでにカバンのチャックがずれると、毛のツンツンした丸いものが顔をのぞかせる。


 このてのひらサイズのイノシシのなまえは、ナイアルラソテフ。舌を噛みそうになるので、テフと略す。上糸病院で、拳銃に化けて花束に隠れていた存在だ。


 カバンから半分だけ体を出したまま、テフは人の言葉でつぶやいた。


「廃ホテル……あるのは井須磨海岸だったか。とうぜん乗り込むよな、ナコト?」


 ナコトは反応しなかった。歩くじぶんの爪先だけを、ただひたすら眺めている。


「ナコト、ナコト。おい」


「!」


 制服の袖をひっぱる小さな前足に、ナコトは気づいた。すこし目を丸くして答える。


「すまない。気を抜いていた」


「こわくなったか?」


 テフのひとことに、ナコトは足を止めた。


「どういう意味だ?」


「いまのおまえの気持ち、かわりに言ってやる……何年かぶりに弟と再会した。たぶんこの世でたったひとりの肉親だ。万が一、ナコト姉さんが死んじまったりでもしたら、こんどは弟のほうが天涯孤独になる。だから、戦うのが怖い。こんなとこだな?」


「わたしが、敗れる? わたしが、怖れる?」


 我知らず、ナコトは手で片腕をおさえていた。


 じつはすこし前、ある理由から片腕は千切れ飛んだのだが、いまはこのとおり完全につながり、傷はふさがって跡形もない。ちゃんと治っている。なのに。


 なのに、痛む。ないはずの傷が。


 ひどく肌寒げな面持ちで、ナコトはささやいた。


「わたしはまだ仕留めていない。〝奴〟を。両親や、凛々橋(りりはし)の仇を討たなければ……」


「もう、いいんだよ。昔っからそうだ、おまえは。無理ばっかりしやがって。心はイヤだって泣いてるのに、強引にでも自分の矢印の向きを変えようとする」


 つぶらな瞳のまま、テフは言い放った。


「引退しろ」


「!」


「大事ななにかを守るためには、戦わないって選択肢もある。そろそろ潮時だ。おまえさえよけりゃ、異世界とかかわった邪魔な記憶も、きれいさっぱり消してやる。ただ、ぜんぶ忘れたおまえを、もしややこしい連中が襲ってきたら、そんときゃ身を守るため、ちょいと体を貸りるが怒るなよ?」


「…………」


 風に吹き流される髪をおさえるだけで、ナコトはうつむいている。


 溜息をつくと、テフは苦笑いした。


「じゃ、人生やりなおしの手続きは、またあとでだ。とりあえず俺は、例の廃ホテルとやらを調べてくる。ここまであからさまに怪しいと、まず罠とかの類じゃなさそうだが……」


 ナコトのカバンから、テフはぴょんと飛びだした。一回転して見事に着地。こどもの指ほどもない短い尻尾をみせて、小走りに公園通りをあとにする。


「テフ」


 ナコトの声はとても小さかったが、テフは立ち止まった。


「なんだ?」


「わたしも行く」


「ふざけんな。足手まといだ」


 そう告げられた瞬間のナコトの顔に、テフは妙な既視感をおぼえた。


 それも束の間のこと、ナコトは平常どおりの無表情に戻っている。


「わたしという本体と離れて、子機のおまえ一人でなにができる? 敵が現れたら、銃のひきがねを引くのはだれだ?」


「えらそうに。そりゃまあ、この風体は、しゃべるのに便利なだけの子機だが……おかしなことに首を突っ込むのは、これで最後にしろよ?」


 さっきのナコトの表情を、そう。まだ出会って間もないころ、テフはあの遺跡で見たことがあった。


 迷子のこどもの顔……

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