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スウィートカース(Ⅲ):二挺拳銃・染夜名琴の混沌蘇生  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第三話「矢印」
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「矢印」(6)

 自宅の扉をあけると、わたしを迎えたのはスグハだった。


 だまって靴をぬぐわたしをよそに、玄関にこしかけ、スグハはスパイクの運動靴をみがいている。


 かたわらを通り過ぎようとしたとき、スグハは早口につぶやいた。


「目が赤い」


「ほっといて」


「フハハハハ!」


「わらいごとじゃない! この脳筋!」


 ぴたりと笑いを止めると、スグハは無表情にリビングをしめした。


「夕食の準備は整っていると聞く。すみやかに着替え、席につくように」


「……なんで、いろいろ聞きたがらないの?」


「聞いてもどうせ、あんたの身に生じた現象など、常人の理解の範疇にはおさまらん。そうだな? 打ち明けるタイミングは、そちらにまかせる」


「ありがとう」


 ひとつ鼻をすすると、わたしはリビングの両親に顔をだした。


「ただい……」


 ただいまを告げようとして、わたしは固まった。


 リビングにはだれもいない。


 なにかおかしかった。


 まず、あるていど食事のでそろった食卓に、きょうの夕刊が半分ずれ落ちた状態でかかっている。その下から、かすかに漏れだす紫煙……


 さっと新聞紙をどかした下、あんのじょう、煙をくゆらせるのは火のついたタバコだ。喫煙者である父が吸ったと思われる長さは、およそまだ二割にも満たない。


 手をすべらせて落とした新聞を、父がそのままにした? あの厳格な父が? 


 かんがえられない。だいたい、そんな火事まがいのこと、母が許さないはずだ。


 その母はといえば、これまた忽然と消えてしまっているではないか。火のついたガスコンロに、ぐつぐついう味噌汁の鍋をくべたまま。


 無言で床にころがるお玉だけが、事の異常性をものがたっている。


 ほかの部屋を見ても、電気は消えて真っ暗だ。


 放置された痕跡の数々から、両親はすくなくとも、つい数秒前までここにいた。


 では、いまはどこへ?


「スグハ~? お父さんとお母さんは~?」


「なにをほざいている! ちょっとォ! 父さん母さん! 厳罰を! ばか姉が、いよいよ自分の親の顔を忘れて……」


 スグハの力強い大音声は、不自然にとだえた。


 それに続いたのは、玄関からの妙な物音だ。


 急いで行ってみれば、後生大事にみがかれていたスグハのスパイクが、無造作に床へころがっている。


 それだけだ。


 スグハはどこにもいない。


 言いようのない不安感に、わたしは目もとが引きつるのを感じた。


「ちょ、スグハ! 冗談はやめ……」


 次の瞬間に起こったことは、わたし自身うまく説明できない。


 とてつもなくおぞましい、ということ以外は。


 なにか、太くてつるつるしたものが、背後からわたしの首にからみついていた。


 それだけではない。その触手じみたものは、わたしの手に、足に、そして体に巻かれ……こう、指の先から、ぼんやり体の感覚がなくなってゆく。


 薄れる自我。加速する恐怖。


「まちがいあるまい」


 その声は、触手の中心から、わたしの耳にささやきかけた。


「混沌界の迷路を解き明かす銀の鍵とは、おまえのことだな。さあ、わたしを導け。めざわりな結界の主……ナイアルラソテフのもとへ」


 さいごの力をふりしぼり、わたしは瞳だけをうしろへ動かした。


 嫌だ嫌だ嫌だ! あのおびただしい蠢きはなんだ! 床に! 壁に! 天井に!


「わたしはハスター……〝名状しがたきもの〟」

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