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スウィートカース(Ⅲ):二挺拳銃・染夜名琴の混沌蘇生  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第二話「獅子」
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「獅子」(3)

 美須賀大学付属高校の放課後。


 教室のはしっこでは、女子が三人かしましく、うわさ話に花を咲かせていた。


「なによ、雨堂谷(めどうや)、あんたも聞いたの? 凛々橋のこと?」


「キャハハ! 聞いた聞いてる聞いた! 凛々橋くん、またケンカしたんだって!? こんどは街のチンピラと! かっこいい! ぬれる!」


(ねい)ちゃんがいま、また純粋無垢な単語を吐いたみたいだけど、聞かなかったことにするわ……さいきん凛々橋、あぶない場所をふらふら歩きまわっては、ケンカの売り買いばかりしてるそうじゃない?」


「そうそう。ちなみに、まえの野球部とのケンカは、あっちが一方的にカツアゲしてきたんだよね。凛々橋にボコボコにされて、タンカで運ばれる野球部を見たけど、そりゃもうすごいマッチョだったわよ。あのポニーそのものの凛々橋が、いったいなにをどうやって……」


「キャハハ! ポニーちゃんが、ライオンになった! わんわん!」


「ぶあつい参考書の山が、たくさんの紙飛行機の材料にしか見えない、あんたらしい意見だわ、雨堂谷。でもね、猛獣というのも、あながち的外れじゃないのよ。こんどのケンカ……凛々橋の相手は、なんと五人だったそうよ」


「一対五!?」


「そう、ひとり対五人。なのに、チンピラどもときたら、凛々橋ひとりにほとんど半殺しの状態だったらしいわ。もうなにがなんだか、わけがわからない」


「わかった! カラテだ! 凛々橋くんは、かくれてカラテをならってたんだよ! 超能力だ! キャハハ!」


「はいはい寧ちゃん、アタマのネジはどこ飛んでったんでしょうね~いっしょに探しましょうね~……とまあ、こんどのケンカは、たまたま歩いてた警察官が止めに入って、試合終了したわけ。もちろん凛々橋は、警察、担任、それから親にかこまれて、一階の応接室で朝からラウンド2よ」


「それも、凛々橋の見た目だから、イジメに〝あってた〟方向で話が進んでるみたいね……ねえ、ふたりとも気づいた?」


「なにが?」


「ご不明です!」


「凛々橋がおかしくなったのって、ほら。あの子……樋擦とくっついてからじゃない?」


 教室の戸があいたのはそのときだった。


 瞬時にアイコンタクトをかわし、無言でカバンを手にとる女子たち。ひとりテンションを最高潮にする仲間をひきずり、反対側の戸を開けて教室を出る。


 うわさの凛々橋恵渡が、背中を丸めて教室に入ってきたのだ。片目には大きな青あざができ、顔じゅうを絆創膏が飾っている。


 のろのろ自分の席につくと、エドは魂の抜けるような溜息をついた。


 教室にはだれもいない。


 いや、いた。


 エドのななめうしろの机に。


 頬杖をついたまま、彼女はだれにともなく尋ねた。


「どうやってアフリカから舞い戻った、ライオン?」


「なんとでも言ってよ、染夜さん……」


 染夜名琴。


 メガネの奥の神経質そうなその瞳は、いまも手もとの小説に落ちている。


 現段階のエドとは違い、ナコトは最初からともだちの〝と〟の字もない人種だった。根本的に、そんなものを作る気がないらしい。


 ぼろぼろの顔で、精一杯エドは不敵な笑みをうかべた。


「ぼくは腐っても優等生だからね。この忘れ物のノートを取りに戻ったのさ。親たちはそうとう渋ってたけど。もう、さんざんだよ」


「自業自得だ。無差別の暴力魔がシャバの空気を吸えるだけ、まだありがたいと思え。これに懲りたら今後は、狩りはもうすこしターゲットをしぼってからにしろ」


「ご忠告ありがとう。でもね、お肉を食べたいとき、ぼくは草原じゃなく、近所のスーパーへ行く主義なんだ。それに、よく見てよ。ぼくはそんな野蛮人か?」


「言われてみれば、いまどき、おまえほど骨のない男もいない。シマウマどころか、ただの草だ。土の底の菌類だ」


「ああ、染夜さんのその評価だけが、ぼくに自分の正気を再確認させる。自慢じゃないけど、じつは、その草が先日、怖い不良五人をコテンパンにした〝らしい〟んだよ。こっちの味方はぼくひとりだった、〝らしい〟」


「らしいらしいと曖昧な。そんな優柔不断だから、腰抜けだの小動物だの、クズだのダニだの言われて後ろ指さされるんだ」


「いやはや、きみとの会話のキャッチボールはすばらしい。投げると〝やすらぎ〟が返ってくる……そう。ぼくはあの日も、ハンナを彼女の自宅まで送り届けて、自分も寄り道せずに帰るつもりだった。あ、ハンナというのは、樋擦帆夏。ぼくが現在おつきあいしてる彼女のことね」


「ほう。何分、いくらで買った?」


「そのまま清い心で聞いてくれ、染夜さん。ハンナと別れ、ぼくはいつもどおりに、帰り道の街に入った……そこまでは覚えてるんだ。そこまでは」


 暗澹たる面持ちで、エドは自分の拳を見つめた。


 もとは力仕事を知らないひ弱な手だったが、いまは違う。拳骨は赤く腫れ上がり、ところどころ傷ついている。


 痛む拳をさすりながら、エドは続けた。


「ふと気づいたら、ぼくは思いきり肩を揺さぶられてた。お巡りさんに、ね。いつの間にかぼくはひとけのない廃ビルにいて、足もとには例の不良五人が倒れ、苦しそうに呻いてる……あとはご覧のとおりさ。もう、気が狂いそうだよ」


「心配するな。そう自覚できているうちは、狂気はまだ扉をノックしているだけだ。おまえの正気に忍び込むための扉を」


 そっけなく答えるナコトは、頑として机の本から目をはなさない。ページを一枚めくると、ナコトはつぶやいた。


「五人を相手に大立ち回り、か。夢遊病にしては、アグレッシブなことだな。昔からそのケはあるのか? ほんとうに、その間の記憶もない、と?」


「前者も後者も、ない。いや……記憶のほうは、すこしだけ。でも、これは間違いなく夢だ。取るに足りない内容だよ?」


「言ってみろ。せいぜいおもしろい話を期待する」


「その光景は、いつも決まって、ケンカをしたらしい後に思い出すんだよ。ちいさなケンカ、おおきなケンカ関係なく〝あ、そういえば〟レベルで……ぼくはいつも〝ナワでしばられて〟いるんだ」


「期待どおりの答えだ、変態。ムチとロウソクもあるな?」


「逆にぼくは、染夜さんのその豊かな想像力の根拠を知りたい……おそらくはぼくが無意識に暴れてる間、ぼくはいつも、夢の中でなぜかイスにしばられてるんだ。言いたくはないけど、ナワでね。身動きできないから大声で叫ぶんだけど、だれも来ない」


「知っている店か?」


「ひっぱるね、きみも。あんな不気味で薄暗くて、地下室みたいに窓ひとつない空間には断じて行った覚えはない……夢の中のそこで、叫ぶだけ叫んで、あきらめたぼくは、部屋にこもる変なにおいに気づくんだ。おもったとおり、部屋の棚には、かぞえきれないほどの薬品のビンがならんでた。よこの本棚には、背表紙とかが日本語じゃない大きな本がたくさん。おまけに机の上には、意味不明な機械や実験道具みたいなのがどっさり置かれてる。よく目をこらせば、ぼくのしばられたイスの下には、どんな絵の具を使ったかわからない妙な模様もびっしり書かれてるし。魔法陣、って言うの? とにかく、いまにも魔女が笑いながら登場しそうな場所だったよ。順番的には、このあと、ぼくは現実の赤務市のどこかで我に返る」


 説明すればするほど、また恐怖がこみあげてきたらしい。両手で顔をおおうと、エドは蚊の鳴くような声を発した。


「染夜さん」


「なんだ、あらたまって」


「染夜さんを、その道のプロと見込んで聞く」


「見込み違いだ。痛めつけられて喜ぶ男など、論ずるに値せん」


「そこは論じさせて、お願い。じつはぼく〝あやつる〟〝あやつられる〟ということに関して少々、うたがってることがあるんだ。さっき言ったぼくの彼女、ハンナのことなんだけど……彼女、ふつうと違った〝特技〟を持っててね」


「聞きたくない。どうせ、あれだ。おまえのような四足獣が、いうことを聞くようになる特技とかだろう?」


「さすが、染夜さんの読みはすごい。当たらずしも遠からずだね。まえ、ハンナといっしょに美須賀動物園に行ったときのことだ」


「パンダやワニで有名なあそこか。うってつけじゃないか、おまえに」


「あの動物たちほど、ぼくはハンナを嫌ってはいない。いや、もしかして、ぼく自身、そういう風に〝説得〟されてるのかも」


「〝説得〟?」


「そう。動物を〝説得〟する。つまり、どれだけ気性のあらい動物でも、あるていど大人しくさせる不思議な〝コツ〟のようなものを、ハンナが心得てるのは、ぼくも前々から知ってた。その日も、オリの前にさしかかった途端、あのライオンはひどく怒りはじめて……」


 稲妻でも走ったように、エドが飛び上がったのはそのときだった。


 読んでいた文庫本から、静かに瞳をあげたのはナコトだ。


 エドの全身が、細かく震えて見えるのは気のせいか? だが、ナコトの席からは、ななめまえのエドは後ろ姿しか見えない。


 見えない向こう側で、エドの顔は信じられないほどゆがみ、変化している。


 変化のスピードはめまぐるしく、驚き、疑問、そして恐怖の表情が、コマ送りのごとく次々と入れ替わってゆくではないか。


 おまけに、変化と変化の合間に一瞬だけ現れる顔は……エドではなかった。


「つきあわせて悪かったね。いまのはぜんぶ、きのう見た映画の話だ」


 そう告げて、エドが席を立ったのは、ナコトがなにか言おうとした瞬間だった。


 立ち上がる勢いに、イスと床がこすれて大きな音をたてる。さきほど教室に入ってきたときの無気力さはどこへやら、エドは背筋も伸びてきれいな姿勢だ。


 うしろのナコトを見もせず、エドはどこか機械的に声を発した。


「親が待ってるのを忘れてたよ。きみも、はやく帰りな」


 振り返ることもなく、エドはつかつかと教室を出ていってしまった。


「…………」


 ナコトの視線は鋭かった。


 エドの机の上には、取りに戻ったはずのノートがまた置き忘れられている。


 それを見つめながら、ナコトは一言つぶやいた。


「におうな」


「え!?」


 ひとりのはずの教室に、しかし答えはあった。


 ナコトの机にかかったカバンが揺れると、中からもぞもぞ顔をのぞかせた動物がいる。


 絶え間なくひくつく鼻、つぶらな黒い瞳……ちいさなイノシシだ。てのひらサイズのこれは、知るものからはテフと呼ばれている。


 ねむたげな、どこか困ったような顔をしたまま、テフはさんざん、自分の短い手足を嗅いだ。そして、かんだかいキンキン声で、あろうことか人の言葉でいぶかしむ。


「そんなに臭うか、俺? けさ、ちゃんとシャンプーしたぜ? あっそうか、まだきのうの晩のウィスキーが残って……」


「狩りの時間だ」


 ナコトの手の中で、文庫本はぱたんと閉じられた。

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