野球部の危機【Aパート】
この作品は『エンターブレインえんため大賞(ファミ通文庫部門)』の最終選考まで残ったものを20余年の時を経てリライトしたものです。
「よっ、ナココちゃん、お出掛けかい?」
昼食を終え、床屋と兼ねている玄関から出掛けようとした制服姿の直実に声を掛けたのは、直斗に散髪をされている近所の居酒屋の主人、三峰光太郎だった。
「はい、これから部活です。」
「直実、お客様にはまず『いらっしゃい』、だろ?」
直斗が少し厳しい口調で言った。
「あ、いっけなぁい。‥‥いらっしゃい!」
直実が三峰に元気に挨拶した。
「そう言えばナココちゃん、何部だったっけ?」
三峰は直斗の幼馴染で、直実に『ナココ』という愛称を付けた張本人でもあった。
『直斗の娘』が『直斗ン娘』を経て、徐々に縮まって『ナココ』となったのだが、実はこれは現在も進行中で、最近では『ナッコ』と呼ばれる時もある。
「えへへ、何部だと思いますぅ?」
直実はニマっと笑って問題を出した。
「う~ん、小さい頃からすばしっこかったから陸上部かな?
あ、いや待てよ、バク宙とか得意だったから体操部かな?」
「ブッブ~~、正解は野球部でぇーす!」
「野球部ぅ? いやいや、そんな事はなかんべ。
ソフトボール部の間違ぇじゃねぇのかい?」
「正真正銘、野球部なのでーす。」
「へぇー、そいつぁすげぇな!
試合の時は俺にも教えてくれよ。応援しに行ってやっから。」
「え~~っ、恥ずかしいからいいよぉ‥‥。」
直実は三峰がテレビの前で御ひいきチームの応援をしているシーンを思い出し、すかさず断った。
大声で怒鳴ったり、選手別の応援歌を歌ったり、メガホンを叩いたりと、野球に興味のない直実の目にはかなり危ない人に見えた。
もっとも、プロレスの試合会場での自分の熱狂ぶりとさして変わらないのだが、その事については棚に上げていた。
「直実、そろそろ行った方がいいぞ。」
直斗がハサミを動かしながら言った。
「あーっ、もうこんな時間! 行ってきまーすっ!」
直実は慌てて出ていった。
● ● ●
「あっちゃぁ~、一番乗りじゃなかったかぁ‥‥。」
直実は手のひらを顔に当てて嘆いた。
一番乗りをしないと着替える際、他の部員を締め出す事になる。同級生ならともかく、先輩たちに対して締め出すというのはさすがに気が引ける。
しかし、他の全部員が着替えるのを待ってから最後にグラウンドに出るというのもまた気が引ける。
つまり、直実が部室一番乗りを果たすのがベストと考えていた。
(‥‥仕方ないかぁ‥‥。)
「ちわーっ。」
直実は宮町中学の運動部に代々伝わる独特の挨拶で部室に入った。
「おっ、鷹ノ目、早いな。」
既に着替え終っていた副部長の岡田が返答した。
直実は辺りを見回したが、まだ岡田以外の部員の姿はなかった。
「岡田さん、いつも一番乗りなんですか?」
「まあ、部室の鍵を預かっているからね。」
よくよく考えれば鍵を持っていない直実が一番乗りしたところで岡田の到着を待たなければならなかった。
「あ、あの‥‥着替えたいんですけど‥‥。
バツが悪そうに切り出す直実に岡田は鍵を差し出した。
「今日から着替えはソフトボール部の部室使っていいってさ。はい、これスペアキー。」
「えっ?」
「あ、ソフトボール部の部長が僕のクラスメイトでさ、相談したら許可が下りたんだ。」
「ありがとうございます!」
直実は深々と頭を下げた。
「他の部員はどうかわからないけど、僕はお前に期待しているよ。」
岡田の言葉に直実は顔を上げる。
「期待って、そんな‥‥。
私はただ三浦先生のスポーツ理論を‥‥。」
「殺風景だと思わない? この部室って。」
伝統ある宮町中学の運動部の部室には大抵何枚かは賞状やトロフィーが飾られているのだが、野球部の部室はガランとしていた。
「何にもないだろ?
‥‥せめて地区大会で賞状もらいたいもんだよな。」
今年が中学最後の部活となる岡田はどことなく寂しげにつぶやいた。
「野球部ってそんなに弱いんですか?」
「そう、だね‥‥結果が出てないんだからそういう事なんだろうな。」
直実のストレートな質問に岡田は苦笑しながら答えた。
「勝ちましょう!
私、野球の事は全くわからないですけど、鉄腕ラリアットがお役に立つなら協力します!」
直実は握り拳を掲げて力強く誓うと、一礼してソフトボール部の部室へと向かった。
「‥‥鉄腕ラリアットって何だ?」
小さくなっていく直実の後ろ姿を見つめながら岡田が首を傾げた。
感想、評価、ブクマを付けてくださっている方々、本当にありがとうございます。




