鉄腕ラリアット【Cパート】
(何で‥‥何で当たんないのよ、もうっ!)
時間が経過するにつれ直実は怒りが込み上げてきた。
夕方六時を告げるチャイムが鳴り響く。陽は分刻みに辺りを暗くしていく。
「先生、どうしたんだろ?
そろそろ練習は終わる頃なんだけどなぁ。」
指立て伏せのセットを終えていた羽野が不安げにつぶやいた。
「私たちの事なんか忘れてんじゃないの?」
サンドバックはもう薄暗くて見づらくなっている。
嘲笑気味に発せられたその台詞に、羽野は直実の苛立ちを感じ取った。
「ああ、俺、呼んで来るよ。」
羽野がグラウンドの方へ振り向くと、近付いて来る三浦のシルエットが目に入った。
「鷹ノ目、サンドバックの位置は覚えたか?」
開口一番、三浦は直実に問う。
「そりゃあ、ずっと見てましたから‥‥。」
意地になってサンドバックを尚も見続けている直実の返答は明らかに不機嫌そうだ。
「良し、ならば目をつぶって投げてみろ。」
「はあっ?」
三浦の指示は直実にはとんちんかんに感じられた。
「どうした? 早くやれ。」
「無理です!」
直実は三浦にすぐさま反論した。
「出来る。」
「どうゆう理論ですかっ!?」
「お前はラリアットを打つ時、標的を最後まで見て打っているのか?」
三浦のその答えは直実の背骨に電撃を走らせた。
確かにある程度の所から目標物は見ていない。
「わかりました! やります!」
直実は籠から軟球を取り出す。
そして姿勢を整えると大きく深呼吸を一回、静かに両目を閉じる。
その状態で何秒が経過したであろうか、直実の瞼の裏に映像が浮かんで来る。
(見える! サンドバックが見える!)
直実は目を閉じたまま大きく振りかぶる。
そして多くのアドバイスで矯正されたダイナミックなフォームからラリアット風の豪快なサイドスローを連動させる。
ズバ―――――ンッ!!!!!
すさまじい音が夕闇をつんざいた。
それを耳にした直実は恐る恐る目を開けた。
「ど、どうですか? 当たりましたか?」
投げる前には感じなかった不安が今になって直実に襲い掛かって来た。
「良くやった。」
直実の頭に三浦の大きな手のひらが乗ってきた。
「ありがとうございます!」
直実は今までの不機嫌な気分が嘘のように晴れた。
「すごすぎる‥‥。
一体何キロ出てたんだ? あんなん打てないよ‥‥。」
後ろで見ていた羽野がつぶやいた。
「二人とも今日はボールを片付けてあがれ。」
「はいっ!」
直実と羽野の大きな返事が夕闇の中に響き渡った。
● ● ●
「お待たせ!」
制服に着替え終えた直実が部室から出て来た。
あちこちに散らばった軟球をやっとの思いで片付け終わった二人が部室に戻った時には部員が皆帰宅した後だった。
女子と一緒に着替える訳にはいかない為、羽野は先に直実に使わせたのだ。
「じゃあ、また明日。」
羽野は軽く挨拶すると部室へと入っていった。
それから間もなく、部室から紺色のスポーツバッグを肩に掛けた羽野がユニフォーム姿のまま出て来た。
「あれっ、早かったね!」
「うわああぁ!」
思い掛けない直実の声に、羽野は情けない声を上げて尻餅をついた。
「あはははは、なに驚いてんだか。」
直実はお腹を押さえて大きく笑う。
「な、何だ、鷹ノ目さんか‥‥。
帰ったんじゃなかったの?」
羽野はノソッと立ち上がった。
「せっかく待っててあげたのに随分冷たい言い方じゃん、それって。」
「あ、悪い‥‥。」
口下手な上に女子との会話経験がほとんどない羽野はこの後の言葉が続かなかった。
「ねぇ、ところで羽野くんてその格好でいつも帰んの?」
「‥‥登下校は制服ってのが校則だからいつもは違うよ。」
「じゃあ、今日は何で?」
「‥‥‥‥握力が出ないんだよ。」
指立て伏せを黙々とこなしている最中は一切弱音を吐いていなかった羽野であったが、実はかなり無理をしていたらしい。
「あはははは、そりゃあそうだよね、ずっとやってたもんね。」
「笑い過ぎだって。」
再び大笑いを始める直実に羽野はムスッとした表情でつぶやく。
「ごめんごめん。
‥‥でも、いったい何の特訓なのかなぁ?」
「握力を強化してバッティングに活かすんじゃないかな?」
「アイアンクローの練習だったりして。」
「アイアンクロー? ‥‥何それ?」
「知らないの?
昔、フリッツ・フォン・エリックっていうプロレスラーがいてね、その人の必殺技だったんだよ。
別名『鉄の爪』!」
プロレスの話を目を輝かせて語る直実に、羽野の脳裏には一学期最初の直実の自己紹介がプレイバックされた。
『並木小から来ました鷹ノ目直実です。
趣味はプロレスを観る事と洋楽を聴く事です。
将来の夢は女子プロレスラーです。
えーっと、それから‥‥得意技はラリアットとジャーマン・スープレックスです!
よろしくお願いします!』
自分のも含め、他の生徒のありきたりな自己紹介は忘れても、直実のインパクト大な自己紹介は記憶から消える事はなかった。
「何で俺がプロレス技を練習しなくちゃならないんだよ?
鷹ノ目さんが野球の練習してるってのに。」
「そう言えばおかしいよね。いつもの逆だもんね。」
「俺が鉄の爪で、鷹ノ目さんが鉄腕投手だもんなぁ‥‥。」
羽野の台詞に直実はまた笑い出した。
「‥‥それにしても鷹ノ目さんのピッチング、マジですごかったよ。」
「そ、そう?
まだ野球をやってるっていう実感はないんだけどね。
‥‥それにしても、まさかラリアットでボールを投げる事になるなんて夢にも思わなかったよ。」
直実は少し照れくさそうに左手で髪をかき上げた。
「そうだ、鷹ノ目さんの投げ方の名前さ、鉄腕ラリアットってのはどう?」
「うん、いいね! 鉄腕ラリアットかぁ‥‥。」
直実は一瞬でその響きが気に入った。
二人は部室の前でしばらく話し込んだ後、それぞれの家路に就いた。
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