出会い【Bパート】
直実がグラウンドに着いた時には野球部員たちは柔軟運動を行なっていた。
その光景を見て真っ先に野球部の部員の少なさを感じた。
「羽野くん、先生は?」
直実は電話を掛けてきた羽野敦盛に近寄ってたずねた。
「‥‥うん、もうじき来ると思うよ。」
羽野は柔軟運動をやりながら無愛想に答えた。
太めの体型である羽野は脂肪こそあるがガッシリした力士タイプの身体つきだった。
身長はクラスで一番高かったが運動神経はさっぱりで、おとなしい性格と相まって目立つ存在ではなかった。
頭髪は三分刈りだが、これは運動部員全員がそうなので羽野に限った事ではない。
「身体、カタいんじゃない?」
直実は不恰好な羽野のクランチャーと呼ばれる腹筋運動の一種を見て言った。
「わかった! その腹が邪魔なんだ!」
「‥‥余計なお世話だよ。」
あまりにもストレートな直実の台詞に憮然とした口調で羽野が言い返した。
「ねぇ、どうしたらこんなに肉がつくの? 私、もっと肉、付けたいんだよね。」
「‥‥‥‥いっぱい食べたらいいんじゃないかな?」
うざったそうに羽野が答える。
「あ、そう言えば前にもこんな話したよね?」
「‥‥うん‥‥一学期の頭にね。」
羽野にとって直実の第一印象は決して良いものではなかった。
おしゃべりで、発言がストレート過ぎる直実は羽野の目には『やかましくデリカシーのない女子』として映った。
しかし時間が経つにつれ、直実の発言に悪意がない事がわかってくると、その印象も『明るく屈託のない女子』へと変化していった。
「おい、部外者はグラウンドの隅に行ってくれないか。練習の邪魔だ。」
直実をなかなか追いやれない羽野を見かねた部長の松浦が代弁した。
「すいません‥‥。」
直実はすごすごと一昨日ラリアットをくらわした古タイヤの所へ撤退する。
「ちわっ!」
三浦が現れると部員たちは直ちに柔軟運動を一旦切り止め、一礼する。
(やっと来た。早く断って来なきゃ‥‥。)
直実は三浦の元へ走って行った。
「先生!」
「鷹ノ目、体育教官室まで来い。他の者は練習を続けていろ。」
三浦はぶっきらぼうな口調でそう言うと体育教官室の方へと歩いて行く。
これでは返答が伝えられない。
直実は言われた通り三浦の後をついて行くしかなかった。
「あ、あの‥‥先生、入部の件なんですけど‥‥。」
直実は歩きながら先日の勧誘を断ろうとした。
「ラリアットはどのくらい前から始めた?」
直実の話が終わらないうちに三浦が質問を投げ掛けてきた。
「三歳からやってますから、ちょうど十年です。」
「十年?」
足を動かしたまま三浦が直実のキャリアに反応した。
「はい。私、三年の夏休みになったら女子プロのテストを受けるつもりなんです!」
会話はそこで途切れた。直実には体育教官室までの距離が長く感じられた。
体育館とプールとの間にプレハブの体育教官室があった。
「あっ!」
思わず直実は感嘆の声を上げた。
教官室の脇にセッティングされた巨大なサンドバックが目に飛び込んだからだ。
「先生、サンドバックがありますねぇ。」
直実の目はサンドバックに釘付けだった。
「打ってみるか?」
「はいっ!」
直実は上着を素早く脱ぐと、ワイシャツの袖をまくった。
「うおおおおおっっっ!」
ドスッ!
直実のラリアットがサンドバックに食い込んだ。
(でかいだけはあるなぁ‥‥。普通に打っても大して揺るがない‥‥。)
「どうした、お前の力はそんな物か。」
三浦の言葉に直実はムッときた。
「次は全力でいきます!」
直実は渾身の力を込めて二発目のラリアットをサンドバックに叩き込んだ。
ドスーンッ! ギシュッ!
巨大なサンドバックは大きく弾かれ、それをぶら下げている鎖が鈍い音を発した。
(どう? 先生。)
直実は得意気に振り向いた。
しかし、三浦は腕を組んだまま平然としていた。
「それがお前の全力か? 大した事はないな。」
「なっ!?」
絶句した。
「鷹ノ目、お前は格闘技の経験がないだろう。
全てが我流の動きだ。」
三浦の指摘は的を得ていた。
今までたった一人で身体を鍛え、見よう見真似のラリアットをひたすら打ち込んできたのだ。
「格闘技経験もなく、百四十程度の身長では実技試験を受ける前の書類審査で落とされるだろう。」
冷酷なまでの的確さで伝える三浦をキッと睨む直実。
「し‥‥身長はまだ伸びます!
これからグングン伸びてきます!」
一番のコンプレックスを無造作に指摘された直実はムキになって反論した。
(背の事は気にしてんのに‥‥。)
わなわなと震える直実の右肩に三浦は手を掛けた。
「いいか鷹ノ目、あらゆるスポーツには理論がある。
理論を無視して突き進んでも望んだ結果は出ない。」
今の直実には三浦の言葉を理解する余裕はなかった。
「失礼します!」
直実は荒げた口調でそう告げると、三浦に背を向けて来た道を戻り始めた。
「お前の十年間磨いたラリアット‥‥その本当の力を見たくはないか?」
耳を突くその言葉に直実はおもむろに振り返った。
「本当の‥‥力?」
「俺のアドバイスを聞け。
そしてもう一発ラリアットを叩き込んでみろ!」
三浦のドスの効いた声に直実はしばし沈黙した。
「‥‥わかりました。‥‥アドバイスを下さい。」
直実は押し殺した声で答えた。
左足と左手の使い方、重心の掛け方、右腕のテイクバック、サンドバックの狙い点の絞り込み、顎から廻す頸反射‥‥アドバイスは延々と続く。
一通りアドバイスが終わったのは一時間半後であった。
「よしっ、打ってみろ!」
「はいっ!」
直実は三浦のアドバイス通り、巨大なサンドバックにラリアットを放つ。
バシ―――――――――ンッッッッ!!! ギチチチチッッッッ!!!!
直実は思わず自分の目を、そして耳を疑った。
「うそぉ‥‥。」
腕は今までの見えない素振り以上の速さで唸りを上げ、サンドバックは轟音を上げて大きく弧を描き、鎖は大きな悲鳴を上げた。
その信じがたい光景を目の当たりにした直実は思わず自分の右腕を見つめる。
「これが理論だ。」
「すごい‥‥すごいです!!」
目を輝かせて直実が歓喜の声を上げた。
「小さいうちからデタラメでハードな筋トレをしてきたお前は身長が伸びにくくなっている。
我流では効率良く鍛えられないのはもちろん、成長途中の身体を壊しかねない。
いや、良く今まで壊れなかったものだ。
――どうだ? その身体を俺に預けてみないか?」
「でも‥‥私、野球知りません‥‥。」
理論を持った筋力トレーニングは魅力的だった。
だが、ネックは野球という直実にとって未知の球技だった。
「覚えればいい。それだけの話だ。」
「‥‥野球が好きになれるかわからないですよ?」
「それはお前に野球の魅力を伝えられなかった俺のミスだ。気にする必要はない。」
「わかりました! 私、入部します!」
三浦の単純明快な答えに直実は即決した。
「明日からグラウンドに来い。練習用のユニフォームは用意しておく。」
「ありがとうございます! では失礼します!」
「鷹ノ目!」
一礼して踵を返した直実に三浦が呼び止めた。
「入部したからには女だからといって区別はしないからな。」
「望むところです!」
直実は満面の笑みを浮かべて答えた。
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