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鉄腕ラリアット  作者: 鳩野高嗣
第十章 この一球に想いを込めて
29/42

この一球に想いを込めて【Cパート】

「畜生っ! 何で動かねぇんだ!」


 ベッドの上で三浦が自らの左足の土踏まずを殴った。

 わずかながら何かが触れたという感覚はある。

 それだけでも地道に回復をして来ている事は間違いない。

 事実、退院の話も出始めている。

 しかし、これ以上は治らないのではないかという絶望感と、学業がこの二ヶ月で取り返しの付かない状態になっているのではないかという焦燥感が日増しに強くなっていくのもまた事実であった。


「なぁに、シケたツラしてんだよ?」


 絶望に打ちひしがれている三浦の目の前には親友・長野が立っていた。


「なっ‥‥?」


 余りの驚きに言葉が出なかった。

 再び会えた嬉しさもあるが、無様な姿を見られたくないという気持ちもあった。


「そんなに驚くなって。

 ‥‥もっとも、お前の入院を知った時、私もやっぱり驚いて声が出なかったんだからお互い様か。」


 長野は照れくさそうに言った。


身体(からだ)、一回りでかくなったな。」


「ああ。毎日のトレーニング量がハンパじゃねぇからな。」


「俺はたった二ヶ月でこのザマだ。」


 そう言うと三浦は右腕を見せた。それは長野の知っている三浦の腕ではなかった。

 かつて自分を打ちのめした丸太のような腕が、今や枯れ木のような細さになっている。

 正視に()えられなかった。

 辛い。

 慰める言葉すら喉から出て来ない。


「長野、お前は夢、捕まえろよ。」


「な、何言ってやがる。

 てめぇだって、これからじゃねぇか!」


「左足がさ‥‥言う事、聞かねぇんだ。

 もう、野球は二度とやれねぇかもな。」


「何、弱音吐いてんだよ! らしくねぇぜ!

 ――よし、待ってな!」


 長野はそう言うと病室から走り去った。



 長野が再び病室を訪れたのはそれから一時間後の事だった。


「悪りぃ、遅くなっちまった。」


 長野はニマッと笑いながら言った。


「長野?」


「おーい、入って来いよ!」


 長野が病室の入り口に向かって叫んだ。

 その声に呼ばれて入って来たのは長野がいた施設の子どもたちだった。

 子どもたちはあの大きなサンドバックを担いでいた。


「それは!」


「事情話したらさ、園長がこのサンドバックをお前のリハビリに使ってくれってさ。」


 驚く三浦に長野は説明をした。


「そんな大事な物‥‥。」


「私が運べばさ、もっと早く来れたんだけどな、こいつらがどうしても運びたいっ言うもんだからさ‥‥。」


 長野は立てた親指で笑みを浮かべる子どもたちを指した。


「お兄ちゃん、早く良くなってね!」


 三浦に一番なついていた男の子が笑顔で言った。


「ん‥‥ああ。」


 三浦は照れくさそうに答えた。


「でも長野、これ、どこに吊るす気だ?」


「え? そ、それぐれぇ自分で考えろって! ‥‥それよりさ、屋上出られるか?」


「ああ。」


「なら付き合え!」


 長野はそう言うと、子供たちをその場に残し、強引に三浦を連れ出した。

 三浦は左足首が動かない為、まるでアヒルのように不恰好に歩く。


「これ、憶えてるか?」


 長野は肩に掛けていたリュックサックの中から、青い投手用グローブを取り出した。


「それは確か‥‥。」


「そうだ。お前が昔、私にくれた物だ。」


「まあ、俺のお古だけどな。」


「昔、私や子供たちに野球を教えてくれたよな。

 お前の説明、わかり易かったぜ。」


「そう言ってくれると一生懸命教えた甲斐があるぜ。」


「久しぶりにやろうぜ、キャッチボール。

 私が受けるから、お前投げろよ。」


 長野はそう言ってソフトボールを三浦に手渡した。


「ソフトボールなんて久しぶりに握ったな。

 高校じゃ硬球だからな。」


 三浦はボールをしげしげと見つめながらつぶやく。

 その間に長野は走って距離を取る。


「いいぜ! ドーンと来いっ!」


「よーし、いくぞっ!」


 長野の威勢の良い掛け声に釣られて三浦も威勢良く答えた。

 久々の投球に三浦の胸は高鳴った。

 大きく振りかぶったまでは良かったが、自由の利かない左脚の為にバランスがうまく取れない。


 バシッ!


 山なりのストレートが長野のグローブに納まった。

 だが、かつての半分にも満たない球威に三浦は落胆した。


「‥‥これでも、力一杯投げてんだぜ。」


 自嘲気味に語る三浦。


「今度は私が投げるから受けてくれよ!」


 そう言うと、長野はグローブを三浦に投げ渡した。

 三浦の手には少し窮屈であったが、何とか押し込めて構える。


「いくぜ! しっかり受け止めろよ!」


 長野は豪快なサイドスローからの速球を披露した。


 バシ――――――ン!!!


 長野の投げた球は一直線に三浦の胸元に届いた。


「いい球だ!

 しかし、お前、いつからサイドスローに?」


「ラリアットをヒントに編み出したんだ。」


「ラリアット?」


「ああ。スタン・ハンセンってプロレスラーの技なんだけどさ、練習を重ねて何とかモノにした。

 今日のは特に決まったぜ。」


「すごい奴だよ、お前は。

 並のピッチャーの球なんかより、ずっと速かったぜ!」


 三浦はそう言うとグローブを外し、長野の元へと歩いて行った。


「‥‥そのグローブ、お前に預けとくよ。」


「えっ?」


 長野の思いがけない台詞に三浦は歩みを止めた。


「それさ、魔法のグローブなんだぜ。

 どんなに辛い事があっても、そいつに手を通すと勇気がみなぎってくるんだ。

 ‥‥だからさ、お前に預けとくよ。」


「しかし、俺は既にサンドバックを‥‥。」


「いいから!

 ‥‥そいつは勇気を与えくれる! だけど、胸が苦しくなる。」


「え? 言ってる意味がわかんねぇよ。」


「何でもねぇよ!」


 夕陽のせいか、長野の顔が赤く見えた。



「俺はその一週間後に退院し、病気の方も順調に回復していった。

 しかし、体力、筋力は元の七割までしか戻る事はなく、選手としての道を断念せぞるを得なかった。

 そしてその後、俺はスポーツ理論の道へと進んで行った。」


 そこまで話した三浦は一瞬天井を見つめ、ふう、と吐息を一つ。

 視線を直実(なをみ)希望(のぞみ)に戻した。


「あのサンドバックと鷹ノ目がつけているグラブの話は以上だ。」


 三浦は淡々と語った。


「そんな大切な物、私、使えませんよ!」


 今までサンドバックに散々軟球をぶつけた事に直実は身の毛がよだった。

 正直言って、青いグローブだって大事に扱っていたとは言いがたい。


「初めてお前のラリアットを見たあの日、奴とダブって見えた。

 グラブだって飾られているより使われた方が幸せだろう。」


「え? でも、先生の親友から一時預かっただけなんじゃ‥‥。」


「‥‥奴はもう遠い所へ行ってしまった。

 ――十年前、この町でな。」


 三浦のその台詞で今までの話のキーワードが一つにつながった。


「せ、先生!

 その親友って、もしかして女の人なんじゃないですか!?」


 直実は血相を変えてたずねた。


「ん? ああ、長野は女だ。」


 三浦の今の返答で直実は確信した。


(間違いない、伊達(だて)さんだ! 確か『伊達』というのはリングネームだったはず!)



その日の帰り、直実は希望と共に帰った。


「でも、信じられませんよね、三浦先生!」


 鼻息も荒く希望が話し掛けてきた。


「何の事?」


 直実には希望が何に対して怒っているのかわからなかった。


「だって先輩、『長野』って人、きっと先生の事が好きだったんだと思いませんか?」


「えっ? そうなのかなぁ?」


「絶対そうですよ!

 そりゃあ、スポーツ理論は素晴らしいです。

 尊敬してます。

 でも、女性の心理なんて全然わかってないですよ!

 朴念仁(ぼくねんじん)もいい所です!」


「ははは、私、よくわかんないや。」


 直実は希望に圧倒されっぱなしであった。


「先輩だって恋する乙女の気持ち、わかるでしょう?」


「恋する乙女の気持ち?

 希望ちゃん、誰か好きな人、いんの?」


「え?

 そ、そんなの、いる訳ないじゃないですか~。」


 希望は顔を赤らめて答えた。


「と、とにかく、絶対、長野って人、先生の事、好きだったんですってば!」


 直実は必死で自分に向けられた矛先を再び三浦へ軌道修正を図ろうとする希望を微笑ましく思えた。


(伊達さんも恋する女の子だったんだ。)


 今まで直実の中で神格化されていた『伊達恭子』という存在が、初めて身近な存在に感じられた。

感想、評価、ブクマを付けてくださっている方々、本当にありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 元祖鉄腕ラリアットの登場に驚きました。 三浦先生の過去話にもまた涙……。
[良い点] 三浦と長野のやり取りがいいですね。
[良い点] 神格化されていた伊達さんの人間ぽさがわかってよかったです。何気に切なさも感じられて素敵です。
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