この一球に想いを込めて【Bパート】
走り終わった直実は、部室で遅れを取り戻すかのように三浦の説明するルールをノートに取っていた。
その講座には野球についてあまり詳しくない希望も出ていた。
「――と、いう事だ。何か質問はあるか?」
集中力があったせいか、今日の講座は意外なほど理解出来た。
その為、特に質問はなかったが、今日の講座とは別に直実には以前から気になっていた事が一つあった。
「あの、先生‥‥ルールとかじゃないんですけどいいですか?」
「ん? 何だ?」
「あの、ですね‥‥あのでっかいサンドバック、先生の物なんですか?
今まで体育倉庫で見た事、なかったし‥‥。」
直実の質問に三浦は口を閉ざした。気まずい空気が部室に漂う。
(ま、まずい事、訊いちゃったかなぁ。)
直実は焦った。空気がどんどん重くなっていくような気がする。
「昔、ボクサー目指してたとか‥‥?」
直実の何とか沈黙を破ろうとして発した台詞が余計、空気の重さに拍車を掛けた。
「――あのサンドバックは俺が親友からもらった物だ。」
三浦は重い口を開いた。
「親友からのプレゼントだったんですか。
じゃあ、やっぱ、先生はボクサーかなんか目指してたんですね。」
直実はボクサーの構えを取ってたずねた。
「あのな、お前はどうしても俺をボクサーにしたいのか?」
「あ‥‥いや、その‥‥。」
「俺は今でこそ教師をやっているが、中学の頃は毎日のようにケンカに明け暮れた一匹狼だった。
上級生からも良く『生意気だ』という理由だけでケンカを売られたもんだ。
しかし、人一倍、身体が大きかった俺はそれらを全て打ち倒していった。
その頃は本気で自分が最強だと思っていた。
そんな時、奴‥‥長野が現れた。
俺の通っていた中学と抗争を繰り広げていた中学の助っ人として現れた奴は、変幻自在の打撃技と強烈な投げ技を持っていた。
どのくらいの時間、闘ったかわからない。
力尽きた俺は河原で空と向き合っていた。
俺の隣では奴も空と向き合っていた。
自分の自惚れが何だか滑稽に思えて俺は笑った。
気が付くと奴も笑っていた。
その日以来、俺と奴は親友になった。
両親を知らない奴は施設に住んでいた。
俺も良くそこへ遊びに行った。
奴はは小さな子どもたちに格闘技を教えていた。
男の子はもちろん、女の子にもな。あのサンドバックはそこにあった物だ。
一生懸命教える奴を見て、俺も子どもたちに何か教えてあげたくなった。
そして俺は野球を教えた。
本格的にやった事はなかったが、教えられる物はそれくらいしかなかった。
そんな事が中学卒業の日まで続いた。
奴は自分の夢を追い、卒業の翌日その施設を後にした。
奴のような夢が特になかった俺は高校へ進んだ。
そこで俺は初めて本格的に野球を始めた。
地獄のような特訓、今にして思えば根拠も理論もないトレーニングを必死にやった。
人一倍の練習が実を結び、俺は一年の秋に事実上のエースになった。
そして気が付けば神奈川県でも注目される存在にまでなっていた。
だが、ある朝、突然俺の身体は動かなくなった。
無理が祟ったという訳ではないが、俺の身体をギランバレー症候群という病魔が襲ったんだ。
自力呼吸さえ奪われた俺は五日間生死の境をさまよった。
強靭な体力のおかげで奇跡的に一命を取り留めたが、いつまで経っても動かない全身に、俺は焦りとやり場のない怒りを覚えた。
入院して二ヶ月が経過した頃、リハビリの甲斐あって、何とか手足が使えるようになった。
だが、かつてほどの力は戻らない。
それに、左足首より下に関しては依然と麻痺が残ったままだった‥‥。
そんな時、奴が俺の前に再び現れた。」
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