遠い日の約束【Cパート】
帰りの電車の中で直実は絶望的な孤独感に襲われていた。
先日、初恋が無残な結末を迎え、今日、笠原との約束が終焉を迎えた。
自分の夢ですら今にも崩壊しそうだ。
(みんななくなっちゃった‥‥。
ま、帰る家があるってだけマシか‥‥。)
出来る事なら他人になって今の自分を指さして思いっきり笑いたい気分だった。
(みんな、大っ嫌い‥‥。)
目から涙が落ちそうだったのをこらえる為、他人を憎んでみた。
しかし、そんな事をしている自分自身も嫌悪の対象としてかなり優先順位の高い位置に存在していた。
思いっきり泣いたらスッキリするかもしれない。
だが涙する自分も、素直に泣けない自分も嫌いだった。
(何だかみんな、イヤになっちゃったな‥‥。何の為、生きてんだろ?)
こういう時はロクな事が浮かばない。嫌な思考が無限ループを起こしていた。
電車がJR熊谷駅に着いた頃には雨は上がっていた。
直実は重い足取りで階段を上ると、改札口に備え付けられている大き目の時計を見る。
(まだ3時か‥‥どっか見てから帰ろうかな‥‥。)
お目当ての物などは特にない。ただ気を紛らわせたい、それだけの事であった。駅ビルAZの中に入ると下りのエスカレーターに乗った。
ふと我に返ると駅前の通りをぼんやりと歩いている自分に気付いた。
「あれ? ‥‥私ったら何やってんだか‥‥。」
あきれ返るのを通り越して笑いがこみ上げてくる。
(鯉でも見てくかな。)
直実の脚はそのまま星川まで向いた。
「先輩?」
ぼんやりと星川を泳ぐ錦鯉の群れを眺めていた直実の背後から声がした。
振り向くと、そこには以前、土肥の親指を応急処置した女生徒が立っていた。
「良かった! 人違いじゃなくて。」
「え~と‥‥粟‥‥田さん‥‥だったっけ?」
「はい、粟田希望です!
――って‥‥私の事、覚えてませんか?」
「え? こないだ土肥さんの親指を‥‥」
「それ以前の事は覚えてないんですか?」
希望の問いに直実はしばらく記憶をさかのぼってみた。
が、一向に思い出せない。
「じゃあ、ヒントです。私の苗字は『粟田』です。」
「粟田、粟田‥‥う~~ん‥‥粟田でしょ?
‥‥ってまさか、粟田道場の!?」
「ピンポーン! 正解です!」
「そうだ、アレ返さなきゃね。
返そう返そうと思ってたんだけどね‥‥。」
直実は頭を掻きながら言った。
「看板ならいいんです。
二年前、父が先輩に負けたのは事実なんですから。」
「いや、そのね、粟田さん、私は別に道場破りをしに行ったんじゃあなくってね‥‥。」
「そもそも父がオトナ気なかったんです。」
● ● ●
二年前、直実が一家で三峰の経営する居酒屋で夕食していた時の事だった。
成り行きで直斗と三峰が世界最強の格闘技は何だ、という話を展開していた。
直実もプロレスだと時折主張するが、ほろ酔い男二人の堂々巡りを繰り返すトークの中には入っていけなかった。
そんな時だった。一人の大きな男性客が自分のグラスを持って話に割り込んできた。
「柔道だ!
柔道ってのはな、人殺しの技なんだ!
受け身の取れないボクサーなんかにゃ負けはしねぇさ!」
かなり出来上がっているこの男こそ希望の父であり、粟田道場師範の玄心であった。
「じゃあ、プロレスとどっちが強い? レスラーは受け身、取れるよ。」
直実が玄心に問い掛けた。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ、お嬢ちゃん。
プロレスなんて八百長なんだよ、八百長!」
「やおちょう?」
「ナココ、向こう行って何か食べてなさい。」
さすが父である。酔っているとはいえ次の展開の予想がついた。
それを回避すべく直実をこの場から遠ざけようとした。
「お父さん、やおちょうって何?」
予想していた展開の第一波が来た。
「えっ?
‥‥ああ、昔な、八百屋の長さんがいたって事だよ。
‥‥あ、峰さん、つくね一皿追加ね。」
八百長についてはとりあえずゴマかした。
更に直実の好物を注文して面倒な展開になる事を防ぐ為の手を打った。
だが、天は直斗の苦労をまるであざ笑うかのように軌道修正を掛けてきた。
「八百長ってのはな、前もって打ち合わせをしてあるって事なんだよ。」
玄心の台詞に周囲が凍りついた。
「プロレスはインチキじゃないもん!」
案の定、直実が反論した。
直斗が回避しようとした展開になってきた。
こうなったらもう止まらなかった。
そんなこんなの口論の末、次の日曜に直実が柔道を見に道場へ行く事になる。
そして日曜日、直実は約束通り粟田道場に現れた。
ただ、酔っ払いと小学生の口論が元の約束である。
お互いの思惑がかなりズレていた。
「良く逃げずに来たな。
今日一日、ここにいる子たちと共に柔道をして柔道の厳しさ、強さを身体に刻みなさい!
希望、この娘に合う道着を持って来なさい。」
玄心は柔道を体験させる事によって柔道が最強の格闘技とわからせるつもりだった。
それに対し直実はというと、
「ん? 何それ?
私は柔道なんかをしに来たんじゃないよ!
プロレスの強さを証明する為に来たんだよ!」
プロレスの方が強いと主張する為に来たのだった。
「ほう、柔道を侮辱するのか?
ならば、お前の信じるプロレスで俺を倒してみろ!」
「うん、倒す!」
何の躊躇もなく直実は靴下を脱いで玄心の前まで歩いていった。
門下生の子どもたちは誰もが師範の勝利を信じていた。
「さあ、どこからでもかかって来いっ!」
玄心が大きく構え威圧する。
身長差、実に六十センチ。
異種格闘技戦というよりは人間が熊と戦うのに近い感覚である。
しかし、次の瞬間――
(な、何っ!?)
目の前の直実が玄心の視界から消えた。
素早い動きで一瞬にして玄心の背後に回り込んだのだ。
(これがヒトの動きか!?)
玄心が慌てて振り向く。
が、時既に遅し、その軸足の膝を直実の低空ドロップキックが撃ち抜いた。
予想外の攻撃と威力に、さすがの玄心もガクッと膝を畳につけた。
すぐさま直実は体勢を整え、高さがちょうど狙える位置まで下りてきた来た首を目掛けて思いっきりラリアットをぶちかました。
「! ふ、ふごっ!」
無様な声を上げて玄心は後頭部を思いっきり畳に打ち付ける。
くらった事のない技に、身体が覚えているはずの受け身が出せなかったのだ。
とはいえ、鍛え抜かれているだけの事はある。
しばらく咳き込んでいたものの、その後ゆらりと立ち上がる。
身構える直実。
しかし、玄心は撃ち抜かれた足を引きずりながら場外へ出ると、道場の看板を外した。
「俺の負けだ。持って行きなさい。」
玄心の意図が理解出来ない直実は断り続けたが、玄心は豪快に笑いながら半ば強引に看板を手渡した。
● ● ●
「あの日の先輩、カッコ良かったです。
私、憧れちゃいました。」
回想にふける直実に向かって希望が頬をほのかに赤く染めて打ち明けた。
「はい??」
目が点になっている直実を見て希望がさっきの自分の台詞を頭の中でリピートさせる。
そして、何か誤解を招きかねない台詞であった事に気付くと、耳まで真っ赤になってしまった。
「ご、誤解しないで下さい、そういうんじゃないですから!
あの時の先輩のラリアットを見た時、私の夢が見えたんです。」
「夢?」
その単語にドキリとさせられた。
「私、スポーツドクターになりたいんです。
選手が力をフルに発揮出来るようなコンディショニング・コーチも出来る、そんなスポーツドクターになりたいんです!」
夢が崩れかかっている今の直実にとって、希望は輝いて見えた。
「そうなんだ。‥‥夢、叶うといいね。」
「だから先輩、早く部に復帰してくださいね。」
希望の台詞は、直実の頭の周りに大量のクエスチョンマークを発生させていた。
「どういう事?」
「私、三浦先生に頼んで野球部に籍を置かせてもらったんです。」
「え~~~~っ!? 何で!?」
しれっと言う希望が直実には信じられなかった。
「だって、人類史上最速の球を投げる可能性のある先輩の右腕にも興味があるし、三浦先生の卓越したスポーツ理論は将来きっと役に立つと思います。
私、先生の理論を少しでも多く吸収したいんです!」
「えっと‥‥私は貴重なサンプルって訳?」
「言い方が悪いですけど、まあ、ハズレではないですね。」
「あのね粟田さん‥‥。」
「希望でいいです。」
「‥‥じゃあ希望ちゃん、私‥‥野球はもう‥‥」
「私、今日用事があったんで部を休んだんですけど、明日からはきちんと出ますから。
だから、先輩も明日からは練習、ちゃんと出て下さいね。約束ですよ!」
希望は一方的にそう言うと一礼して去っていった。
「‥‥‥‥‥‥。」
しばらく呆気に取られていた直実であったが、希望のキャラクターのせいだろうか、不思議と怒る気にはならなかった。
「約束‥‥か。」
そう独り言をつぶやくと、ふっと口元が緩んだ。
「しょうがないな‥‥。」
直実は顔を宮町中の方向に向けた。
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